『コロナの倫理学』 ③感染する確率

『コロナの倫理学』 ③感染する確率

森田浩之

 

 マスクなし会食

 

日々、行きつけの店でモーニングかランチを食べていると、数組に1組くらい3人から4人のグループがやってくる(あとは1人か2人)。私はそもそも夜は出歩かないなので、日中、アルコールなしの食事を楽しんでいるし、必ず独りで行動しているから、3~4人のグループを見ただけで怖くなってしまう。

 

彼ら・彼女たちの8割は席に案内された瞬間にはマスクを外して会話を始める。2割は食事までマスクをして話しているが、食事が来た時にマスクを外してからは最後までマスクを着用しないまま話し込んでしまう。どうしてそんなに不用心なんだろう、と不思議に思う私のほうが変人で、思わないほうが普通なのかもしれない。

 

まだ世間的にそれほど緊張感が浸透していなかった昨年の夏から秋にかけて、仕事関連で夜の会食に何回かお声がけいただいた。マスク会食は一回のみで、あとは最初からマスクを外すことになった。

 

ある会では、座った途端に声をかけてくださったクライアントがマスクを外した。私は唖然としていたが、なんとか気力を取り戻し、「私だけしていていいですか?」とたずねると、「いえ、外しましょう」と。「マジ?」と思ったが、仕事の面でも、地位の面でも上の人に言われたら何も言い返せない。しかし私もマスクを外した瞬間に、先方は「最近いろいろと出歩いて、ちょっとやばいかも、とは思うんだけどねぇ」と笑って言う。覚悟の3時間を過ごすことになった。

 

すでにある程度の知識はあったから、それからまず1週間は症状が出ないか気が気でなかった。そしてそれが過ぎても、無症状の場合も考慮して2週間は人に近づかないようにしていた。

 

これに近いことを何回かくり返した挙句、やはり仕事でも地位でも上の人に会食に誘われた。しかし今度はニューヨーク在住の日本人を一緒に連れてくるとのこと。誘ってくれた上司が遅れたため、ニューヨークの日本人が先に来て、名刺交換の後、ふたりとも座席につくと、相手の方は私が出した名刺をしまうとすぐに、私に見えないほうを向いて(でも見えているが)アルコールを出して、手を消毒していた。私はこの時「この人とは話が合う」と嬉しくなった。

 

ニューヨークの方と私を結びつけた上役がやってきて、いきなりマスクを外す。しかしその人が来る前から、ニューヨークの日本人と私は、その年(2020年)春のニューヨークのロックダウン(都市封鎖)について話をしていた。

 

まず医療従事者への感謝と敬意を共有し、その方の知り合いの医療従事者が病院で苦闘されていた話、そしてとうとうその医療従事者本人が感染した話と続く。ニューヨークの日本人はその医療従事者の濃厚接触者だったため、家族と離れて2週間、巣ごもったとのこと。しかし同じ施設に感染者も収容されていたため、シャワー室を使うのにいろいろな工夫をされたこと、などなど。

 

私は自称“コロナ・オタク”だけあって、話としては聞いていたが、現場を直接に体験された方の話をうかがえて、とても勉強になったし、能天気な日本人に聞かせてあげたかった。そしてニューヨークの日本人と私で、この上司を説得してマスク会食に引き込むことに成功した。そのニューヨークの日本人は一時帰国中、一度も対面の会食はしなかったとのことであった。その上司に引っ張られて、おそらく不承不承、夜の会に応じたのだろう。だから最初から最後までマスクを通していた。

 

こういう経験によって、少しは自信をつけたが、とうとう「本当にやばい」ということがあり、それ以来、すべての会食をお断りしている。

 

これは前回書いたことだが、会社内での勉強会で、オフィスの会議室で私がプレゼンをした。会議室内の感染対策は完璧すぎるほど完璧で、人との距離は1メートル以上取れて、にもかかわらず、ひとりひとりがパーテーションで区切られており、全員が最初から最後までマスクを一度も外すこともなく、着用し続けてくれた。

 

