本を読む #013〈消費社会、SM雑誌、仙田弘『総天然色の夢』〉

⑬ 消費社会、SM雑誌、仙田弘『総天然色の夢』

                                        小田光雄

 

 前回、SMビデオ『縄炎』にふれたので、続けてやはり飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」シリーズ12)の補編としての一編を書いておきたい。それは団鬼六が、大崎善生の『赦す人』(新潮社)を始めとして様々に顕彰されていることに比べ、飯田たちは文学史にも記載されず、忘れられていくであろうからだ。

 

 敗戦後のカストリ雑誌全盛時代を背景として、1947年に大阪で軍属の新聞記者だった吉田稔によって曙書房が発足し、世界の珍談奇談を集めた読物雑誌『奇譚クラブ』が創刊される。そこに戦時中に知り合った須磨利之が加わり、彼が実質的な初代編集長となることで、『奇譚クラブ』は本格的なアブノーマル雑誌へと変貌していった。

 

 しかし53年に須磨は『奇譚クラブ』から離れ、上京して久保書店から新しいSM雑誌『裏窓』を創刊した。そして『奇譚クラブ』の投稿者だった飯田豊一とともに、大阪ではなく東京でアブノーマルな夢想を発信するに至る。それ以後、この二人を中心にして、70年代から続々とSM雑誌が創刊されるようになり、サドやマゾや変態も大衆化され、消費の対象と化していった。そのような中で、『奇譚クラブ』連載の沼正三『家畜人ヤプー』が都市出版社から単行本として刊行され、この特異な奇書は広く注目を浴びることになった。その延長線上に団鬼六の『花と蛇』の文庫化が推進され、村上龍の『トパーズ』や山田詠美の『ひざまずいて足をお舐め』が出現したと考えていいだろう。

 

 そのような出版史の経緯と進行はまったく不明なままであったけれど、新たな世紀を迎えた年に仙田弘の『総天然色の夢』(本の雑誌社)が出版され、通常の雑誌と異なるSM雑誌の編集事情と人脈が明らかになった。仙田は70年に東京三世社に入り、四半世紀にわたって在社し、『奇譚クラブ』や『裏窓』以後のSM雑誌の創刊に立ち会っている。同書は73年までの記録だが、知られざる出版史の貴重な証言となっているので、それをたどってみる。この東京三世社も近年廃業に至っている。

 

 仙田は新聞の出版社社員募集広告を見て、御徒町にあった東京三世社に入社する。彼は東京三世社の出版物を知らなかったが、面接で『実話雑誌』を見せられ、自分が入ろうとしている会社が「エロ出版社」で、所謂「エロ雑誌業界」に属していることに気づく。そして彼の「エロ雑誌編集部」での仕事が始まる。当時の主たる出版物は『実話雑誌』の他に『読切クラブ』『グラマーフォト』、隔月刊誌『MEN』『PINKY』であり、それらの編集は新人の仙田たちを含め、十人で担われることになった。しかし『読切クラブ』は老編集長、『グラマーフォト』は中年編集長がそれぞれ一人で担当していた。

 

 ただ両誌はともに休刊寸前の売れ行き状況で、主力は『実話雑誌』、ヌード誌『MEN』、ピンク映画『PINKY』に置かれていて、これらを総括するのは宮坂信というヴェテラン編集者だった。「エロ雑誌業界」ならではの配慮のせいか、『総天然色の夢』の中で実名で登場する東京三世社の人間は宮坂だけである。仙田はこの宮坂が総括する『MEN』や『PINKY』の編集に加わり、売れなければただちに休刊になってしまうゆえに、全力投球で売れそうな企画を求め続ける「エロ雑誌」の編集に、次第にのめりこんでいく。そして『MEN』の誌面刷新をきっかけにして、ほとんど無名だが、才能のあるイラストレーターが集まり始めた。これは蛇足かもしれないが、仙田はシャイで韜晦的記述にまぎらわしていても、かなり文学に通じた映画青年だったと推測できる。

 

 そこに社長からSM雑誌の創刊告知が下される。それは須磨と飯田が久保書店から独立し、『あぶめんと』を創刊したが、6号で休刊となり、集まってきた原稿が宙に浮いてしまい、東京三世社に持ちこまれたことがきっかけだった。仙田は創刊のための資料として、古本屋で10万円の古書価がついた『裏窓』のほぼ全揃いを見つける。この時代に『奇譚クラブ』や『裏窓』は一冊が2、3千円、号によっては5千円か1万円の値段になっていたので、それでもお買い得価格であり、彼は会社の許可を得て購入する。そして『裏窓』を読み初め、多彩な挿絵画家たちに魅せられる。

 

 お洒落で、挿絵もきれいで、卑猥だった。

 小説を読む前に、この挿絵を見ただけで買ってしまう読者がいるのではないかと思う出来ばえの雑誌だった。

 

 その一方で、仙田は『奇譚クラブ』も読み、団鬼六の『花と蛇』のピカレスクにも引きこまれ、『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』にも出てくる画家の藤野一友や鹿野はるおまで視野に入れていた。そこで須磨と団の協力、及び若手イラストレーターの参加を得て、71年に『実話雑誌』増刊号として、『SMセレクト』の創刊にこぎつける。ようやく発売になった創刊号は、それまで『奇譚クラブ』などが自粛していた緊縛カラー写真を掲載し、口絵ページも多く、ヴィジュアル性を訴求したためか、売れ行きもよく、たちまち月刊化されることになった。

 

 するとほどなく、石川精享たちが東京三世社を退社し、桃園書房が設立した子会社司書房に移り、同年に『SMファン』『別冊SMファン』を創刊する。続いて「編集の天才」といわれる宮坂も同様に新会社のサン出版を興し、72年に作家やイラストレーターも同じであるグラフィックな雑誌『S&Mコレクター』を創刊し、3社でSM雑誌が競合する中で、仙田のほうは続けて『小説SMセレクト』を立ち上げる。

 

 それでもさらに創刊は続き、清風書房から『SMトップ』、団鬼六の鬼プロから『SMキング』(大洋図書発売)、サン出版から『アブハンター』(後に『SM奇譚』に改題)、桃園書房のもうひとつの子会社三和出版から『SMフロンティア』『SMマニア』『SM秘小説』、大洋図書系のミリオン出版から『S&Mスナイパー』などが刊行された。仙田はその出版状況について、次のように書いている。

 

   70年代はまさにSM雑誌が狂瀾すると同時に、エロ系出版社が続々と創刊していった。

 SM雑誌なんて徒花。すぐに消えてなくなると巷間で思われていたにもかかわず、部数は毎号増え続け、『SMセレクト』は75年には十万部を越えて、完全に一つの雑誌のジャンルを形成してしまった。

 

 1970年代こそは、それまで隠花植物のように見なされてきたSM雑誌がグラフィック化され、従来のピンク映画的な「パートカラー」ではなく、SMをめぐる「総天然色の夢」が氾濫した時代だったということになる。

 

—(第14回、2017年3月15日予定)—

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