本を読む #027 〈松田哲夫、筑摩書房「現代漫画」、『つげ義春集』〉

㉗ 松田哲夫、筑摩書房「現代漫画」、『つげ義春集』

                                          小田光雄

 

 『風から水へ』の鈴木宏が編集者となる1970年代の出版のバックヤードにずっとふれてきたが、漫画も抜きにするわけにはいかないだろう。実際に鈴木は詩を中心とするいくつかの同人雑誌を経て、前回も挙げておいた「書肆紅い花」という出版社名で、『漫画的』なる漫画批評雑誌を始めたと語っている。ちなみにこのタイトルは、当時まだ邦訳されていなかったレヴィ=ストロースのMythologiques(『神話論理』早水洋太郎他訳、みすず書房)をもじって、自ら命名したとされる。

 

 鈴木の「お気に入り」漫画家は長谷邦夫、滝田ゆう、東海林さだおだったことから、『漫画的』創刊号は一種の「漫画批評宣言」、第二号は「滝田ゆう特集」、第三号は「長谷邦夫特集」が組まれたものとなった。それから第四号は「東海林さだお特集」、第五号は「漫画の構造分析」の予定だったが、三号までしか出ない同人雑誌の例にもれず、続かなかったという。

 

 ただ少し年下の私にしてみれば、これらの漫画家たちがどうして鈴木の「お気に入り」だったのか、わかりかねるところもある。それは彼が大学に入るまでほとんど漫画を読んだことがなかったことに起因する、特異な漫画的理解ということになるのかもしれない。そのような鈴木の「漫画熱」「漫画批評熱」を高めたのは、東京都立大の同窓の松田哲夫の影響で、彼は高校生の頃から『ガロ』を読み、その編集部にも出入りしているらしいといわれ、仲間でも有名な漫画フリークだった。

 

 そこで鈴木が松田に戦後漫画ベスト1を尋ねると、即座に水木しげるの『悪魔くん』という答えが返ってきて、その「貸本版」をわざわざ貸してくれたので読んでみた。一読して衝撃を受け、「暗い情念におおわれた、ペシミスティックな、ないしはニヒリスティックな傑作」で、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)を彷彿とさせたのである。私の手元にあるのは『定本・悪魔くん』(太田出版)だが、同じ作品だろうか。それを機として鈴木は漫画を読むようになり、白土三平、つげ義春、赤塚不二夫を面白いと思い、先に三人の「お気に入り」の漫画家たちとも出会うことになる。いうまでもないけれど「紅い花」はつげの作品である。

 

 さてここで鈴木から離れて、松田と漫画のほうも見てみたい。それに松田は前述のように青林堂に出入りするようになり、鈴木と同じく編集者の道を歩んでいくのである。そして私は高校生の時に、彼が手がけた一冊を読むことになったからだ。

 

 松田は1994年に『編集狂時代』(本の雑誌社、後に新潮文庫)を上梓し、やはり都立大での野次馬的街頭闘争と留置場体験を語っている。そこには鈴木も必然的に登場し、「この鈴木宏くんは、今は個性的な小出版社水声社を経営している。しばらくあっていないが、元気だろうか」と言及されている。

 

 それはともかく、松田のほうは都立大近くのスナックで、筑摩書房の雑誌『展望』の編集者に紹介され、青林堂での「門前の小僧」としての経験によって編集の仕事の誘いを受け、1969年に嘱託社員の毎日が始まっていく。その経緯と事情は、筑摩書房が「現代漫画」という全15巻のシリーズを刊行することになっていたが、当然のことながら漫画に詳しい編集者がおらず、松田が適任のように見なされたからである。

 

 ここまできて、ようやく私も鈴木や松田と重なる漫画の個人的体験を語ることができる。それも1960年代の地方の貸本屋や書店を通じてのものなので、現在とはまったく異なるコミックインフラであったことをふまえてほしい。確認してみると、青林堂の『ガロ』が創刊されたのは64年で、私は中学生になったばかりだった。今でもよく覚えているが、学校の検診で耳鼻科にいくようにいわれ、耳の検査を終えてから、商店街の書店に立ち寄ったところ、『ガロ』が平積みになっていたのである。それは白土三平の『カムイ伝』が半分以上を占めていて、出版界や漫画のことは何も知らなかったけれど、小学生の頃に出され始めた『週刊少年マガジン』や『週刊少年サンデー』とはちがう漫画雑誌を見たように思った。

 

 幸いなことに立ち読みできたのだが、長いことと興奮したことが相乗してか、その間に治療のために耳の奥に塗られた薬が口内へと逆流してきたのである。だから『ガロ』と『カムイ伝』との出会いの記憶は美しくもないし、このことを抜きにしては語れない。でもそのほうがふさわしいようにも思える。そうして半年ほど立ち読みを続けたが、いつの間にかその書店から『ガロ』が見えなくなり、読めなくなってしまった。これは余談だが、文庫を買うようになり、雑誌は立ち読みですますようになっていたからだ。今になって考えれば、『ガロ』も創刊した当初だったから部数も多く、広く撒いた。ところが返品率も高く、書店配本を見直されたことで、取次によって切られてしまったのであろう。

 

 それと関連していえば、小学生の時に貸本屋で、やはり白土三平の『忍者武芸帳』を読んでいたが、それは農村の駄菓子兼貸本屋だったことから、最初の数巻しかなく、その後見つけた町の貸本屋でも半分ほどだったので、最後まで読み終えていなかった。それが実現したのは『ガロ』創刊の2年後の66年に、小学館から全12巻が刊行されたことによっている。このように漫画を読むことも、大げさにいえば、この時代は一期一会の感もあった。

 

 そうして60年代後半を迎え、『ガロ』につげ義春という漫画家が「ねじ式」などの短編を発表し、それは地方の高校生だった私の耳にも届いていたし、確かどこかに転載された「沼」という作品にはふれていた。しかしその『ガロ』はもはやずっとその書店には置かれていなかったし、つげの他の作品を読みたいと思ったけれど、雑誌のバックナンバーを注文したことがなかったこともあり、どのようにして入手すべきかもわからなかった。それもあって、つげに出会えたのは1970年初頭に刊行された『つげ義春集』においてだった。これはいうまでもなく、筑摩書房の「現代漫画」第12巻で、この巻を担当したのが他ならぬ松田だったのである。

 

 今でもこの巻を手元に置いているが、ここには「ねじ式」を始めとして18編が収録され、期待にたがわない新しい漫画の世界に入っていく思いを味わった。もちろん「沼」や「紅い花」もある。いずれも感銘を受けたけれど、その中で一作を挙げれば、「海辺の叙景」ということになろう。だがそれは半世紀も前のことだった。そして『ガロ』を立ち読みし、『つげ義春集』を見つけた書店も、商店街ごと消えてしまったも同然で、すでに20年近くが過ぎようとしている。あらためて「海辺の叙景」を開くと、主人公たちはそのままの姿で変わっていないけれど、読者の私は「ほんやら洞のべんさん」のように年をとってしまったことを実感してしまう。

 

—(第28回、2018年5月15日予定)—

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