矢口英佑のナナメ読み #034〈『「地球市民」としての企業経営』〉

No.34 『「地球市民」としての企業経営』

矢口英佑〈2020.12.9

 

 本書は書名だけでおおよその内容が把握できるとは言いがたい。それを百も承知している著者は冒頭で次のように記している。

 

 

 

 

 

 この本は宇宙産業に取り組む企業の紹介でもなければ、惑星を飛び回ってビジネス展開する未来の企業を描いたSFファンタジーでもない。本書はあくまでこの時代にこの惑星の上でビジネス展開する企業とその将来について考察したものである

 

 「この惑星」とは地球を指していることは言うまでもないが、著者は日本の企業経営者や企業マンだけに向けているのではなく、地球規模であらゆる企業に向けてこれからどのような経営姿勢を持つべきかを示している。

 

 ただし、単なるノウハウものの経済書では勿論ない。今後の企業のあるべき姿を描きながら「この惑星」に生きるすべての人間に対して人類存続の危機をどのように回避すべきかの見識を持つことの重要さを、いわば地球上の全国家に向けて促した一種の提言書となっている。したがって、本書の特色として、著者の次のような視点を見逃すことができない。

 

足元の現実の深刻さを受け止めたうえで、個別に事象に着目して詳細に分析する「虫の目」、個々の事象の全体像を俯瞰して解析する「鳥の目」に加えて、地球の外の惑星(プラネット)からもうひとつの惑星としての地球を自然、人間、社会によって構成されるシステムとして捉える「惑星(から)の目」というもうひとつの視座でも考えてみたい

 

 宇宙の惑星の一つである地球として考えようというのである。

 

 それでは、なぜ著者は「惑星(から)の目」を持とうとしたのか。そこには著者の世界規模での危機意識に裏打ちされた現状認識がある。すなわち、安定した国際秩序が大きく揺らいでいること。地球環境問題の深刻化、自然災害の増加、国家間の貿易や技術をめぐる対立などによって企業の行動に制約が加わり、安定と秩序の継続を前提に効率優先で展開してきた企業のグローバル経営は頓挫し、再構築を迫られていると捉えているからである。

 

 それゆえに企業は自国を超えて世界で起きていること、あるいは起こり得ることを包括的に見据える視座で対応することが不可欠だとの認識に立っている。

 

 ここから導き出される今後の企業のあり方とは、特定の国や地域の利害を超えた地球そのものが経済、社会、環境を構成しているのだから、人類の生活の質を向上させる一方、地球環境の改善に貢献しなければならないと言う。

 

 つまり企業はひたすら利潤や効率性追求のみにひた走るのではなく、地域や社会で生活している人々の利害にも目を向け、直面する問題や課題を解決しながら経営することが求められていることになる。

 

 しかし、著者はこのような国や地域の「良き企業市民」(Good Corporate Citizen)となるだけでなく、さらなる企業のあり方を求めている。それが本書の書名にも見える、特定の国や地域の利害を超えた「責任ある地球市民」(Responsible Planet Citizen)になることである。

 

 地球的な視座を持つならば、この地球が持つ資源や自然環境が一定の限界を超えると、地球の破壊につながり、人類の存亡に甚大な影響を及ぼすことを企業が強く認識し、その自覚を持たなければならないというのである。

 

 著者がこのように提言をするのは、「人類は今や危機が常態化した時代を生きている」という透徹した現状認識があるからである。確かに著者が指摘するように、21世紀に入ってからでも、

 

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ

2008年9月15日に始まる世界的な金融危機(リーマンショック)

2011年3月11日の東日本大震災と原発事故

2020年初頭からの新型コロナウイルスの世界的な感染・拡大

 

 というように、これらの危機は世界規模でそれまでの状況を一変させる事態となって襲いかかってきたことは間違いない。「民族・宗教」「経済・金融」「資源・エネルギー」「自然災害・ウイルス感染」は地球上の安定と秩序を奪い去ってしまったとする著者の見解には異を挟む余地はないようである。

 

