『コロナの倫理学』 ⑫情報空間論
森田浩之
テレワークの現状
日々の感染者数のうち半数以上は経路不明だが、感染経路がわかっている濃厚接触者は、①家庭内、➁職場、➂施設、④会食となっている1)。家庭内の感染を止めるのはむずかしいので、職場での感染を抑えるためにテレワークを進めたい。厚生労働省は「テレワークを有効に活用しましょう~新型コロナウイルス感染症対策のためのテレワーク実施~」というパンフレット2)を作成し、企業に導入を呼びかけている。
このパンフレットによると「テレワークとは、インターネットなどのICTを活用し自宅などで仕事をする、時間や場所を有効に活用できる柔軟な働き方です。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点からも、有効な働き方です。」会社側のメリットは「非常時に感染リスクを抑えつつ、事業の継続が可能」「従業員の通勤負担の軽減が図れる」「優秀な人材の確保や、雇用継続につながった」「資料の電子化や業務改善の機会となった」であり、働く側のメリットは「通勤の負担がなくなった」「外出しなくて済むようになった」「家族と過ごす時間や趣味の時間が増えた」「集中力が増して、仕事の効率が良くなった」である。
しかし『プレジデント』(2021年3月23日)は「1年に及ぶコロナ禍の在宅勤務のため運動不足で体力・筋力が低下している人が増えている。厚生労働省によれば、運動不足による国内の死亡者数は、喫煙、高血圧に次ぐ第3位でその数は年間約5万人に及ぶ」3)と警告。「外出しなくて済む」は利点だけではない。
また「家族と過ごす時間が増える」もよいことばかりではない。読売新聞(2020年7月12日)は「夫がテレワーク、主婦4人に1人が望まず…『ずっと家にいて家庭不和』」という見出しで「自粛期間中にテレワークを行った人の約9割が『今後も行いたい』と回答した。ただ、夫がテレワークをしていた専業主婦の約4人に1人は『今後はしてほしくない』と答えた。理由で最も多かったのは『夫がずっと家にいることで家庭不和になり、子どもに悪影響なため』だった」4)と報じる。
加えて、仮にテレワークがよいことだとしても、2021年4月から5月にかけての3度目の緊急事態宣言下では、テレワークはあまり進まなかった。2020年4月の1回目の緊急事態宣言では、出勤者の7割が削減できたが、今回は2割から3割に留まっている5)。テレワークに向かない業種が多いとか、オンラインのセキュリティに問題があるとか、ミーティングなど対面にこだわる風潮が強いとか、いろいろな原因が考えられるが、できるのに積極的でない会社もあるようだ。
NHK NEWS WEB(2021年1月14日)の「テレワークしづらくないですか?」という記事はSNSに投稿された声を紹介している6)。
「夫の会社はテレワーク推進とは言ってるものの前回の総括でさぼってるのではないかという話が出た。その結果、夫の上司は上への忖度のために基本出社。テレワークは上司の許可制にしたので夫は出社」
「別に出社しなくてもできる仕事で、東京のど真ん中勤務で会社もテレワーク推奨してるのに上司様の判断でテレワークになりません。上司の言い分は『他の会社がテレワークになる分、電車が空く』『効率が下がる!』『今回[2度目]の緊急事態宣言の主旨は飲食店!だからテレワークの必要なし!』」
「リモート環境も整ってるし前回の非常事態宣言時はすぐに在宅に切り替えられたし、いつでもテレワークできる会社なのに現在、誰もしてないうちの会社。理由は『誰もしてないから』。朝礼でも『今回の宣言は前とは違く経済活動を止めないから気を引き締めて頑張ろう』みたいなこと言われたし」
これについて専門家は「日本の雇用形態は欧米と異なり、従業員の職務範囲があいまいで、それぞれの関係性の中で仕事を進めてきたため、『同調圧力』が生じやすい特徴があります。『上司や同僚も出社しているから自分も』と本来テレワークしたくても、他者との関係で『心の足かせ』がかかってしまう状態です」と解説する。
テレワーク楽観論
しかし昨年春の時点では、「テレワークで働き方革命!」みたいなことが言われていた。この時期は1回目の緊急事態宣言の最中から、それが明けた頃で、感染に関してはまだ世間に重苦しい雰囲気があったものの、テレワークについてはコロナ後でも定着するのではないかと思われていた。
