Ⅳ 日蓮仏法論
〈南無妙法蓮華経とは〉
題目は、究極の秘法では?
ここでは、数多く問い合わせを頂戴した中から、代表的なご質問について、お答えします。
質問 「南無妙法蓮華経の七文字こそが、釈迦の法華経(妙法蓮華経)を超える優れた大法で、釈迦自身が修行した究極の秘法ではありませんか」
結論から申し上げると、日蓮没後、日蓮の法華経信仰を最上のものとするために、そのように解釈・説明した人がいた、ということで、決して日蓮が直接、そう述べたわけではありません。
密教では、仏から伝授された秘密の法がある、とされています。密教の素養がある門下に対して、日蓮は、その前提を利用して自身の法門を解説しています。門下の素養に合わせて法を説き分けるのは、仏の知恵の象徴で、方便とも言いますが、そのようにして提示された日蓮の密教的解釈を、後世の人が敷衍したものでしょう。
日蓮は、妙法蓮華経という法華経の正式なタイトルである五文字と、それに南無を冠した七文字について、その決定的な違いを論じたことはありません。「法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱え給ふべし」と述べるように、阿弥陀仏と南無阿弥陀仏の違いと同じような使い分けをしています。
教義上の重要な論考の結論においても、「妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」、「五字の内にこの珠を裏み末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」としているほどです。日蓮が三大秘法という場合も、「本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」としていて、南無妙法蓮華経の七文字を特別視はしていません。まず、そのことを確認しておきたいと思います。
法華経というのは、万人が成仏できることを教理的な裏付けと、さまざまな証明をもって説いた唯一の経典です。それ以外の経では女性は成仏できない、とさえ説いていました。ですから仏教は法華経まで、とても差別的な教えでした。法華経で、はじめて実質的に万人を平等に尊ぶ思想が説かれるのです。
ところが、この法華経は、実は釈迦以前にも何度も説かれてきたということが前提になっています。つまり、法華経とは釈迦が説いたものだけを指すのではなく、今、我々が法華経と呼ぶ経典は、正確には「釈迦の法華経」と呼ぶべきもので、他の仏が説いた法華経も存在したのです。
例えば、法華経の不軽品には、過去に法華経を説いた威音王仏という仏の存在と、その仏が没した後に不軽菩薩が二十四文字の法華経を説いた、という物語が説かれます。この二十四文字の法華経が何を説いていたかというと、端的に「皆、仏になれる」と万人の成仏を説いているのです。威音王仏が説いた法華経も同様です。ですから、逆からいえば、万人の成仏を説いた経を、法華経と名付けているとも言えるでしょう。しかも、釈迦は、過去の不軽菩薩が、現在の釈迦自身である、とも述べています。
ここから分かるのは、法華経と呼ばれる万人の成仏を説く教説は、過去から繰り返し説かれ、その法華経を説く仏も過去から繰り返し出現してきたということです。そして法華経こそが様々な仏と経典を産み出す根源だったということです。
仏教では、ある仏の入滅後その教えが世から失われていく様子を、正法・像法・末法の三つの時代に分けて理解します。正法は仏の教えが世に行きわたって安定した時代、像法は形骸化が始まり不安定になる時代、末法は教えが世から失われ不幸に見舞われる時代です。先の不軽菩薩は、威音王仏の像法の末に現れて法華経を広めたと説かれます。
この不思議な状況設定は、そもそも何を表そうとしているのでしょうか。簡単に言うと、万人の平等を説く教え・思想が、時代の変化とともに失われて世の中が不幸になった時、新たな人物が再び万人の平等を説き、その思想を広めていく――これが永遠に繰り返されるということです。威音王仏→不軽菩薩→釈迦は、その流れの中にあるわけです。そして、その時代その時代に、新たな法華経が説かれてきたことを示そうとしているのです。
日蓮は、釈迦という仏の末法時代にいます。釈迦が説いた法華経への信仰が、念仏の流布によって急速に失われ、世が不幸に見舞われている。そう日蓮は理解しています。日蓮は南無阿弥陀仏の称名念仏に対抗して南無妙法蓮華経という法華経題目の唱題を広め、新たな法華経信仰、五文字・七文字の法華経を説いているのです。
日蓮は、当初、自らの仏法上の立場について、釈迦の法華経を、釈迦滅後の像法時代に中国で広めた天台大師、日本の伝教大師に連なる正統な僧と位置付けていました。ところが後には、釈迦が説いた法華経の文脈からみれば、日蓮は教主釈尊の久遠からの弟子であり、釈迦仏法の末法に五文字の法華経流布を託された菩薩である、と述べて、威音王仏→不軽菩薩→釈迦→日蓮の系譜に移しています。どうして、このような変化があったのか。この謎については、今後、答えに迫りたいと思います。
いずれにしても、ご質問の解釈は、法華経は時代によって更新され、それを説く仏も繰り返し出現するという前提を無視してしまっているので、少なくとも日蓮自身の仏法理解とは異質のものと思われます。
江間浩人
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