私のプレゼンと質疑応答が終わると、懇親会に行こうということになった。もちろん断れない。総勢10人! もうこの時点で帰りたい。居酒屋さんに入る。常連らしく、いつもの部屋らしい。なんと、縦長で、一方はドアがなく開放されているが、あとの3面は密閉である。そして10人が詰めて座れる程度の広さしかない。

 

「まぁ、マスク会食なら…」と思って、上着を脱いで、壁のハンガーをかけて、テーブル側に振り返り、着席して顔をあげると、なんとなんと、その時点でマスクをしていたのは私ひとりだけだった。会社内ではあそこまで用心していて、飲み会でここまで不用心になるとは……。もう覚悟を決めるしかない。帰るか、感染の恐怖と戦いながら話につき合うか。意志の弱い私は後者を選ぶ。

 

以前書いたように、私は感染事例は読める限りのものはすべて読んだのではないかというくらい、調べ尽くしたつもりでいる。しかし最近は、マスコミでも、研究所の報告書でも、そういう記述が少なくなった気がする。コロナ差別の影響で、そういう情報を公開しなくなったのではないだろうか。

 

しかしこの時点(昨秋)で、すでに飲み会でのクラスター事例は熟知していたので、もしこのなかにウイルスを持っている人がいたら、おそらく半数は感染していただろう。会話による飛沫感染だけでなく、大皿を直箸で取ることによる唾液感染もあるからだ。

 

今回はそれまで以上に、その後の1週間は恐怖の日々で、トータル2週間は人に近づかないようにしていた。そしてそれ以降は、どんな話でも、仮にそれで仕事を失うことになっても、すべての会食をお断りすることにした。

 

 感染の確率

 

私はそもそもつき合いのいいほうではないので回数は少なかったが、夏から秋にかけて、私が学んだ事例をそのまま適用するなら、私は上記のマスク会食を除いて、ほかのすべての会食でウイルスに感染していただろう。ということは、マスクを着用せず1メートル以内で15分以上話していた相手がウイルスを持っていなかったということになる。無症状という可能性は否定できないが、その後の様子を聞いてみると、発症していなかったとのこと。ほぼ間違いなく、相手は感染者ではなかった。

 

結局、感染対策がむずかしいのは、私よりもっとこういう機会の多い人の大半が感染しないまま、無事に日常生活を送れているからである。私は夜は出歩かない分、朝早く起きて散歩している。6時くらいにだれもいない繁華街をウォーキングしていると、徹夜して飲んでいたとおぼしき若者の集団に出くわすことがある。マスクをしている人もいれば、あごマスクの人もいるし、まったくしていない人もいる。人との距離も考慮すれば、このなかにひとりでもウイルス保持者がいれば、半数は感染しているだろう。

 

日々のニュースと、このような日常の一場面は直接には結びつかない。いま見ている若者の集団でクラスターが発生したとしても、それが数日後のニュースに反映されているかどうかは、私には知りようがない。しかし、もしそのなかから出たら、数日後の感染者数に含まれることになるだろう。

 

私にも、そしておそらく世の中のだれにも知りえないことを想像してみよう。ある晩、マスクなし会食は日本全国で何件あっただろうか。そしてそのなかで感染が起こったのは何件だろうか。確実に言えることは、ほとんどの場所で何も起こらなかったはずである。まったくの想像だが、マスクなし会食は全国いたるところで行われていたはずだ。しかし実際に感染者が出たのは、特定の晩では数件に過ぎないだろう。ということは、それほど用心しなくても、感染しない確率のほうが圧倒的に高いということになる。

 

では、どれくらいの確率なのだろうか。私はネットの隅から隅まで探した挙句、やはりこんな数字がないことを確信した。推測に過ぎない上に、元となるデータもない。だから専門家がこんな危険で、無責任なことをするはずがない。しかし私は素人である。自分ではそれなりに勉強したつもりだが、所詮、医学博士ではない。それを逆手にとって、素人だからできる無理で、無謀な憶測をしてみよう。

 