 特に現在、最も世界を震撼させているコロナウイルスの猛威は、人類の命を脅かし、あらゆる経済活動を停滞に追い込んでしまっている。これまでの企業や企業マンが考えていた経営政策や手段がいともあっさりと崩れ去り、新たな企業経営思想といった根源的な思考の転換が緊急に求められ始めていると言えるだろう。

 

 それにもかかわらず現在の世界は常に「紛争と対立」の中にあるがために国益が優先され、国際関係にひずみと分断が生じている。また各国で国内的にも格差が広がり、その差はさらに大きくなってしまっている。

 

 こうした世界の国家間、あるいは国内政治の動きの中で著者がもっとも注視するのは中国とアメリカの対峙であり、今日の世界のあらゆる領域での覇権争いによる不安定化増大への危機意識にほかならない。

 

 この二大覇権国と世界関係をめぐる分析、比較、予測は著者が日立総研代表取締役社長として長年にわたって得た(それは本書から十二分に知ることができる)豊富な知見に基づいており、実に手堅く、説得力がある。

 

 何よりも中国を社会主義国家というよりは、個人の権利を犠牲にしても国家の価値を優先する「国家資本主義国」としていることだろう。一方、自由と民主主義を基調に個人の意見や行動を尊重する「民主資本主義」のリーダーとして、世界の安定と秩序を守ってきたはずのアメリカだが、トランプ政権での変容がさらなる世界の無秩序化、不安定化を増大させているとみなしている。

 

 著者はトランプ政権下のアメリカを「内向的資本主義」として位置づけ、「国家資本主義」によって、中国は今や経済、通商、軍事での急成長、優位性を示し始め、資源・エネルギー、科学技術・デジタル産業等々でもアメリカと中国の国力のバランスが崩れ始めているとし、「中国経済は米国を大きく超えるスピードで経済発展を続け、今後十年前後で世界最大の経済大国になることはほぼ確実」と断じている。

 

 この推測の否定しがたい事実として突きつけられたのがコロナ感染への両国の対処方法だった。中国は国民を監視するデジタル技術を駆使して、たとえいかなる抵抗、不平、不満が出ようとも、住民の外出時間までも把握し、すべての感染者を追跡して行動を厳しく制限し、感染リスクを短期間で抑え込んでしまった。しかし、個人の権利を尊重し、都市封鎖は実施しても行き過ぎた強権的手段を取らない「民主資本主義」のヨーロッパ各国では未だに終息が見通せない。ましてやコロナ感染状況を軽視し、「内向的資本主義」のアメリカでの惨憺たる状況はもはや言葉を必要としないだろう。

 

 こうした事実から著者は、

 

① 歴史は進歩するに従い、世界の国は経済発展に伴って政治の民主化が進むとは限らない。

② 戦後の国際秩序は各国の外交努力と価値の共有を再確認する努力の結果だった。

 

 という認識に至り、これまでの国際社会のあり方を前提とした秩序が揺らぎ始めていて、その最大の衝撃を与えているのが中国にほかならないとしている。

 

 では、今後の世界はどう動くべきなのか。

 

 「国家資本主義国」中国の台頭のほかにも地球環境問題の深刻化、自然災害の増加など一国だけでは解決できないさまざまな課題、問題が生じているだけに、軍事的覇権主義、経済的拡張・支配主義に突き進む中国を転換させる必要がある。そのためには「国家資本主義」中国の覇権主義に対抗軸を設けるのではなく、「国際協調主義に軟着陸させることに新たな国際秩序の核心がある」と述べるに至るのである。

 

 「紛争と対立」が常態化しているこの惑星で国際協調主義を定着させるのはそう容易なことではなく、困難が立ちはだかる。しかし、この惑星を消滅させず、人類が安定的に生き延びていくためには、もはや国家単位での発想では立ちゆかなくなるのは明らかで、企業にしてもそれは同じだろう。だからこそ著者は多くの課題や事例を示しながらそれを本書で解き明かし、「地球市民としての企業経営」を訴えているのである。

 

 本書は、私たち人類が宇宙に浮かぶ「地球丸」の乗組員の一人一人であることを企業経営という視点から自覚させてくれた貴重な一書と言えるだろう。

 

(やぐち・えいすけ)

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