- 2021-6-4
- お知らせ, 論創通信, 矢口英佑のナナメ読み
No.39 『宮澤賢治 浅草オペラ・ジャズ・レヴューの時代』
矢口英佑〈2021.6.4〉
宮澤賢治の名を聞いて、とっさに「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ」という詩句を思い浮かべる人もいれば、「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」等の童話を、あるいは「風の又三郎」などの戯曲を、さらにはみずからの故郷を「イーハトーヴ」と呼んだことを思い浮かべる人もいるだろう。それほど宮澤賢治の名は日本人の中に浸透している。
とはいえ童話作家、戯曲家、詩人、さらに教師でもあり地質学にも深い知識を持っていたことまでをすぐ思い浮かべる日本人となると、その人数を減らすに違いない。そして、音楽や絵画にも大きな興味を示し、クラシックだけでなくジャズや浅草オペラに強い関心を持ち、みずから作曲までし、水彩画を数点残していたことまでを知る人はまちがいなくかなりの宮澤賢治通だろう。
本書は書名からもわかるように、宮澤賢治と音楽の結びつきから論じた評伝である。文芸面から宮澤賢治に接近する評論や評伝はかなりの数になるはずで、その意味では少数派からの宮澤賢治論とも言える。
もっとも音楽に焦点を当てた宮沢賢治論もすでにあり、本書が初めての試みというわけではない。しかし、浅草オペラの草創期から衰退までを歴史的、文化的に論じながら宮澤賢治とどのように関わるのかを明らかにするのは実はそう簡単ではない。著者は次のように記している。
だが、賢治の書簡、年譜には浅草オペラを観測・取材の対象にしたという事実は見当たらない。あれほどオペラに関心を持ち、浅草オペラ通ならば、書簡にその思いを伝えるはずである。しかし、全くそれらしい記述がないのである。はたして、賢治は実際に本当に上京のたびに浅草オペラに通って「ペラゴロ」として熱狂していたのだろうか。(中略)現時点では、宮澤賢治の「ペラゴロ」説は「函館港春夜光景」とコミックオペレッタ『飢餓陣営』の創作・上演からの推察の域をでることは難しい
つまり宮澤賢治と浅草オペラとの関わりについて、宮澤賢治自身が書き残した確たる資料となる記述はなく、推測、推察で論じるしかないというのである。それにもかかわらず浅草オペラやジャズ、レヴューと宮澤賢治とのつながりに敢えて取り組むのはなぜか。著者は次のようにも述べている。
賢治が上京のたびに浅草オペラに通い「ペラゴロ」だったかどうかが問題ではない。(中略)明治二九年生まれの賢治の生い立ちからの人間形成、青年期における精神の激動の時代が日本のオペラの勃興から浅草オペラの隆盛を極めた時代とパラレルに展開したということが重要なのである
この視点こそが本書の特色であり、浅草オペラ盛衰の歴史とそれに関わった人物たちの人間模様が丁寧に記されているのはそのためである。時には宮澤賢治を忘れて浅草オペラの歴史や時代の文化諸相を覗いていると感じてしまうのはそのためだろう。事実、著者が浅草オペラの全体像を可能な限り示し、宮澤賢治との同時代性を明確にし、それを読み手に理解させたいとの思いは強い。巻末にほぼ60頁に及ぶ「宮澤賢治年譜・浅草オペラ・音楽芸能史年表」と「浅草オペラ俳優人名録(歌手・作詞・作曲・指揮・演奏家)」が附されていることがそれを教えている。
本書にはもう一つ大きな特色がある。
それは宮澤賢治論と浅草オペラ歴史文化論とでも言えそうな論考がパラレルに、時には融合して論じられていることである。さらにその枠組には収めきれない、しかし説明を加えておくべきと著者が判断した事象が、頁下段に余白などほとんど残されずに記されており、この部分だけでも十分に読みごたえがある。言い換えれば、三種の評論が一冊で味わえると言ってもいいかもしれない。