いまこの時点で“感染させ得る人”とはどんな人だろうか。くり返すが、ウイルスに感染してから回復するまでが2週間で、感染してから発症するまでが5~6日1)である。発症してからも他人に感染させ得るが、ここまで「風邪の人は出入り禁止」という風潮が定着すれば、発症した人が人前に現れることは考えにくい。だから他人に感染させる危険性のある人は、感染してから発症するまでの症状のない人となるだろう。

 

問題は検査に引っかからない無症状の人がいることである。大阪では一般の人に無作為にPCR検査を受けてもらう試みが始まっているが、これは感染している(つまり検査で陽性反応が出る)のに症状がない人を見つけるためである。

 

日々、都道府県が感染者数を発表しているが、これは当日、検査をした医療機関から自治体に報告があったものをそのまま公表しているだけで、感染した日ではない。これは症状が現れて医者に診てもらい、医師の判断でPCR検査を受けて陽性になった人と、陽性判定を受けたために保健所から聞き取り調査を受けて、それによって「濃厚接触者」と認定された人を検査して、やはり陽性が出た人を総計したものである。だから前者(症状が出た人)は当然無症状ではないが、後者(濃厚接触者)のなかには無症状の人がいる。しかし日本全国でこのような無症状の人がどれだけいるのかは、まったく見当がつかない。

 

人口のどれくらいの割合が「すでに」ウイルスに感染して「いたか」を調べるのが抗体検査である。抗体とは、ウイルスに抵抗するために人体内で作られた防御システムのようなもので、これ自体タンパク質でできている。だから抗体検査は迎撃タンパク質を調べるわけだが、これを持っているということは、「過去に」感染したことがあるということを示している。

 

これらに加えて「抗原検査」というのがある。以前述べたことだが、ウイルスは遺伝子をタンパク質が包んでいる構造であり、このたんぱく質を見つける検査である。PCR検査はウイルスの遺伝子を調べるのに対して(薬で遺伝子を増幅する)、抗原検査は膜のたんぱく質に反応するということである2)。

 

確認すれば、PCR検査の対象は遺伝子で、抗原検査と抗体検査の対象はタンパク質である。しかし「何を見つけるか」ということに関しては、ウイルスの存在を見つけるために行うのがPCR検査と抗原検査で、かつてウイルスと戦った痕跡(抗体)を見つけるのが抗体検査である。

 

ウイルスを見つけるにはPCR検査と抗原検査だが、一長一短がある。抗原検査は簡易で、検査結果もすぐに出るのに対して、PCR検査は高価で、結果が出るまでに時間がかかる。しかしPCR検査は遺伝子そのものを検査するため間違いが少ないのに対して(それでも偽陽性・偽陰性はある)、抗原検査は似たタンパク質にも反応してしまうため、間違いの可能性が高くなる。

 

抗体検査は人口のなかでウイルスに打ち勝つ抗体を持っている人の割合を調べるためのもので、無症状感染者を調べるものではない。だから人口内の無症状感染者の割合を知るためには、一般国民に対して大規模かつ無作為のPCR検査を行うしかない。しかしまだまだ人口の0.0数%以下しかいないため、本当に大人数(数十万規模)でないと確かな数値を得ることはむずかしい気がする。

 

このように、検査を受けていないが、感染していても無症状のまま、会食などで他人にウイルスをうつしている人がいると思われるが、その数を知ることは不可能である。だから私のような素人が、無責任に邪推するのも、危険ではあるが、許されるのではないだろうか。

 

どの数値を活用するかであるが、毎日、各都道府県が発表する数字を見ていると、数人から千人単位と、かなり幅がある。これを全国で均し、感染者数を日本国民の総数で割るのもひとつのやり方だが、そうすると人口比は得られても、“感染させ得る”数値ではなくなる。“感染させ得る”ということは、すぐそこにいる可能性を意味するからである。というより、厳密な言い方をすれば、私が無作為に選ばれた人と、マスクを着用せず、1メートル以内で、15分以上、会話をするとしよう。その時「その無作為に選ばれた相手がウイルスを持っている確率はいくらか?」という問いになるだろう。

 

