本を読む #071〈バンド・デシネとマックス・エルンスト『百頭女』〉

(71) バンド・デシネとマックス・エルンスト『百頭女』

 

小田光雄

 

初めて「バンド・デシネ」というフランス語を意識したのは1990年にベルナール・ピヴォー他編『理想の図書館』(パピルス)を編集していた時だった。これは49にわたる分野において、それぞれ49冊の書物を選び、「理想の図書館」をつくろうとする試みで、50冊目は読者が選ぶという遊びも仕掛けられていた。

 

その35番目が「バンド・デシネ」で、まだこのタームはほとんど使われておらず、「漫画」とするしかなかった。しかもその分野の情報も少なく、現在で「バンド・デシネ」として認知されている作品は、エルジェ『青いすいれん』とジャン=ミシェルシャルリエ、ジャン・ジロー『ブルー・ベリー』が挙げられているだけだった。しかも両書とも未邦訳で、後者がメビウスの作品だとわからなかったのである。

 

それから20年後に、「バンド・デシネ」の世界をピクチャレスクに開示してくれたのは、原正人監修『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社ムック、2013年)で、この1冊が啓蒙的案内書の役割も果たし、本格的に「バンド・デシネ」の世界に導かれていったことになる。

 

その1冊にメビウス画、アレハンドロ・ホドロフスキー作『天使の爪』(原正人訳、飛鳥新社)がある。これは『エル・トポ』などの映画監督ホドロフスキーの原作に基づき、メビウスの性的妄想世界を倒錯的エロティシズムとともに描き出した作品といえよう。これを読んで立ちどころに想起されたのは、マックス・エルンストの「ロマン・コラージュ」と称される『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』『慈善週間、または七大元素』(「眼は未開の状態にある叢書」1、5、6、いずれも巖谷国士訳、河出書房新社)である。その中でも、とりわけ『百頭女』を。

 

全9章、147葉からなる「ロマン・コラージュ」の『百頭女』はピクチャレスクなロマン・ノワールのようにして出現し、永遠の女「百頭女」と怪鳥ロプロプが繰り拡げる恐怖と夢幻の世界を現前させている。アンドレ・ブルトンは『百頭女』に「1930年を迎える前夜」としての「前口上」を寄せ、次のように述べている。

 

 マックス・エルンストこそは、近代の幻視の領野をひろげうる一切を前にしても、また未来および過去において獲得できるかどうかは私たちのみにかかっているような、数知れない真の認知に属する幻想を喚起しうる一切を前にしても、決して尻込みしない人間だったからである。(中略)

『百頭女』は、すべてのサロンが「湖の底」へと降りて行き、しかも、これを強調することこそ妥当なのだが、すべての魚の光沢、その天体たちの緊迫、その草の舞踏、その水底の泥、その映光の衣装をともなって漂うことがますます明らかになるであろう現代の、この上もない絵本となるだろう。

 

前回の『イレーヌ』の「訳者後記」で、生田耕作は1928年の少部数限定版がマックス・エルンストの『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』などの体裁によく似ていることから、Édition du Carrefour の秘密出版物ではないかと推定している。この版元は当時シュルレアリストたちの著作を数多く刊行していたのである。

 

サラーヌ・アレクサンドリアン『マックス・エルンスト』(大岡信訳、「シュルレアリスムと画家叢書」2、河出書房新社)所収の「書誌」を参照してみると、彼の「ロマン・コラージュ」の2冊は確かにその出版社から刊行されている。ただ刊行は1929年、30年なので、『イレーヌ』のほうが先行していることになる。この「シュルレアリスムと画家叢書」は「骰子の7の目」と謳われ、そこに監修者の瀧口修造は画家もまた「6の目の骰子を振りながら、その実は7の目を求めているのではなかろうか」と問い、「絵画では、いまや表現の伝統というよりも、欲望回帰のしるしだとさえ言ってよいかもしれない。そのように、絵画は執拗にも、眼あるかぎりの影像の生活とともにある」という一文を寄せている。

 

それらの画家たちはエルンストの他に、いずれもシュルレアリスム運動に寄り添っていたルネ・マグリット、ハンス・ベルメール、クロヴィス・トルイユ、ポール・デルヴォー、マン・レイである。この「骰子の7の目シリーズ」は1970年代前半にフランスのフィリパッキ社が出版したもので、若き「バンド・デシネ」の作者たちにも多大なる影響を及ぼしたのではないだろうか。そのように考えてみると、大判のグラフィックノベルと見なしてもいい「バンド・デシネ」が、エルンストの『百頭女』というロマン・コラージュ、彼に続くシュルレアリスムに同伴した画家たちを淵源として誕生したのではないかと推測されるのである。

 

この一文を書いているとき、古書目録が届き、東京都港区の山猫屋のところに、1962年の『イレーヌ』原書が掲載され、ハンス・ベルメールの銅板画口絵とあり、85000円の古書価が記されていた。これも同じくアレクサンドリアン『ハンス・ベルメール』の「書誌」を見ると、前々回の『イマージュ』も同様だとわかる。これらの出版とも、「バンド・デシネ」の成立はリンクしていると思われてならない。

 

 

—(第72回、2022年1月15日予定)—

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