Ⅳ 日蓮仏法論
南無妙法蓮華経とは
内村鑑三が選んだ日蓮
内村鑑三(一八六一-一九三〇)は、日本の文化・思想を西欧に向けて紹介するために、五人の日本人を選び、その生涯を英語で描きました。これが日露戦争の年に発刊された『代表的日本人』です。内村は、その一人に日蓮を選びました。
いうまでもなく日蓮は、鎌倉幕府に睨まれて二度までも流罪にあった異僧です。ほかの四人が西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹という、いずれも江戸から幕末に掛けて主に政治・経済・教育で活躍した人物であることを考えると、内村が日蓮を選んだのは特異にみえます。
内村は、なぜ日蓮を選んだのでしょうか。その理由について、『代表的日本人』のなかで、こう述べています。
「日蓮から十三世紀という時代の衣裳と、批判的知識の欠如と、内面に宿る異常気味な心(偉人に皆ありがちな)とを除去してみましょう。そのとき、私どもの眼前には、まことにすばらしい人物、世界の偉人に伍して最大級の人物がいるのがわかります。私ども日本人のなかで、日蓮ほどの独立人を考えることはできません。実に日蓮が、その創造性と独立心とによって、仏教を日本の宗教にしたのであります」
内村は、日蓮の「創造性と独立心」に、世界の偉人と並ぶ最大級の評価を贈ったのです。では日蓮の「創造性と独立心」は、当時、どのように発揮されたのでしょう。内村は、この点について、端的に次のように述べます。
「他の宗派が、いずれも起源をインド、中国、朝鮮の人にもつのに対して、日蓮宗のみ、純粋に日本人に有するのであります」
日蓮が広めた信仰は、日蓮独自のものであって、過去にインド、中国、朝鮮で広まったものとは違う新たな創造があった、というのです。
私たちが日蓮と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、「南無妙法蓮華経」の題目と、これを中央に大書した曼荼羅ではないでしょうか。実は、この題目と曼荼羅こそ日蓮の独創であり、過去になかったものであると信じられてきました。そこで次に「南無妙法蓮華経」の題目と曼荼羅が、どのようにして生まれてきたのか、その謎に迫りたいと思います。
江間浩人
—次回2月1日公開—
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