矢口英佑のナナメ読み #031〈『歴史に学ぶ自己再生の理論[新装版]』〉

No.31 『歴史に学ぶ自己再生の理論[新装版]』

矢口英佑〈2020.8.5

 

「歴史に学ぶ」、よく耳にする言葉である。しかし、何を歴史から学ぶのかとなると、さまざまであり、多岐にわたる。また「歴史は繰り返す」ともよく言われるが、そもそも、歴史は最初からあるわけではない。歴史は、ある事柄が語られ、記録されて文献として残されてはじめて歴史になる。ある事柄が起きている渦中にあるときには混沌とし、明瞭な形が見えない。そうした状況を丹念に拾い集め、見つめ直し、その事柄を語り、記録する者(たち)が彼(ら)の視点で捉え、一つの価値や評価基準に照らして後世に残されて、それが歴史となる。

 

ただし、その歴史は記録する者(たち)が生み出したものだけに、未来永劫、そのまま生き続け、正当性を保ち続けるとはかぎらない。ある事柄に対する歴史の見直し、書き換えはその時の権力者によってしばしば行われてきている。正当な歴史と見なされていたものが正当性を失うことも珍しくはない。

 

こうした歴史とはいかなるものであるかを、著者は十分に知っていると思われる。それでも敢えて書名を「歴史に学ぶ」としたのには、「記録する者」が生きた時代をみずからの目で見つめ、みずからの視点で導き出した生き方を滲ませて記録した多くの文献を深く読み込んできたからである。そのような知の遺産は、おしなべて政治的権力からは遠い位置から発せられながら、激動の時代を生き抜いた先人の優れた、学ぶべきものに満ちている。

 

著者はそうした思想を、現在に生きる日本人に易しく読み解き、彼らの生き方や人生観、また、その行動こそが現在に生きる日本(人)が「自己再生」するために学び、実践すべきものだと繰り返し訴えている。

 

本書名の「歴史に学ぶ」とは、ある一つの歴史的な事件を通して何かを学ぶという意味ではない。人間としてどのように生きるべきかを、過去の一つの時代に自己の体験を通して見出し、その生き方を語り、書き残し、実践した人物を取り上げ、その「考え方に学ぶ」ことを指している。

 

著者の「自己再生」という言葉には、われわれ日本人に対してこれまでの考え方、生き方を捨て去り、異なる新しい視点、考え方をみずからに取り入れ、生まれ変わらなければならないという強いメッセージが込められている。

 

なぜ著者は「自己再生」を強く求めるのか。日本の現状に激しい危機感を抱いているからにほかならない。

 

著者には明治維新以後の日本の進んだ道、すなわち軍国主義によって、アジア地域に侵略し、朝鮮半島併呑、満州国建国、日中戦争、太平洋戦争へとやみくもに突き進んでいった覇権主義への批判がある。ただし、国家、政府が国民をそうした事態に引きずり込んだことを批判するだけでなく、著者の慧眼は、国力が消耗し、生活上の不平・不満を強く抱きながら「国家が先導した亡国への道を決断した」日本人への批判も忘れていないことだろう。

 

敗戦後、日本は軍国主義を捨て、戦争放棄を憲法に明記し、めざましい経済的な発展を成し遂げた。しかし、「一九九〇年代以降のバブル崩壊、長期不況を契機とする〝失われた二十年〟と呼ばれた時代に、日本は先行世代の遺産を食いつぶし、次世代に巨額の借金を背負わせて、辛うじての体面、物質的豊かさを保持しつづけてきた」結果、国家も個人もすべてが組織(心体)疲労を起こしていると指摘する。

 

こうした著者の歴史認識から日本の行く末への強い危機意識が生まれ、

 

「戦後の高度経済成長の残映を求め、夢よもう一度と、国家財政破綻を賭しての大博奕の道を往くのか、それとも低成長の現実を受け止め、肯定し、経済的効率を捨てた、これまでとは異なる道、今日よりも心豊かな明日をむかえるべく、大きく人生の舵を切るのか」、道は二つだと言い切るのである。

 

換言すれば、物質的豊かさや地位、権力を追求し続けるのか、すべてが有限であることをしっかり認識し、心の安らかさを追求するのか、という二者択一を迫る問いかけにほかならない。

