矢口英佑のナナメ読み #081 『コロナと蕎麦屋と若女将』

No.81 コロナと蕎麦屋と若女将

 

                                                                   矢口英佑

 

本書に描かれた時代は、などと書くと、まるで研究書のように思う向きもあるかもしれないが、さにあらず。「そば処 初台丸屋」の〝若女将〟である著者が店の宣伝活動の一環として始めたブログの一部が本書である。その語り口は、軽妙で普段着のままなのに実におしゃれ。

 

本書に描かれている〝時〟は、コロナ襲来による最初の緊急事態宣言が発出される直前の2020年3月25日から、まだ終息の見通しも立っていなかった2021年9月2日まで、1年6カ月間の時代模様ならぬ、初台丸屋模様が描かれている。まさに〝コロナ時代〟真っ只中で、著者の持ち味によって絶妙な味わいが堪能できる「初台丸屋」からの時代報告書と言えるかもしれない。

 

コロナの襲来でもっとも大きな打撃を受けたのは飲食業だろう。「初台丸屋」も例外ではなかった。「経営は順調でした。それがコロナで180度変わったのです」(本書「はじめに」)と文字に記せばそれだけだが、とんでもない状況に追い込まれたのは想像に難くない。

 

当時、日本に住む者は外出を自粛して他人との接触を避け、企業は飲み会禁止令を出し、帰宅途中にちょっと飲み屋に引っ掛かることもできなくなった。外での食事ではマスクを外さず、会話は控えるなどの記憶はまだ生々しい。駅から乗降客が消え、ラッシュ時の電車でも乗客はチラホラ、乗客のいない新幹線が走り続け、スーパーマーケットやファミリーレストランも早仕舞い、店のネオンも早々に消えていた。

 

だが、客が店に足を運んでなんぼの飲食業では、客が来てくれないことには商売あがったりとなるのは明らか。多くの飲食業店が店じまいをしていったのもそのためだった。企業に勤める者の生活スタイルが変わったどころの話ではないのだ。

 

ところが、本書には苦境に追い込まれているはずなのに、綴られた文章からは一点の悲壮感も不安感も感じ取れないのは不思議と言えば不思議である。

 

「先まで埋まっていたご予約が全てキャンセルになりました。以来、毎晩閑古鳥が鳴き続けたのです。テレワークのお客様が増えたので、ランチ営業も静かになりました。外にお客様が並んでいた時代が遠い昔のようです。テイクアウトを始めても、給付金をもらっても、にっちもさっちもいきません。減り続ける店の預金残高と睨めっこする日々」

 

このような営業状況であれば、ため息が無意識のうちに出て、陰陰滅滅の精神状態に陥ってもおかしくない。ところがこの若女将は次のようにのたまうのである。

 

「しかし私は案外のほほんと過ごしていました。自分の営業努力がいたらないせいでお客様が減っているのであれば落ち込みますが、悪いのはコロナ。落ち込んだって仕方ありません。なるようになるさ、ダメになったらそのとき考えよう。そう思って過ごしていました」

 

〝くよくよするな。前を見て進め〟とはよく言われる言葉だが、若女将のポジティブな心理にはただただ感服するしかない。ただし、ご当人はこう記している。「「たのしい」などと言っていますが……。ここは丸屋の宣伝ブログなので、明るく前向きな空気を醸しだすよう努めております。でも実際の私は後ろ向きで陰気で意地悪です。いやなことがあると藁人形を用いて憂さを晴らしますし、頭の中はネガティブ一色!」

 

いずれにしてもざっくばらんな姿勢が来店する人びとにも強い好感度を与えていたのではないだろうか。開放的、楽観的な雰囲気を醸し出す若女将の接客姿勢は多分に自覚的であったようだが、決してみずからに無理強いしていたのではなく、天性のものだったらしいことは、本書のどのページを開いても納得できるにちがいない。

 

この開放的な、あけっぴろげな雰囲気は、次のような記述からも窺える。まずは本書の自己宣伝。

 

