『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.039

Ⅳ 日蓮仏法論

 

日蓮を本尊にした曼荼羅


日蓮を本尊にした曼荼羅

 

日蓮は、佐渡流罪の以前と以後とで、自分の教えが変わっていることを理解するよう、門下に通達します。では、日蓮の教えは、どう変化したのでしょう。この点については、これまではどちらかというと日蓮の書き残した文献から見る、教説の変化に重点が置かれてきましたが、実は最も大きな変化は、日蓮が曼荼羅を書きはじめたことにあります。

 

日蓮の曼荼羅は、中央に南無妙法蓮華経を大書し、その左右と四隅に仏菩薩、諸神を書き連ねた独特のものです。この曼荼羅は、書かれた時期、大きさによって、さまざまな変化がありますが、中央の南無妙法蓮華経だけは不動であり、これが本尊であることは一目瞭然です。問題は、ここで本尊とされた南無妙法蓮華経と、唱題される南無妙法蓮華経の違いは何か、ということです。

 

日蓮は、伊東・佐渡による二度の流罪で、法華経を経文の通り実践した史上唯一の真実の法華経の行者であり、釈尊が末法に法華経流布を託した者である、との覚悟を得ます。これは、端的に日蓮こそが法華経に帰命した者、妙法蓮華経に南無した者、南無妙法蓮華経と呼称できる存在であるとの覚悟を意味しています。つまり日蓮は、「真実の法華経の行者」=「南無妙法蓮華経」を本尊とした曼荼羅を表したのです。そして、それは紛れもなく日蓮自身のことを指していました。

 

曼荼羅を書きはじめた当初は、時機をはかったのか、中央には書かなかった自身の署名でしたが、やがて南無妙法蓮華経の真下に日蓮と書き入れ、日蓮こそ南無妙法蓮華経そのものである、と公然と示すようになります。南無妙法蓮華経の七文字は、佐渡以前には、法華経に対する帰命の誓願として唱えられていました。しかし佐渡以降は、法華経身読の真実の行者を表すことにもなったのです。

 

日本宗教学の創始者である姉崎正治(一八七三-一九四九)は、日蓮の人格と宗教とを一語に総括代表する語があれば、それは「法華経の行者」に尽きると述べています。まったくその通りだと思います。そして、日蓮の曼荼羅の中央に大書きされた本尊の「南無妙法蓮華経」こそ、まさに法華経の行者である日蓮の人格と宗教を一語で総括代表したものだったのです。

 

江間浩人

 

—次回1月1日公開—

 

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