これを知るには、ある特定の地域に住んでいるとして、「その地域内で“感染させ得る人”の割合がいくらか?」を求めなければならない。ということで、比較的感染者が多くて、かつ注目されている地域を選びたい。本当は大阪を事例にしたいが、本稿を書き始めた2021年4月後半の時点で、1日千人単位の感染者が報告されており、緊急事態宣言が発出された。大阪府の人口は882万人だから、人口比ではかなりの数になる。ちなみに、神奈川県の人口は905万人で、日々の感染者数が200~300人だから、大阪のたいへんさがよくわかる。

 

ということで、注目度から見て、東京都を選んでみよう。執筆時点で、ここも緊急事態宣言が発出されて少しは人びとの行動が変化したので、その前(2021年4月中頃)、じわじわと感染者数は上がっているが緊張感がなく、マスクなし会食が横行していた頃を思い起こそう。感染者数では1日500人という感じではないだろうか。

 

くり返すが、都道府県が発表する感染者数は報告があったものの総計で、東京の場合は午前中までに来たものを午後に発表している。だからニュースでは1日の数字とともに1週間の平均も出している。これを500としてみよう。

 

改めて“感染させ得る人”とはどんな人か。①感染したけれど発症する前の人、➁陽性反応が出ているが無症状の人、➂検査を受けていない無症状の人であろう。確認すれば、陽性者のうち2割が無症状だから、単純に500人のうち100は無症状ということになる(➁の人)。感染してから発症するまでを長くとって6日とすると、想像に過ぎないが、500人という数字がしばらく続くという想定で3000人が感染してから発症するまでに意図せずに“感染させ得る”状態にあると言えよう(①の人)。

 

ここまでは客観的な数字をもとに推測しているが、“感染させ得る人”には、さらに検査に引っかからない無症状感染者を入れなければならない(➂の人)。これは①➁と違い、まったく根拠のない数字になるから、適当に推測するしかない。私は安易に「陽性者中の2割」をそのまま外側に押し出してみたらどうかと思う。つまり陽性者の2割を単純に全人口に拡大して、いまある数値の2割分を足すということである。

 

素人の邪推の域を超えないが、それでも「2割を加える」にするのは、仮に2割を超えるとしたら、公表される感染者数自体も上がるのではないかと憶測するからである。つまり「感染者のうち2割は無症状」を事実上の法則と見なして、それ以上にはなることはないとの想定で、これを人口に拡大する。もし2割つまり500人中の100人を超えるならば、それは「感染者のうち2割」という法則を破ることになるから、100人を超えるならば、母集団である全感染者数も増えるだろうと考えるのである。

 

私でもできる足し算・引き算・掛け算・割り算をやっていくと、この時点で、東京都内で“感染させ得る”人の数は大雑把に4000人ということになる。東京都の人口を1400万人とすると、人口比では3500人に1人である。私が無作為に選ばれた人と濃厚接触するとして、その人が感染している割合は3500分の1で、確率で表すと約0.03%になる。

 

あまり実感のわかない数字だが、宝くじに当てはめるならば、いくつかのジャンボで10万円が当たる確率は5000分の1すなわち0.02%となっている。もし私の無謀な邪推が「中らずと雖も遠からず」ならば、感染する確率は宝くじで10万円が当たる確率よりも少し高いことになる。

 

私が発言力のある著名人ならとても危険な推測だが、そうでないから、ひとつの指針として用いたい。なぜ人びとは不用意にマスクを外して歓談するのか。ひとつの答えは、確率が低いから、あり得ないと想定してしまうため、となる。うなずけないことはない。

 

 

1)https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596861.pdf

2)https://www.businessclinic.tokyo/archives/2718

 

 

 

森田浩之(モリタ・ヒロユキ)

東日本国際大学客員教授

1966年生まれ。

1991年、慶應義塾大学文学部卒業。

1996年、同法学研究科政治学専攻博士課程単位取得。

1996~1998年、University College London哲学部留学。

著書

『情報社会のコスモロジー』(日本評論社 1994年)

『社会の形而上学』(日本評論社 1998年)

『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社 1999年)

『ロールズ正義論入門』(論創社 2019年)

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