矢口英佑のナナメ読み #074『天安門広場 一九八九年五月』

No.74『天安門広場  一九八九年五月』

 

                                                                                                                                                    矢口英佑

 

本書には二つの国外で起きた事件と運動が取り上げられている。著者は報道カメラマンとして直接、それぞれの現場に飛び込み、何が起きているのか、その実相を記録としてカメラに収めた。目撃した現場の状況やそれに関わる事案を、時には実況中継のように、時には二重中継のように、時にはクローズアップで、時には俯瞰するように、〝今ここにいる〟著者の語りが時空を超えて、「2023年の現在」に繫がり、確かにあった事実として鮮明に伝えられている。

 

本書に収められた「事件」とは、直接的には、1989年6月4日に中華人民共和国で起きた「天安門事件」であり、「運動」とは1976年7月17日、インドネシアが併合宣言をした東ティモールで長年にわたって続けられた独立を目指した東ティモールの人びとのインドネシアに対する抵抗運動である(2002年5月に独立を達成)。

 

著者が記録している天安門広場は、1989年5月22日から5月31日までの10日間で「事件」が起きる4日前までの実相である。

 

一方、「運動」は1994年10月4日~12月29日までのおよそ3か月間である。インドネシア軍隊の激しい弾圧によって多くの人びとが殺され、飢えと病気などで命を失い、1991年11月、ディリにあるサンタクルス墓地で自然発生的に起きた独立を求めるデモ隊に対しインドネシア軍が無差別発砲し、大量殺戮した暴虐事件が起きた。「サンタクルス事件」として世界的に知られた事件から3年後であり、ゲリラによるインドネシア軍への抵抗活動が続いている時期だった。

 

いずれも30年近く、あるいはそれ以上の時間が経過して公刊されたものである。こうした報道は「事件」でも「運動」でも事の重大さが増せば増すほど、その状況をいち早く、的確に伝え、広く人びとに知らせることに大きな意義がある。一方、そうした「事件」や「運動」には、たいてい多くの人間が一つの集団となって激しい抵抗運動や要求運動が展開される。そして、それらの動きに対して当然のように弾圧や抑圧が加えられる。著者もこうした点を十分承知していた。

 

「問題が大きければ大きいほど取材者はその取材に意義を感じ、同時に取材されて困る側、多くの場合は国家であり政府であるのですが、強大な権力を使って対抗してきます」

 

そのため取材し、それを記事にすることで否応なしに表面に浮上してくる被取材者に抑圧者は直接、弾圧を加えてくる可能性を否定できない。実際、著者は東ティモールで一人の修道士から衝撃的なことを聞かされたのだった。

 

「誰一人としてインドネシアとの併合など望んでいません。私たちには独立する権利があるはずです。(中略)この情況に対して私たちは何も言うことができません。言えば殺されるからです。だからあなたがここに来て見て訊いたことを世界中に知らせてくれるのは嬉しいことなのです。だがしかし、今まで何人もの記者がここに来ました。オーストラリア人、カナダ人、イギリス人と。そして彼らの記事が彼らの国で発表されるやいなやここでは犠牲者が続出するのです。逮捕され、拷問され、殺されるのです。外国人記者が取材源の実名や顔写真を出してしまうからです」

 

そのため著者は「この二つの事件も、発表すべきかどうか長い間呻吟してきました」と吐露している。こうして著者は「両編とも「記録」です。取材者には「世に知ってもらうこと」と同時に「時代の記録を残す」という大事な使命もあります」(「おわりに」)と考えるに至るのである。

 

その意味では、本書が「時代の記録」としての役目を十分過ぎる以上に果たしていることは疑いを入れない。報道カメラマンとして著者が撮し取った写真が本書には随所に置かれている。それらは本書に登場する多くの証言者の言葉と共に無言の迫真さで訴えかけている。

 

1989年6月4日に起きた「事件」は、現在、「天安門事件」として知られている。1989年4月に胡耀邦前総書記の死をきっかけに起きた学生を中心とした民主化要求は、次第にその声のうねりは大きくなり、やがて反政府運動、共産党批判運動にまでなっていた。それ以前から全国の大都市でも学生や若者、知識人を中心に民主化要求運動が起きていて、デモや政府への抗議集会が増え続けていた。5月19日に北京市に戒厳令が出され、6月3日夜から制圧を始めた軍隊は4日未明には、天安門広場に集結していた学生や一般市民の中に突入して武力鎮圧したのだった。

 