著者の豊富な知識の蓄積と言葉のほとばしりがこのような体裁の本作りを可能にしたに違いない。宮澤賢治についても音楽の側面だけで論じられているのではない。伝記であることは無論のこと、手堅い文学論にもなっていることは、本書の冒頭に置かれた詩「函館港春夜光景」で否応なしに感得できるはずである。
著者は賢治の浅草オペラとの関係性について「第3章 観測と取材の対象」でその根幹に触れている。
浅草オペラの最大の意義は、賢治の周辺において成長する中間層を中心とした大衆に洋楽の響きをもたらしたことに尽きるのではないか。洋楽の旋律とリズムは新鮮な感覚として受け入れられたのだ。オペラの俳優が淫蕩に塗れエロチシズム満載だろうが、洋楽の響きをもたらしたことにはかわりはないのだ。賢治の浅草オペラが去来する幻想の中で純粋な憧れに満ちているのはやはりクラシック音楽へのそれにあるといえよう。クラシック(精神的追求)とポピュラー(刹那的快楽)という二〇世紀の二項対立の時代、賢治は宗教感情による純粋音楽の道を歩むことになる
著者の目には、宮澤賢治の浅草オペラへの傾倒は賢治の法華教への深い信仰心とも結びついていると映る。だからこそ刺激的なエロチシズムに溢れ、官能的、淫蕩的な一面を持ち、それゆえ大衆に受け入れられた浅草オペラとは厳しい線引きが加えられたと見るのである。「賢治の敬虔な宗教感情にもとづく芸術観とは大きく乖離する。禁欲に徹する彼にとって女の肉体を求める性欲は悪であり、修羅の世界といえる
しかし、浅草オペラに魅かれる宮澤賢治も間違いなくいたことは、みずからコミックオペレット『飢餓陣営』を創作していることからもわかる。花巻農学校の教員時代に学校劇として創作、上演されたものだが、ここには浅草オペラのコミック性や日本の伝統的な文化風土とは異質な雰囲気を醸し出す浅草オペラの賢治風受容がある。
そして、浅草オペラの大衆への大きな影響力を宮澤賢治自身、体験的に知っていたに違いない。それゆえコミックオペラの大衆性が広報、宣伝に有効な手段になりえると見ていた可能性は否定できない。
なぜならこの『飢餓陣営』が描いたのは戦争や軍隊への真正面からの反対、批判だったからである。「賢治の戦争観は戦場にいかなければならない人々の視点から捉えており、戦争は個人の意思に関係なく起こり、動機なく人を殺し、殺傷する行為と自己犠牲が正当化され、日常における人間の道徳観や倫理観を根底から覆し、人間社会秩序を崩壊させるという本質を衝くものである」とする著者の指摘には大いに首肯できる。
研ぎ澄まされた鋭い感性を持つ宮澤賢治の目は強者によって踏みつけられ、抑圧され、沈黙を強いられる弱者に常に注がれていたと言える。法華教への深い信仰、自然や生き物への寄り添いが賢治の心を癒やしてくれたのであり、「イーハトーヴ」がその世界だった。邪悪に満ち、金の亡者がうごめき、享楽に浸かる世界からの脱出を願う賢治の清澄な精神世界が本書の冒頭に置かれた「函館港春夜光景」にも表れているように思う。いやこの詩だけではない。宮沢賢治のあらゆる創作の輝きは、すべて清澄な世界を求める精神から発せられていたと言っても過言ではないだろう。
著者はこの「函館港春夜光景」を「宮澤賢治の心象のスケッチはなんと純粋で幻想的なのだろうか。追想の浅草オペラがつぎつぎと去来し豊穣な詩的世界を彩っている」とし、「このように大正ロマンを象徴する浅草オペラを幻華豊穣に静かな調和をもって純粋に謳った詩人は宮澤賢治だけではなかろうか」と述べている。
独断を恐れずに言えば、このような浅草オペラに対する「賢治の豊穣多彩な感性はあまりにも純粋」という著者の感嘆こそが、本書の誕生を促したのではないだろうか。
宮澤賢治と浅草オペラの関係をどのように了解すれば、このような賢治の幻華豊穣な浅草オペラのイメージが誕生するのか?
この問いに答えを見出すための著者の努力の結果が本書にほかならない。
(やぐち・えいすけ)
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