私がテレワーク楽観論を最初に感じたのはNHK NEWS WEB(2020年6月17日)の「『住まいはどこでもいい』さよならオフィス アメリカの新常態」7)という記事であった。冒頭で紹介されるのは、ボストンの会社に勤めているものの、カリフォルニアに住む人である。彼はオンラインのインタビューで「昔から当たり前のように続いてきた、会社員はオフィスと同じ地域に住む、という必要性はほぼ完全になくなったんじゃないですか。私の友人はハワイに引っ越しましたよ」と述べる。
記事は次のように解説する。「新型コロナウイルスをきっかけにしたテレワークの普及は、アメリカの企業と働き手を確実に変え始めていると感じます。中には、“オフィスそのものをなくす”という大胆な決断をした会社も出てきています。」
NHKはニューヨークにオフィスを構えていた会社のCEOに取材したが、そのCEOが決断した理由はふたつ。ひとつは「この時代、対面でなくても顧客と連絡を取り合える最新の技術が、かつては想像できなかったほどたくさんあります」(CEOの言葉)で、もうひとつは「世界一とも言われるマンハッタンの高額なオフィス賃料」であった。
住まいに関しては、東京でも似たような現象が起きている。Yahoo! Japanニュース(2021年3月8日)の「コロナ環境下で進む東京からの移住、脱出先は千葉、茨城県」8)によれば「東京都の転入超過数は大幅に減少していることがわかります。2019年8万2千人であった転入超過数が約5万人減少しています。これはコロナの影響により、東京での就職や入学を控えた人がいたことに加え、移住などにより、東京から他県への流出があったためではないかと推察されます」とのこと。
そしてテレワークは単身赴任という悪しき慣行まで変えようとしている。NHK NEWS WEB(2020年8月11日)の「『単身赴任 解消』に見る企業の変化 新型コロナで変わる働き方」9)は「今、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、単身赴任を解消しようという動きが出始めています」と述べる。
NHKが取材したこの会社は「新型コロナウイルスが拡大したことし3月下旬からは、オフィスで働く従業員を対象に『在宅勤務を原則とする』という働き方に変えました」と。「オフィスで勤務していたときと同じように在宅でも働けるだけでなく、通勤時間の削減や業務の効率化というメリットも出てきたといいます」となり、「会社がさらに踏み込んだのが、単身赴任をやめること」であった。
事例が以下のケース。「北海道出身で地元の工場に勤務している従業員が東京にある本社の管理部門に転勤する場合、これまでは北海道に家族を残して東京に単身赴任することもありました。しかし今後はテレワークを原則とし、業務に支障が無いと会社が認めれば、北海道で家族と一緒に暮らしながら、東京にある本社の管理部門の業務を行います。」
もちろん、すべての業種で完全テレワーク化は無理だし、望ましいことでもない。ポスト・コロナに向けて、コロナ悲観論に反比例するかのように花盛りだったテレワーク楽観論の中心は「ハイブリッド型」であった。『ニュースイッチ』というニュースサイトは2020年4月30日付で「新型コロナでテレワーク移行したが…不動産大手『オフィス不要論』への答え」10)という記事を掲載している。
この記事の「“働く場”、リアル・オンライン共存 『いいとこ取り』で進化」という見出しの中身には「その[オフィス勤務とテレワークの]バランスは企業や職種、時期などによって、複雑に変わる……。首都圏と関西圏、福岡県の全従業員が在宅勤務を経験する中で、まずテレワークの有用性を確認。郵便物の対応や書類への押印といった作業のために出社した人はいたが、いずれも代替できることを確認した」とある。
またザイマックス総研のサイトに掲載された「『コロナ在宅でオフィス不要論』は本当か? オフィス縮小派の声」(2020年9月16日)と題する記事11)は「[2020年]6月の企業調査では、『オフィスが不要になる』兆候はまだみられませんでした。コロナ危機収束後のワークプレイスの方向性について聞いた結果、46.5%と半数近い企業が『メインオフィスとテレワークの両方を使い分ける』と回答し、次いで『収束後は以前同様に戻り、あまり変わらない』(26.5%)が続きます」というデータを紹介。
インターネットニュースの『ITmediaビジネス』(2020年5月25日)も「コロナ後もテレワーク、『オフィス消滅』企業が続々」12)という記事を掲載し、ある会社について「同社では東京都など7都府県の緊急事態宣言([2020年]4月7日)の直前に、約50人いる社員のほぼ全員がテレワーク体制に移行し、コロナ終息後も続ける方針だ。今後、臨時の面会などに使う小さいスペースを借りるかは検討中だが、少なくとも社員の固定席があるオフィスは持たない」と説明する。
