矢口英祐のナナメ読み #091 『服罪』

No.91『服罪』

 

                                   矢口英佑

 

本書『服罪』のサブタイトルは、「無期懲役判決を受けたある男の記録」である。

 

社会福祉士、精神保健福祉士の資格を持つ新聞記者である筆者であったからこそ、このような元受刑者の人生の軌跡を記録することを可能にしたことはまちがいない。

 

なぜなら本書第1部の中心人物との出会いは、筆者が刑務所関連の講演会に足を運んでいたからであり、その会場に「妙にすっと伸びた背筋やきびきびとした動き、少しだけ何かに怯えているような緊張した表情」、「刑務所内の話になると、小さくうなずいたり、少し首をひねったり、内部の様子を知っているような雰囲気」のある男性が目にとまったからである。「休憩時間が来たら声をかけてみよう」(以上「あとがき」より)それが最初だった。

 

「服罪」とは、言うまでもなく〝罪に服する〟意だが、その罪が「無期懲役」に相当するものとなれば、「服罪」の重さは想像を絶する。みずからの死まで、社会と隔絶された孤独な生を送るのである。「無期懲役」とは、言うまでもないが期間を定めない懲役刑であり、死刑に次いで重い刑罰である。刑法28条では、改悛の情があれば服役から10年経過後に仮釈放できると定めているが、そのような短期間で仮釈放される者はほとんどいない。しかも仮釈放されたとしても、みずからの死まで保護観察下に置かれ、完全な自由を得ることはできない。仮釈放が許されなければ、死亡するまで刑務所で過ごすことになる。法務省によると2022年12月末時点で、全国の刑事施設の無期懲役受刑者は計1688人。22年中に10人が新たに収容され、41人が死亡した。仮釈放された6人の平均受刑期間は45年3カ月だという。

 

本書に登場する「優」(仮名)氏の服役期間は35年間だった。上記の平均受刑期間より10年ほど短い。それだけ服役中の態度が良好で、改悛の情が深かったことが評価されたからである。さらに重要なことは、本人がまがりなりにも大病をしなかったからだろう。それにしても仮釈放される受刑者はごく少数であり、多くは仮釈放を切望しながらもその夢は叶えられず、そのまま死を迎えることになるのである。

本書にあるように、無期懲役者は命を絶つかわりに生きて罪を償うことになり、それは「死刑以上に苦しく残酷でもあった」のである。たとえ優氏のように仮釈放されたからといって被害者への償いが終わるわけではない。一生涯、償い続けることになり、優氏自身、もし自分に自由が戻ったならば、「きっと自由を奪った被害者のことをより強く思うはずだ」と償いの気持ちがより一層増すことを覚悟していたのである。

 

本書は2部構成となっていて、第1部は書名と重なり、第2部は「犯罪の背景と社会復帰を考える」である。当初、著者の関心はむしろ第2部にあったことを窺わせており、社会福祉士としての立場から罪を犯す以前に福祉が役に立てなかったのかという思いから優氏に話を聞くつもりでいたようである。しかし、面談を重ね、優氏の過ぎ越してきた歩みの一コマ一コマを記録していくに従い、罪を犯すまでの幾重にも重なった、優氏が背負った人生が、鮮明な像を結ぶに至ったにちがいない。そして、なぜ二人も殺すことになってしまったのか、その心の在処を、あるいはその背景を探ろうとしていくようになったようである。

 

第1部の第1章から第3章(第1章 北の大地に抱かれて/幼少のころ 胸に残る夕焼。第2章 被害者家族/放った言葉 狂った歯車 もう戻らない。第3章 事件は起きた/新たな地で その時はきた 逮捕へ 裁判での攻防)までは、優氏の語った犯行に至るまでの優氏の〝自分語り〟である。それを真正面から受け止めた著者が優氏に代わって紡ぎ出した優氏の人生の軌跡である。時にはきわめて客観的な著者の目で、時にはあたかも優氏みずからが語っているかのように、重いにび色のような〝語り〟が進行していく。それは第2部で取り上げられている「犯罪の背景」を明らかにする作業でもあった。

 

また第1部の第4章、第5章(第4章 刑務所の中で/服役の始まり 「懲役格差」といじめ悟りとは。第5章 更に生きるということ/その時は突然に 更生へ)は服役中の優氏の罪を犯した者としての35年間に及ぶ贖罪という言葉では軽すぎる精神の歴程が重く読む者の胸に突き刺さってくる。

 

本書を通して、優氏の服役中の心の中、あるいはその生活態度を覗いた読者は、仮釈放される彼に安堵感を抱き、〝しゃば〟で無事に、平穏に生きられることを素直に祈る気持ちになっているのではないだろうか。

 

しかし、その一方で、「更生」して新たに生きようとする者を温かく見守り、支援しようとするのではなく、逆に阻もうとする力がこの〝しゃば〟にはあまりにも多すぎることを、第2部で著者から知らされることにもなる。その意味では、本書の第1部と第2部は巧みに構成されている。著者自身もこう記している。

 

「第2部だけ読んでいただいても、十分、現在の福祉制度や司法福祉の状況が分かる構成となっている。第2部のテーマは、第1部の各章と連動したかたちになっているため、(中略)第2部の関連テーマの部分を読むなどして、第1部と第2部を交互に読んでいただいてもいい」

 

第2部の「犯罪の背景と社会復帰を考える」は、「1 アイヌ民族と福祉、2 被害者の支援、3 薬物と立ち直り、4 無期懲役と更生、5 釈放後の暮らし」で構成されている。

 

たとえば「1 アイヌ民族と福祉」が取り上げられているのは優氏の母親がアイヌ民族出身者だったからである。

 

社会福祉士、精神保健福祉士でもある著者がここで取り上げているのは、どれもが日本の社会が抱えている深刻な差別と抑圧、そして排除がその根底に重く澱んでいる現状にほかならない。しかも、このような深刻な問題はすべて人間が生み出しているものであり、解決が容易でないことは、それぞれの人間の多様な心のありようが密接に関わっているからである。

 

しかし、本書を読了した読者は、こうした人間の心が生み出している息苦しい社会を矯正する可能性を優氏が35年間の服役の中で得たという〝悟り〟の中に見出すことになるかもしれない。

 

「他者を思う心情であったり、子を育てる親の愛情だったり、社会への気遣いや思いやりだったり、そういった思いに言い換えられた(中略)「人類のこころ」をもちよって、寄り添うようにして人は生きている、生かされているのだ」

 

優氏のこの「人類のこころ」は、私たちが生きていく上での、非常に大切な、忘れてはならない、大事に育てていくべき重要なメッセージとなっている。

 

やぐち・えいすけ)

 

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