(80) 山田双葉『シュガー・バー』と山田詠美
小田光雄
前々回の宮谷一彦『孔雀風琴』の版元であるけいせい出版は、やはり1980年代に「Keisei Comics」を刊行していた。それは「したたかに見つめてほしい。」というキャッチが付されたB6判の書籍コードのコミックシリーズで、その中の一冊として、81年に出された山田双葉の『シュガー・バー』があった。
それゆえに『シュガー・バー』は『孔雀風琴』と異なり、「バンド・デシネ」的な大判コミックではなく、一見凡庸なエロ漫画のようであるのだが、ここで取り上げておかなければならない。それは彼女が後の山田詠美でもあり、Sugar Barというタイトルや表紙カバーのイラストに示されたODE TO YOUR COCK は処女作『ベッドタイムアイズ』にもリンクしていくメタファーのようにも思えるからだ。
『シュガー・バー』には12の短編が収録されているが、そのうちの「洪水」「メモリーズ・オブ・ユー」「シリイガール」「ファンキー・ファック」は『ベッドタイムアイズ』へと結実していく試作のように読むことができる。それに巻末の同書編集者の小杉杏里によるコラムページ「漫中病院」(恐怖のマンガ中毒者を対象とする病院)は双葉を患者(クランケ)としての写真入りインタビューで、経歴、ファッション、漫画との関わり、マンガ観、趣味及び文学嗜好、酒とタバコなどのことをフランクに語らせている。
『シュガー・バー』所収の作品の「初出一覧」に見えているように、それらは『漫画エロジェニカ』『漫画大快楽』『ダンプ』などの掲載であり、山田双葉は79年頃から女子大生のエロ漫画家としてマスコミに露出し始めていたようだし、それは表題作にもうかがわれる。また彼女は明治大学漫画研究会に属し、その関係から女子大生のエロ漫画家へと転身していったとも思われる。実際に同じく「Keisei Comics」で『憂国』を刊行している いしかわじゅんは漫研の先輩とされるので、後の山田詠美にとって、漫研が揺籃の地であったことになろう。そのいしかわが「双葉・近接撮映者」という友情出演ならぬ、友情的「解説」を寄せているのだが、彼女の世界のコアを真正面から捉え、次のように述べている。
“ 双葉が興味を持って、焦点を定めるのは、目の前にある物だ。それも、現実世界に限られる。「女の子にありがちな」みたいな「空想の世界」というやつが、双葉からは見事に欠け落ちて居る。現実主義、と言う様な、自分の意志で選んだ事では無い。「現実」の「目の前にある物」しか、彼女に(ママ)は見ようとせず、また存在しないのだ。
具体的にいうならば、(中略)結局のところ、男なのである。
その、ごく狭い視界の中に居る「男」を、いかに認識するかが、山田双葉にとっての「まんが」なのだ。″
さらに引用を続けたいのが、これ以上長くなってはいけないので、ここで止める。最後のフレーズのところの「まんが」を「文学」へと差し替えれば、山田詠美の世界とも反転していくだろう。漫研をともにしたいしかわの眼差しは双葉のみならず、詠美をも穿っていたことになろう。それに編集者の小松も明大漫研の出身のようなのだ。
この連載でまったく意図していたわけではないのだが、明大漫研出身者のコミックをずっと取り上げてきたことをあらためて実感する。かわぐちかいじ『死風街』、ほんまりう『息をつめて走り抜けよう』、小崎泰博『幻の10年』、それに1960年代後半からのコミックムーブメントは明大出身者によって支えられ展開されていったようにも思われる。
これは塩澤実信『倶楽部雑誌探究』(「出版人に聞く」13)で聞きそびれてしまったのだが、長きにわたって双葉社で『週刊大衆』編集長を務め、阿佐田哲也『麻雀放浪記』などを送り出したにもかかわらず、彼が社長の座に至らなかったのは『漫画アクション』との競合で、その編集長清水文人の『子連れ狼』などの業績に及ばなかったからではないだろうか。清水もまた明大出身だったし、それは北冬書房の橋川文三の弟子、高野慎三も同様である。
またかわぐちかいじが『黒い太陽』(ソフトマジック復刻版)のインタビューで語っているところによれば、67年創刊の『ヤングコミック』編集者の鈴木茂、戸田利吉郎、松橋の3人が明大漫研出身者で、かわぐちの処女作「夜が明けたら」や『黒い太陽』が掲載されたのも同誌だったのである。それに他でもない宮谷一彦にしても、『肉弾時代』の「あとがき」において、2人の明大漫研OBの依頼で始まり、単行本化に携わってくれた小笹、かつ『ガロ』に断られた「風に吹かれて」を掲載してくれた高橋も同様だと謝意を述べている。それらの事実を知ると、1980年代に所謂「ニューコミック」を刊行していたブロンズ社、けいせい出版、東京三世社などにしても、編集者は明大漫研出身者が多く関係していたようにも思われる。
かつての早大漫研が「大人漫画」としての東海林さだお、福地泡介、園山俊二たちを輩出してよく知られていたが、明大漫研のほうはかわぐちの言によれば、「ジャリマン」(子供漫画)と呼ばれ、「バカにされ」、「学生がマンガを描くというのは、ちょっと肩身の狭い思い」もあったせいか、オーソドックスなエコールとならなかったような気がする。今度、北冬書房の高野に会う機会があったら、そのことを尋ねてみようと思う。
少しばかり横道にそれてしまったが、山田双葉=詠美に戻れば、最初に『シュガー・バー』を読んでいて、それから『ベッドタイムアイズ』に出会ったのである。そして彼女が私の小学校の後輩、私の風景の記憶と彼女のそれが重なっていることを知った。そのこともあって、拙著『〈郊外〉の誕生と死』で、彼女の『晩年の子供』の一節を引用し、同じく『郊外の果てへの旅/混住社会論』においては、『ベッドタイムアイズ』を論じるに至っていることを付記しておく。
—(第81回、2022年10月15日予定)—
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