『スタログ』というサイトにも「オフィスは本当にいらないの?縮小移転とコロナの影響について」(2020年11月17日)という記事13)があり、「経費節減」(家賃・光熱費・交通費)とテレワーク継続を前提にした「オフィス最適化」のために「オフィス縮小移転需要」が高まっているとし、「今後のオフィスの役割」として「テレワークが進み、『オフィスという存在がなくても問題ない』と感じている人も多いかもしれませんが、一方でリアルなコミュニケーションも大事だと気付かされた人も多いと思います。集中して行うソロワークは、在宅勤務やコワーキングスペースなどが適していますが、アイデア出しや企画会議など、画面越しではできないコミュニケーションが大切な場合も多くあります。またオフィスに行き、社内外の人々と触れ合うことで得られる刺激が、業務の推進力になることもあります」と展望している。
その結果、BuzzFeed Japan(2020年6月24日)にあるように「同僚と直接会うのは、年に1度の忘年会だけ。『オフィスはいらない』完全テレワークな会社の経営哲学」14)となるかもしれない。
物理空間から情報空間へ
コロナの時代を生き抜くには、もともとの性格が大きく影響するだろう。いつまで経っても感染が収まらないのは、人に「群れる」習性があるからだ。「群れる」と書くと、蔑称のように響くが、単に人間が社会的動物であり、人間どうしのコミュニケーションが生きるのに不可欠だということを表現しているに過ぎない。
しかし群れ方にもいろいろあり、コロナ向きと不向きがある。少人数としっとり飲むタイプの人なら、大ごとにはならないだろうし、大人数で大騒ぎしたいタイプには、コロナは不利に作用する。
だから以下の叙述は、独りで居ることが好きな内向的でネクラな人間が一方的な見方を披露しているだけと受け取られるだろうし、実際そうである。しかしそういう生き方を提案してもいい段階に来ているし、むしろそういう生き方を世間にも許容して欲しいという意味も込めて、ウイズ・コロナ/アフター・コロナを通じた新しいライフスタイルについて考えてみたい。
そのために個人的な話をすると、私は基本的にはフリーランスで、そんなに多くない収入とはいえ、半分は執筆で、半分は講演で稼いでいた。しかしコロナ禍で一時期、講演の仕事がなくなった。
とはいえ「捨てる神あれば拾う神あり」で、昨年秋からオンラインで講演の仕事が戻ってきた。企業研修でICT(情報通信技術)について説明するので、世間的に言う「講演」というよりは「学習会」と表現するのが相応しい。クライアントはICT業界の人たちなので、すでにZoomの使い方に慣れており、そのなかに一度も使ったことがない私がいきなり放り込まれた。
だから、まだ紙媒体で資料を配っていた頃からのスタイルを変えられず、「画像の共有」でもWord文書をそのまま出したので、学習会後のアンケートで散々、ケチをつけられることになる。
しかしICTを専門のひとつにしていることもあり、もともとからテクノロジー好きなので、一度慣れると一気に使いこなせるようになった。「講演」というと、立って、聴衆に向かって演説をぶつように力を振り絞らなければならないし、そのためパワーポイントで説明するという技術屋的スタイルは効果的でないが、オンラインでは視覚的資料を駆使して、テクニカルなことをていねいに解説する語り方になる。
これがなんと私に合っていたのである。いまではパワーポイントを画像共有して、ただしいつまでも資料ばかりだと聴衆が飽きるので、たまに画像共有を停止して顔を見せることで、「ちゃんと聴いてくださいね」という意思表示をする。その使い分けに慣れると、むしろZoom学習会が楽しくて仕方ない。
Zoomと書いているが、たまにTeamsも使う。私は外部講師だから、主催者がホスト役になり、オンライン学習会をコントロールして、主催者が私に「招待」を出し、私がそこにログインする。だから私はZoomのアカウントを持っているだけでよく、Zoomの料金は相手が払っている。そうこうことなので主催者がTeamsを使っていれば、私はTeamsを立ち上げて、そこからアクセスしなければならない。しかし私もそうだが、ウインドウズを使う人が多いため、Teamsは慣れればZoomと操作性に違いはない。
