矢口英佑のナナメ読み #085 『出版状況クロニクルⅦ』

No.85『出版状況クロニクルⅦ』

 

                         矢口英佑

 

「クロニクル」とは言うまでもないが、年代記や編年史を意味し、時系列に沿って事件や出来事を記述するものである。本書は「出版界」に絞って記録された編年史で、「Ⅶ」とあるので7冊目ということになる。

 

『出版状況クロニクル』の第1冊目は2009年5月に刊行されていて、前年の2008年4月から論創社のホームページに1年間にわたって連載された「出版状況クロニクル」をまとめたものである。それにしても2008年から2023年まで15年間の日本の出版界の状況を実に丹念に多くの資料に目を通し、記録し、批評し続けてきた著者の粘りと執拗さには脱帽するしかない。

 

著者には非常に明確な執筆動機があった。2009年の第1冊目の「はじめに」で、次のように記している。

 

 「本クロニクルの目的は出版社、取次、書店を問わず出版業界の様々な分野で働く人々、及び作者や読者に真の出版状況分析を伝えることにある。生産、流通、販売のそれぞれの場にあって、あるいは書くことや読むことにおいても、何らかの思考や判断のツールになればと考え、この一冊を送り出す次第だ」

 

加えて、著者は2008年当時、早くもみずからの出版クロニクルを「出版敗戦の記録」として位置づけ、

 

「出版危機を否応なく浮かび上がらせる言及、つまり痛みを伴う出版クリティックとして書かれている。それゆえに晴れがましい事実や出来事は少なく、ほとんどが出版敗戦の現実を突きつける記述と探究からなっている」(「はじめに」より)

 

と出版界に対して実証的統計や数字に基づいた辛口の批評を展開することが宣告されていたのである。

 

この15年前の宣告は本書『出版状況クロニクルⅦ』でもいささかもブレることがない。しかも、出版界の状況はさらに悪化してきていて、「出版敗戦」の色合いはいっそう濃厚になってしまっている。そのことは本書の「はじめに」で否応なしに突きつけられることになる。

 

  「コロナ禍と『鬼滅の刃』の神風的ベストセラーの後、出版販売金額は実質的に1兆円を割り込み、書店は1万店を下回り、流通インフラの要としての取次にも危機が及んでいる」

 

著者のこのような記述がいかに驚くべき数字であるのか、2008年当時の出版販売金額が2兆177億円(推定)、全国の書店数は1万6110店(小田光雄『出版状況クロニクル』2009年より)だったことからも理解できるはずである。

 

そして、著者の言う「取次にも危機が及んでいる」一つの事例として、以下の記述を示せば十分だろう。集英社の決算に触れた箇所だが、

 

  「書籍雑誌の売上高380億円に対して、デジタル・版権収入が936億円に及んだことをレポートしておいた。それに小学館や講談社も続いていくであろうことも。そうなれば、取次と書店はどうなるのか。そうした電子書籍市場に、取次と書店は対峙していかざるを得ないところまできてしまったのである」(本書129頁)

 

この15年間の出版界での大きな地殻変動は電子書籍・雑誌へのシフトが起きてしまっていることである。上記の引用もそうした現況から取次や書店に向けられた著者からの警告にほかならない。

 

こうした出版界の状況のなかで記録された本書の2021年1月から2023年12月までの3年間は、どのページを開いても客観的な統計数字が示す現実を前にして、決して大袈裟ではなく、明るい見通しが立たず「今年はどうなるのだろうか」といった著者のため息が聞こえてくる。加えて、出版販売金額が下がり続ける現状に対し「出版業界は近代出版流通システムとしての再販委託制が崩壊していく過程において、なんの対策も改革も提示することができず、そのまま放置し、ここまで来てしまい、このような事態へと至ってしまったのである」(本書326頁)

 

と、出版界が抜本的な改革に動き出さず、小手先の離合集散や改善策を繰り返す現状への静かにして強い批判が滲み出ている。

 

この再販委託制度については2016年から2019年を記録した『出版状況クロニクルⅤ』の「はじめに」でも著者みずからの立ち位置を確認するかのようにこう記している。

 

 「本クロニクルは出版業界の歴史と構造、出版社・取次・書店という近代出版流通システムと再販委託制度の問題をベースにして、第一次データというべき出版物販売金額を始めとする数字をたどり、毎月の出版業界を定点観測した記録からなっている」

 

本書は実証的な統計数字の提示だけでなく、出版界のさまざまな情報も幅広く拾われていて、地方の一書店の営業活動や閉店などまでが記載されている。その情報収集力にはただただ驚かされる。そして、著者のバランスの取れた、鋭い批評姿勢についても触れておかなければならない。2例だけ挙げておく。