 

こうして著者は石門心学の開祖・石田 梅岩(いしだ ばいがん 1685~1744)の「心学」を拠り所に心豊かに生きた国内外の文人、思想家、政治家等々さまざまな先人の生き方を紹介し、その実践を促していくのである。

 

石田梅岩の石門心学とは江戸幕府8代将軍吉宗の時代に梅岩が説き始めた「教え」で、士農工商という社会構造がきしみ始め、武士階層でも生活困窮者が増え、都市には浪人や農民が溢れる時代になっていた。その一方、商売で金儲けした富裕な商人たちの生活ぶりや考え方に厳しい批判が渦巻いていた。著者の言葉を借りれば、梅岩はみずから商人として「今でいう契約社員を二十余年つとめ、生きにくい世の中をどうすれば楽しく生きられるのかをひたすら考え」続けた。その結果、商人が正直に、真面目に、欲をかかず商売をして利益を得るなら批判されることはないと説き始め、また、一般の人びとにも人間の生き方として、正直に、つましく、勤勉な生活をするよう教え諭した。

 

本書の第三章「「心学」を身につける」では、こうした石田梅岩の「教え」を著者はさまざまな方向からやさしく読み解き、ものの見方、考え方を示していく。たとえば、人間が悩むのは煩悩があるからで、この煩悩は梅岩の場合は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、悪しみ、欲の7つであり、この煩悩の元を断ち切るために素直な心が求められる。それでは素直な心になるにはどうすればよいのか。それは「好きなこと、これはと思うことに心を集中することだ」というように著者の言葉に換えて説明していく。

 

第四章「新しい「心学」の可能性」では、「急増する〝中年〟フリーター」「〝就職氷河期〟から見た未来」「国家財政破綻を食い止める手段」など、現在、我々の周りに起きている社会現象に照らして「心学」の重要性を説いていく。

 

こうして著者は梅岩から学び取った、これからの日本人が選択すべき生き方を次のように語るのである。

 

問われるのは、人として何を備えているのか、という世相になった。時代はモノからヒトへ、その外面から内面へと向かいはじめたのだ。

―――筆者は今こそ、絶妙のタイミングではないか、と思っている。

「心学」を応用して、「知足分」(足ることを知る心)を身につけ、自分にだけあった心豊かになれる生活を準備し、その過程の毎日を働きつつも楽しみながら、ついには好きなこと、本当の生きがいを生活の真ん中にもってくる

 

なかなか考えさせられる言葉である。経済的豊かさの追求には「比較する」ことがつきまといがちで、心の平穏は反比例するように失われやすくなる。だからこそ著者はこうも言うのだろう。

 

そもそも「人並みの生活」など、この世に存在しなかったのだ。他人と比べること自体が、すでにあやまちであった

 

思うに、「足ることを知る心」を持つことができれば、他者への心配りや思いやりもおのずと生まれてくるにちがいない。なぜならそれぞれの人の心にゆとりが芽ばえるはずだからである。

 

本書は今から4年前に論創社から刊行されている。しかし、すでに述べたように、語られている内容はますます貴重な提言となり、重みはさらに増している。

 

日本という国の経済的な破綻がいっそう明らかになっている上に、現在では、コロナウイルスの襲来によって、これまでのあらゆる常識が破壊され、経済的な活動はみじめなほど停滞させられ、人との繋がりさえ危うくさせられてきている。

 

4年前には著者も予想もしなかったはずの状況が日本を、そして、世界を襲っている。まさにこうした状況であるからこそ、著者は2020年6月に新装版として再刊された本書の「新装版あとがきにかえて」で、日常の余裕やゆとりを失った日本で、このコロナウイルスの猛威を、逆に「グローバル社会における競争の異常性を、白日のもとに晒してくれた好機」と捉えるのである。

 

かくして著者は、強烈な情報化社会の中で、自分の足で立ち、しっかりと自分の頭で考え、物質的豊かさや地位、権力を追求し続けるのではなく、すべてが有限であることを認識し、心の安らかさを追求する生き方に改めないかぎり、

 

「われわれが救われ、再生される道はない」と言い切るに至るのである。

 

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〈次回『空襲にみる作家の原点』、2020.9月下旬予定〉

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