「ブログは、まだ私が包丁も持てず蕎麦も打てない頃に「私にできることをしないと給料泥棒になってしまう」と思って始めた宣伝活動の一環です。コロナとの奮闘を綴ったブログを抜粋したものが本書です。「旅行ができない」「飲みに行かれない」という、コロナが提供してくれた時間で読んだ本の感想、猪突猛進かつ荒唐無稽な父ミツカズを語った「号外」など、店にいらしたことのない方でも楽しめる内容になっています」

 

ここまでならまあ穏当なのだが、続いて、

 

「「俺が命令したら、はいと言って従えばいいんだ」と怒鳴り散らす父ミツカズ、「私はあなたの母ではない、姉なのよ」と突然言い出す母ひさこ、「これはあっちで買った方が安い、お金は大事。金、金、金!」と言い続けるしっかりものの妹理恵」

 

と、あっけらかんと家族紹介をされると、そこまで書くのかと心配しつつ、若女将の家の皆さんには申し訳ないが、のぞき趣味的傾向を持つ人間という動物からすると破格に面白い。「そこまで書くのか」のうえに、さらには転んでもただでは起きないしたたかさが躍動するのが次のような一文。

 

「昨日の朝からずっと、理恵とミツカズが大げんかを繰り広げていて、賑やかすぎる丸屋です。二人とも「店をもっとよくしたい」という熱い気持ちを抱いているのです。ただ表現の仕方が過激なのでぶつかります。どっちかの味方をすると巻き込まれて大変な目に遭うので知らん顔していますが、内心感心しております。飽きずによく喧嘩するなと……。元気すぎる74歳のミツカズVS仕事と家事と育児をひとりでまわすシングルマザー予備軍の理恵。理恵が勝てそうな気がするのですが、ミツカズも老体に鞭打って粘ります。熱血丸屋にぜひ、お越しください」

 

結局、家族の内輪もめをネタにお店の宣伝に使っているわけで、熱き丸屋に何としても行ってみたくなるではないか。

 

本書の俎上に上がってくるのは家族の面々だけではない。この店の〝ご常連さん〟たちも例外とはいかない。お客との交流、特に常連客との交流や著者の思いが実に率直に綴られていて、コロナ禍によって客足が遠のきがちな中でも顔を出してくれるこうした常連客への感謝の気持ちとそれぞれの人物評もさりげなく、しかししっかりと記されている。なかには顔写真付きで登場している〝ご常連さん〟もいて、〝若女将〟の眼に映ったご自分をどう感じられているのか、訊いてみたいところだ。

 

また本書の帯には落語家の古今亭菊千代師匠の一文が見える。なぜ落語家の師匠が登場するのか、その謎解きは本書をお読みいただければわかるはずで、〝若女将〟の交友の広さが窺える。

 

さらに、この〝若女将〟の仕事は接客と広報宣伝だけではない。正真正銘のそば職人であることが、2021年5月7日のブログからわかる。

 

「5日ぶりに蕎麦を打つと、自分はこんなにも蕎麦を打つことが好きだったんだなあと実感できます。うどん然り。かえしを作るのも幸せな作業です。たちのぼるかつおと昆布の香り。う~ ~ん♫ いい感じ。ニッポン人の魂に響きます」

 

〝若女将〟の打った蕎麦、一度は食べてみたいと思うのは私だけではないだろう。

 

そして、この日のブログは次のように結ばれている。

 

「複雑怪奇なコトになってきましたが、私が目指すのは1つだけ。丸屋はお客様がほっと一息つける場所。そうあるよう、努めます。おいしいことはもちろんですが、気軽な気持ちでのれんをくぐっていただけるよう、あたたかい雰囲気を保っていきたいと思っています」

 

職業上、お客が優先されるのは当然だろうが、マニュアル化された大量消費時代にあって、この〝若女将〟の言葉からは、お客との距離がなく家庭的雰囲気に溢れていることがわかる。今となっては希少価値と言えそうな、現代人が忘れてしまっている雰囲気に溢れる〝若女将〟が待つ蕎麦屋・初台丸屋へ出かけてみる価値は大いにありそうだ。

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

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