 

2022年7月6日発行の『日経MJ』が「書店がすごいことになっている。入場料制を導入し、音楽が流れるおしゃれな空間では本は読み放題、コーヒーも飲み放題。友人同士でゆっくり半日ほど滞在できるのでコスパもいいと若者に人気だ」という「文喫」と「蔦屋書店」をめぐる特集記事について、著者が強い言葉で批判している。

 

 「こうした特集記事に言及するのは不毛で苦痛だが、本クロニクル以外では批判も出されないであろうから、ここで書いておく。(中略)ここまでひどいタイアップ「シロサギ」特集を見たことがない。現在の書店状況と書店の経済から遠く離れて、様々に群がるコンサルタントたちが組み立てたファンタジーを、まことしやかに特集する事はジャーナリズムというよりも、翼賛新聞のでっち上げ記事だと断罪するしかない」(本書243頁)

 

なんとも小気味いい。長年、出版界の現状を見てきたからこそ、このようないささかも躊躇することのない物言いが可能となっているのであり、この一文に続いて著者の断罪する理由説明が続くが、ぜひ本書を手にとって確認して欲しい。

 

もう一例を挙げると、著者と中村文孝の対談形式による『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』(2022年9月 論創社)対して図書館の「神様」の一人と言われている根本彰が自分のブログに書評と批判を掲載したようである。そのため、著者がそれらに対して冷静に、毅然として反論を加えているのである。その反論を著者の言葉のまま引用する。

 

 「その「神様」のご宣託を傾聴してみよう。それは「彼等が図書館については単なる外部からの観察者であり、にわか勉強で補ったものをもとにした歪みがそこここに見られる」と始まっている。そして「最大の疑問は対談という形式である」として、「対談」は「その道の専門家や大家とされる人たちがやりとりするもの」だが、「この本で図書館について述べるとき両著者は専門家でも研究者でもない」と定義づけている。そのために『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』が「対談」にふさわしい「専門家」「大家」によるものでなく、中村と小田も図書館に関する「専門家」「研究者」でもないとのご宣託が下される」

 

このような「ご宣託」は、根本彰のブログを読まずとも、著者が批判するようにあまりにも排他的であり、傲慢でもある。こうした姿勢のもとに中村と小田の共著を批評しようとすれば、誤読や見当違いの捉え方が生じるであろうことは想像に難くない。

 

事実、根本の『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』に対する批判には誤読や見当違いの捉え方が散見されているようで、著者の小田は本書で7頁を割いて一つ一つ再批判を加えている。

 

またこれに関連して『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』は根本の批判を受けて、多くの図書館関係者たちも批判し、ある図書館などでは貸出禁止、禁帯出にしているらしい。根本がブログに書いた「朝日の書評に出たからという理由で選書する図書館があるとしたら恐ろしい」を拡散しようとしていると著者の小田は見て取り、

 

「これは実質的に「検閲」に他ならないし、図書館に入れるなといっているに等しい。まるで現代の「焚書坑儒」ではないか」

 

と手厳しく批判している。それにしても図書館について書かれ、朝日新聞などでも取り上げられた書籍を公共図書館が入館者に読めないようにしたり、目に触れないようにしたりしているという事実には呆れるばかりで、図書館は誰のためにあるのか改めて問い直さないといけないようである。

 

『出版状況クロニクル』が明らかにしているこの15年間の「出版業界の歴史と構造、出版社・取次・書店という近代出版流通システムと再版委託制度の問題」は来るところまで来てしまっていると思わざるを得ない。この点については、この業界に身を置いている人びとであれば、誰もが感じているに違いない。しかし、著者が問題とする再販委託制度見直しの動きは今も見られない。

 

本書で定点観測による悲観的な統計数宇をこれだけ繰り返し突きつけられると、著者ならずとも、「これからの出版界はどうなっていくのだろう」と暗澹たる思いにとらわれ、つい重いため息が出てしまうのは私だけではないだろう。

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

 

バックナンバー→矢口英佑のナナメ読み

関連記事

「二十四の瞳」からのメッセージ

澤宮 優

2400円+税

「西日本新聞」(2023年4月29日付)に書評が掲載されました。

日本の脱獄王

白鳥由栄の生涯 斎藤充功著

2200円+税

「週刊読書人」(2023年4月21日号)に書評が掲載されました。

算数ってなんで勉強するの?

子供の未来を考える小学生の親のための算数バイブル

1800円+税

台湾野球の文化史

日・米・中のはざまで

3,200円+税

ページ上部へ戻る