ただ両方を使ってみると、画像の美しさや音声の感度はZoomのほうが上だ。人様に自分の部屋を見せられないのでバーチャル背景を使っているが、Teamsのほうが私の身体と背景との輪郭がぼやけており、Zoomが活用される理由がよくわかった。
立って話すことに慣れていたので最初は違和感があったが、もちろん内容にもよるが、私のようにICTというテクニカルなことを細かく説明するには、演説調でやるよりは、座って、パワポを使って、じっくり、とつとつ語るほうが最適だったと、いまさらながら悟っている。それもパソコンを見ながら、自分の資料を自身で自在に操り、話している途中で別の資料に差し替えたかったら、その場でブラウザを開いて、みんなに見せることができる。なんて私向き!
効用はこれだけではない。単純な話、私は自宅から学習会の講師の仕事をこなせる。要するに、電車に乗って、物理空間を移動する必要がない。これは本当に、本当に素晴らしい。呼んでくださり、交通費も払ってくださった主催者に知られたら、叱られるような話だが、たとえば私が東京に住んでいるとして、大阪に講演に行くとする。私は1時間の仕事のために、往復5時間も新幹線のなかに閉じ込められなければならない。
私は哲学を専門としており、いま白状したばかりだが、講演(というよりは学習会)ではICTについて解説している。少しこの話を続けるならば、これに「人工知能の哲学」を加えると3つの領域、というよりは2.5の領域を専門としている。
人工知能の哲学は英米で1970年代から80年代に流行った。コンピュータ言語は論理学を基礎にしており、英米の哲学を「分析哲学」と言うが、分析哲学も論理学を基礎にしているため(フレーゲ、ラッセル、ヴィトゲンシュタイン)、論理学に精通する哲学者が多く、この頃までのコンピュータ・サイエンスならば哲学者も理解できた。
だからイギリス留学時に分析哲学を学んだ私には、人工知能は、プログラム自体を書くわけではないが、専門のひとつである。しかしこれは哲学の一分野なので、哲学と「人工知能の哲学」を別にしなければ、ICTと合わせて2.5になる。とはいえ人工知能は現代ではICTの一部なので、私にとっては人工知能を媒介として、哲学とICTは一気通貫しており、哲学―人工知能―ICTはひとつながりである。
話が横にそれたのは、新幹線での過ごし方である。悲しいことに、私は乗り物で眠れない。ならば本を読んで時間をつぶすかというと、そのために上の3段落を書いたのだが、私は新幹線内で難解な哲学書を読むことができない。というより、家にいても、哲学書に対する時は、適切な環境を整えないと集中できない。最低でも2~3時間はまったく何もしなくてよい状況をつくった上でないと読み始めない。野暮用をすべて済ませて、哲学書と一対一の真剣勝負に入る。
哲学書との接し方を儀式にまで昇華させている変人からすると、車内で本は読まない。ならば音楽でも聴けば?と薦められるかもしれないが、これも変人の極致で、音楽もすべての環境を完璧にしておかないと、聴き始めない。クラシック音楽しか聴かないので、演奏時間中はいっさい邪魔が入らないような状況にしておく。
さらにクラシック音楽は音の大小が激しい。マーラー3番の第1楽章は壮観な8本のホルンから始まるが、これに音量を合わせると30分を超えるこの楽章の3分の2は聞き取れない。一方、牧神が目覚める前の冬を表現したフレーズに音量を合わせておくと、雪解け後の激しい旋律で鼓膜が破れてしまう。
要するに、私は1時間の講演のために、1日をまったく無駄に過ごしていた。新幹線の5時間に加えて、前後の移動と、帰宅後の疲れ。さらに主催者に知られたら絶交されるようなことを書けば、ご好意で宿泊すると、その分がまだ無駄になる。その上、当然のように会食に誘ってくださるのはいいが、たいていは夜遅くまで引っ張られる。
つまり私は「リアル」の世界で生きるのが困難な人間だから、オンラインという「バーチャル」に居心地のよさを感じている。ただし、飲み会が嫌いなわけではないことは明言しておきたい。出張だと昼間の講演が多いが、オンラインだと開催しやすく、企業研修だと終業後の18時開始が多い。そこで気を利かした主催者は、私のためではなく、参加者の親睦を深めるために、学習会後にオンライン飲み会を入れる。
