本を読む #091〈梶井純『戦後の貸本文化』〉

(91)梶井純『戦後の貸本文化』

 

近年、梶井純=長津忠も亡くなり、最後に彼の論考を読んだのは「オーラル・ヒストリーとしての戦後・風景・貸本マンガ」であった。これは高野慎三貸本マンガと戦後の風景』(論創社、2016年)に寄せられた「解説」としてだった。そこで梶井は『漫画主義』同人としてではなく、1999年に創刊された『貸本マンガ史研究』会員として、その「解説」を書いているのだが、それが前回の『戦後の貸本文化』に端を発しているのはいうまでもない。

 

それだけでなく、同じく『貸本マンガ史研究』会員の高野も、大衆文化、サブカルチャーとしての貸本マンガの存在が希薄であった事情に関して、その「はじめに」で次のように述べている。

 

 “ いうまでもなく、それは貸本マンガの寿命が一五年から二〇年という短い期間であったことに要因があるのだろう。しかし、貸本屋は全国津々浦々に存在していたはずである。田畑が広がる農村にも、峠を越えた山あいの村にも、小さな小さな漁村にも存在した。五〇年代の最盛期にあって、貸本屋は全国で二万数千軒ほどが数えられるのではないかと類推されるが、その事実は、新刊書店で本を手にすることのできなかった人々の数を意味するだろう。”

 

私も農村の雑貨屋も兼ねた貸本屋で貸本マンガに出会ったのであり、それは1950年代末から60年代初めにかけてだったが、近隣に書店はなかったので、59年の『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』の創刊もリアルタイムで知らなかった。それに月刊の『少年』や『冒険王』などに連載されたマンガは知っていたけれど、その別冊付録マンガは別にして、単行本は見たことがなかったし、周りにも所持している者はいなかったのである。したがって、まさに初めて見るマンガの大量の単行本に他ならず、そのようにして貸本マンガに出会ったことになろう。といっても、それは百冊ほどだったはずだが。

 

そうしたマンガにまつわる個人的記憶を思い出すきっかけとなったのが、梶井の『戦後の貸本文化』に他ならなかった。その第二部において「貸本マンガの歴史―一九六〇年代まで」がたどられ、「初期貸本マンガの世界」と「貸本マンガ全盛期の問題」が論じられていたからだ。戦後の大阪の赤本マンガと劇画の誕生を背景として、貸本マンガは隆盛となっていくのだが、それらは一般書店では売られておらず、大阪の松屋町、東京の上野や神田の貸本屋専門取次を通じて貸本屋へと流通販売されていた。つまり出版業界でいうところの正常ルートとしての出版社・取次・書店という近代出版流通システムではなく、赤本、特価本業界といえる全国出版物卸商業協同組合(全版)に属する出版社・取次・貸本屋ルートによっていたのである。これらのことは高野肇『貸本屋、古本屋、高野書店』(「出版人に聞く」8)を参照されたい。

 

こうした貸本マンガによってデビューしたマンガ家たちを挙げてみる。梶井は彼らの50年代のデビュー年と作品も挙げているが、ここでは名前だけを示す。横山まさみち、水木しげる、辰巳ヨシヒロ、永島慎二、つげ義春、いばら美喜、松本正彦、桜井昌一、佐藤まさあき、山森ススム、高橋真琴、横山光輝、さいとうたかを、梅図かずお、白土三平、小島剛夕の16人である。彼らのうちの紙芝居を経てきた水木、白土、小島の3人をのぞけば、ほとんどが10代で中卒という学歴だった。1950年の高校進学率は42.5%であることに留意されたいし、それは読者も同様だったのだ。こうした若い新人マンガ家を輩出させた土壌もまた「貸本マンガ出版という独特な世界のひとつの大きな特徴」といっていいし、70年代以後の大量生産、消費ではなく、「せまい貸本業界という特定の数に向けての、ある意味では限定的なルート販売」に基づいていた。

 

具体的に補足すれば、それらの10代のマンガ家の作品を刊行する版元は手形の決済日に追われる零細マンガ出版社であった。それは新刊をメインとし、売り切りで、重版を想定していないので、自転車操業出版を宿命づけられていたからだ。ここに挙げた若いマンガ家たちは現在の大家のポジションを獲得するに至ったけれど、「その多くは、陽のあたる場所にでることなくほとんど無名のまま資本マンガを描きついで、市井に消えていった人たち」だと梶井は書いている。それらの人々は各版元の多彩なシリーズとして刊行されたB6判長編マンガ単行本に刻印されているだけだが、それらはほとんど残されていない。

 

私は農村の雑貨屋の片隅に置かれていた貸本マンガを読み出した時期はすでにA5判になっていたので、B6判の時代は記憶にない。50年代を通じて貸本屋が増えていくのとパラレルにA5判のマンガへと移行していったようなのだ。読者は変らず、梶井が権藤晋の言葉を援用し、いっているように「諦念を抱くには若く、絶望を語るには口を持たず、怒るにはその手を持たない、孤立した無数の」「非学生ハイティーン」であり続けていた。私はハイティーンではなかったけれど、同じローティーンとして貸本マンガの読者に連なっていたのである。

 

(おだ・みつお)

 

 

 

 

 

—(第92回、2023年9月15日予定)—

 

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