Ⅳ 日蓮仏法論
〈南無妙法蓮華経とは〉
なぜ、法華経を最上としたのか
そもそも日蓮は、なぜ法華経を絶対視するのでしょう。
仏教経典は、八万法蔵と呼ばれるほど、膨大な量におよびます。中国では、インドから伝わったこれらの経典を分析・比較し、それぞれの経典の目的を明らかにして、すべての経典の序列を体系化しようと試みます。中国の天台大師は、それまでの研究成果を踏まえ、法華経を唯一最上の教えとして仏教全体を体系化しました。その後、この解釈は広く受け入れられ、日本でも伝教大師によって引き継がれていきます。
日蓮は、この天台と伝教の正統な継承者を自任しているのですが、ではいったい他の教え・経典と比べて法華経の何が勝れているのでしょう。日蓮は法華経の卓越性を二点、挙げています。
一点は、法華経だけが万人の成仏を説いたこと、もう一点は、法華経だけが、仏は久遠の昔からこの娑婆世界において万人の成仏を説き続けてきたと明かしたこと、です。少し噛み砕きましょう。
法華経以外の経典では、女性や小乗など、成仏できないと決定された人々がいました。法華経は教理上からも、その差別を打ち破り、万人を平等に成仏できるとしました〈本当は、人間のみならず、万物の成仏、万物の平等を説いたのですが……。難解になるのでここでは踏み込みません〉。さらに法華経を説く仏は、娑婆世界に繰り返し現れ、永遠に万人成仏を説き続ける存在であると明かします。これによってインドの釈迦も、法華経を説く仏の一人に過ぎないと相対化したのです。なので、この説法をした仏を、釈迦と区別して「法華経の教主釈尊」と呼びます。
では、阿弥陀仏はどうでしょう。日蓮は、阿弥陀仏は娑婆世界の仏ではない、と批判します。娑婆世界の我々を仏にしようとした師匠の教主釈尊を捨てて、異世界の仏を信仰するのは不知恩であり、法華経では地獄に堕ちると説かれていると日蓮は痛烈に批判したのです。しかも、娑婆世界を離れ、異世界の仏を渇仰するから、浄土教の教主たちは自殺するのだ、と過去の記録をもとに弾劾しました。日蓮の他宗批判は、法華経との比較、信仰する仏の比較、さらに過去の論文や文献に基づく論理的なものでした。
江間浩人
—次回7月1日公開—
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