これが素晴らしいのは、それぞれが好きなものを自分で用意できること。私はワイン好きで、超変人的なこだわりがある。別になんでも飲むのだが、健康のことを考えると飲み過ぎたくない。だから「いま飲みたい」ワインだけを飲みたい。カベルネソーヴィニヨンは悪酔いした経験から飲みたくない。ボルドー全般に興味がない。ある時、南仏系のグルナッシュやカリニャンに凝ったが、この1年はピノノワールしか飲んでない。加えて、次の日も早朝から散歩したいから、「ボトル半分まで」と決めている。飲みたい品種を飲みたい量だけ飲む――オン飲みだと自分で調整できるところが優れている。
だから私は以上の個人的な好みから、物理空間からの撤退を提案したい。コロナが終わっても、すべての学習会がZoomやTeamsで行われることを望みたい。出張をなくしたい。電車や飛行機に乗っている時間を省きたい。そのためには、みんなにオンラインの効用を知ってもらい、仕事と家庭を含めたライフスタイルをすべてオンライン化して欲しい。もしみんなが情報空間のほうが居心地がいいと思ってくれるようになったら、世界は大きく変わる。無駄な時間と労力が浪費されず、さらに素晴らしいことに、交通による環境汚染問題が解決される。コロナをきっかけに生き方を変えよう。
1)たとえば2021年7月中旬の感染経路がわかっている人の内訳については
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210715/k10013140681000.html
2)https://www.mhlw.go.jp/content/000716163.pdf
3)https://president.jp/articles/-/44362?page=1
4)https://www.yomiuri.co.jp/national/20200711-OYT1T50264/
5)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210508/k10013018731000.html
6)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210114/k10012812971000.html
7)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200617/k10012473341000.html
なお、この記事は、残念ながら、すでにサイト上から削除されている。ただし、「『住まいはどこでもいい』さよならオフィス アメリカの新常態」とGoogle検索をかけていただくと、そういう記事があったことは証明できるが、それをクリックするとNHK NEW WEBのホームページ上に飛んで「記事が見つかりませんでした」と表示される。引用元を提示できないので、本来なら、本文中からもこの記述を削除すべきだが、あまりにも秀逸な記事なので、ぜひ知っていただきたく、そのまま残すことにした。ご理解いただければ幸いである。
8)https://news.yahoo.co.jp/byline/torusaito/20210308-00226206/
9)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200811/k10012561741000.html
10)https://newswitch.jp/p/22056
11)https://soken.xymax.co.jp/hatarakikataoffice/viewpoint/column042.html
12)https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2005/25/news034.html
13)https://www.officetar.jp/blog/2020/11/17/reduced-relocation/
14)https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/monokakido-remotework
森田浩之(モリタ・ヒロユキ)
東日本国際大学客員教授
1966年生まれ。
1991年、慶應義塾大学文学部卒業。
1996年、同法学研究科政治学専攻博士課程単位取得。
1996~1998年、University College London哲学部留学。
著書
『情報社会のコスモロジー』(日本評論社 1994年)
『社会の形而上学』(日本評論社 1998年)
『小さな大国イギリス』(東洋経済新報社 1999年)
『ロールズ正義論入門』(論創社 2019年)