犠牲となった人の正確な数は不明だが、2017年に公表されたイギリスの外交機密文書では犠牲者は1万人とされている。学生の運動に理解を示し、戒厳令布告に反対した趙紫陽総書記(当時)は解任され、死去する(2005年)まで自宅軟禁下に置かれた。この事件以降、犠牲者たちへの追悼活動は一切、禁止されている。習近平政権はこの「天安門事件」に関する情報をネット上に上げることも認めず、徹底的に排除し、歴史的にも「天安門事件」を抹殺し、なかったことにしようとしているのである。軍隊が突入した際、戦車の前に一人で立ちはだかった男性の映像は広く世界に知れ渡ったが、この映像を見たことのある中国国内の中国人は今や2割にも満たなくなっているのである。

 

それだけに、この「天安門事件」直前の天安門広場の様子を伝えた本書は貴重な時代の証言となっている。著者が北京に飛んだ時には、この都市はすでに戒厳令下にあった。本書には、著者による民主化を求める人びとへのインタビューや時々刻々、伝えられる政府の動きや軍隊による武力行使の可能性など、当時の緊迫した北京の空気が痛いほど感じられる。実況中継を思わせる臨場感溢れた報告は紛れもなく「時代の記録」となっている。

 

もう一つの「運動」は、「第Ⅱ部 南の島の赤い十字架――東チモール、神父たちの戦い」である。第Ⅰ部の「天安門広場一九八九年五月」もそうだが、いずれも日記風に日付が付せられているため、時の流れを良く掴むことができる。ただし、第Ⅱ部の日付は毎日ではない。

第Ⅱ部は第Ⅰ部と様相が大きく異なる。理由は簡単である。独立国家を目指し、インドネシアへの抵抗活動を展開しているいわば戦場に著者が飛び込んで行ったからである。東ティモールでゲリラ戦法による独立闘争を続けるリーダーに会い、インタビューを試みようとすること自体、戦いの真っ只中に身を投げ込むことにほかならず、無謀とも思える試みだったとも言えるだろう。

 

それにしても、地下活動の責任的立場にあるという一人の若者の言葉は切実な思いに満ちていた。

 

「今、東チモールには自由がないのです。自由に話せること、学校に行ける自由、外出 する自由、家族に会える自由、仕事に就ける自由、何もないのです。人々は常に監視され、諜報員(インテル)が毎晩家の中まで見回り、若者達が集まっていないか、不穏な動きはないかと見張っています。少しでも怪しいと思えば通報し逮捕、拷問にかけるのです(中略)インドネシアへの併合を認めろと強要され続けたんです。ここではこんな生活がもう二〇年近くも続いています。すべての東チモール人は独立を望んでいます。どうかこのことを世界に知らせてください」

 

著者は「旅行会社の社員で、今は個人的に教会活動の一環として日本人混血児を探している」という口実で潜入していた。実際何人もの混血児とも会い、その記録も本書には収められている。しかし、めったに外国人が入り込んでこない地域をカメラを持って動き回れば、インドネシア側の官憲や軍人が警戒するのは当然だった。監視の目は常に張り巡らされ、スパイと思われる人間も接触してくるだけに、みずからの行動、言葉には、そして人びととの接触には全神経を使って警戒していかなければならなかった。ちょっとした気の緩みによって生命の安全が奪われる可能性があったからである。

 

著者は取材の目的を偽るだけでなく、日々の行動さえも、表向きとは大きく異なる動きを取ることも珍しくなかった。こうした著者の活動を支援してくれたのが何人もの神父たちであり、彼らもまたインドネシアへの抵抗活動を続け、独立を目指す戦いを秘密裏に続けていたのである。著者は神父たちの支援によって東ティモールのほぼ全域に足を運び、なんとしてもゲリラ部隊の最高司令官に会うことを目指すのだが、目的の完遂は難しくなってきていた。ところが「一見偶然だがどう考えても単なる偶然じゃない」「神懸るわけじゃないが人智だけじゃない何かがあるとしかどうしても思えない」ことが起きたのである。こうして著者の目的は果たされたことになった。もはや身の危険を冒して東ティモールに留まる理由が消えた。こうして東ティモールからの脱出が開始されたのだった。

 

第Ⅱ部は東ティモール独立運動の苦難に満ちた戦いと困難さが多くの証言によって伝えられ、まちがいなく「時代の記録」となっている。だが、著者の行動そのものが「時代の記録」となっていることも見逃してはならないだろう。

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

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