矢口英佑のナナメ読み #035〈『モンタギュー・エッグ氏の事件簿』〉

No.35 『モンタギュー・エッグ氏の事件簿』

矢口英佑〈2021.1.5

 

 本書は論創社が長年手がけてきている「論創社海外ミステリー」シリーズ本の258冊目となるもので、イギリスの女性ミステリー作家として日本でも知られたドロシー・L・セイヤーズ(1893~1957)の本邦初訳3編を含む短編ミステリー13編が収められている。

 

 書名のモンタギュー・エッグ氏とはこの女性作家が生み出した主人公であり、本書にも〝モンタギュー・エッグ〟物として6編が訳出されている。

 

 ところで、本書の冒頭には「ドロシー・L・セイヤーズ協会」の事務局長で、同協会機関誌の編集主幹でもあるジャスミン・シメオネ女史からの次のような「推薦の弁」が付されている。

 

 今回、論創社からドロシー・L・セイヤーズによる諸短編の新訳版が刊行されることになり、とても嬉しく思います。収録作品は、いずれもセイヤーズの生前に出版された三冊の短編集のなかでも選りすぐりで、英語を母語としない読者には最もなじみやすいかもしれません。(中略)私はこの一書を強くお勧めします

 

 このようなお墨付きを与えられた本書に収録された13編のミステリーは、確かに〝選りすぐり〟と言える。また、このお墨付きは多数の作品からこの13編を選び出した訳者・井伊順彦の優れた選択眼への賛辞であり、海外ミステリーの翻訳、刊行を息長く続けている論創社への高い評価、信頼となっている。

 

 一般的にミステリー小説を読む場合、なかでも短編は石橋を叩いて渡るような慎重な読み方と緊張感を維持した読書姿勢が読み手に求められる。特に本書に収められた小説はそうした傾向が強い。要するに気が抜けないのである。雑念にとらわれたり、小説世界から少しでも目をそらしたり、離れたりすると、たちまちその小説の謎解きの妙味を味わうことができなくなる可能性が大きい。セイヤーズの描くミステリー世界が読者にそれを強いているとも言えるのだが、それが彼女の作品の魅力になっていることはまちがいない。

 

 たとえば本書の冒頭に置かれた「アリババの呪文」はドロシー・L・セイヤーズのもう一つのシリーズの主人公である、貴族で素人探偵の「ピーター・ウィムジー卿」物である。

 

  この小説はいきなり一人の男についての非常に丁寧で、細かい人物描写から始まる。ところが、ピーター・ウィムジー卿を主人公とするミステリー小説がセイヤーズにあることを知る読者からすると、それに続いて「ピーター・ウィムジー卿の遺書公表される」との新聞記事の場面には、いささか当惑するにちがいない。しかも、その記事を読み終えたその男が、

 

男はほっとためいきを洩らした。

「よし、これでいい。またよみがえるつもりなら、誰も自分の金を人にばらまいたりするまい。やつは死んで、ちゃんと葬られたわけだ。もうこっちは自由だ」

 

 最初から主人公が死んでしまっては、小説世界は成り立たないわけで、セイヤーズファンは先行きの不透明感からいやおうなしに緊張感に包まれながら活字を追うことになるのではないだろうか。

 

 一方、ピーター・ウィムジー卿を主人公とするミステリー小説がセイヤーズにあることを知らない読者は、この男が死亡記事を読んで、「やつは死んで、ちゃんと葬られたわけだ。もうこっちは自由だ」とつぶやくのはなぜか、その理由がわからないだけに、慎重な読み方が必要になってくるにちがいない。

 

 この小説は短編でありながら(いや、短編であるがゆえにと言うべきか)、物語の構成は実に緻密に計算されている。だからこそ、読者はその術中にもののみごとにはまり、大胆な強盗、強奪事件をいくつも起こした秘密結社の首領とその一味の逮捕に至って、ようやく主人公のピーター・ウィムジー卿までが死んだように見せかけなければならなかった大掛かりな仕掛けがあったことを知るのである。

 

 また、この小説は見えざるもの、窺いしれないものへの疑心暗鬼、恐怖心にとりつかれ、みずからの足元が崩壊していく犯罪組織の人間たちの心理の変化と、そのような疑心暗鬼が起きるように仕向けていくピーター・ウィムジー卿の剛胆な態度と沈着な応酬がもののみごとに描かれていて、読みごたえがある。

 

 次いで、本書の書名にもなっている「モンタギュー・エッグ」物についてだが、この人物はプラメット&ローズ酒造ピカデリー社に勤めるワイン訪問販売を仕事としている。社会的地位があるわけでも、高名な探偵というわけでもない。ごくありふれた市井の人であり、自分の仕事に忠実なサラリーマンでしかない。こうした人物が主人公だからこそ、読者はモンタギュー・エッグ氏と同列に並び、同じ目線で小説世界に入り込み、登場人物たちと接することができるのである。

 

 しかし、そんな平凡なワイン訪問販売人のモンタギュー・エッグ氏だが、事柄の成り行きや人物の行動、語られた言葉などに向けられる観察力と緻密な分析力は他の追随を許さない。ワイン訪問販売人は多くのさまざまな人びとと接するのが仕事であるだけに、相手を素早く観察、把握するアンテナが張り巡らされていても不思議ではない。またそう読者に思わせるような主人公を創出したドロシー・L・セイヤーズの人間観察能力が卓越していたとも言える。

 

 こうして、通常なら見逃してしまいがちな登場人物のなんでもない行動や言葉に鋭い観察力と推理力を働かせて、犯人を追求していく謎解きはスリリングに富んでいる。しかも読者には、そこに至って、ようやく、それまでさしたることではないと気にも留めずに読み飛ばしていた点こそが決め手だったのだとわかることがしばしば起きるのである。私が「短編は読み手に石橋を叩いて渡るような慎重な読み方と緊張感を維持した読書姿勢が求められる。特に本書に収められた小説はそうした傾向が強い」と言ったのは、そのためである。

 

 また「モンタギュー・エッグ」物には、この主人公に親しみを抱かせる一つの小道具が登場する。『販売員必携』という箴言集がそれである。セールスマンたる者がわきまえておくべき教えとも言うべき言葉が多く記載されているらしい。

 

 「毒入りダウ`08年物ワイン」という短編を例に取るなら、ある家を訪ねた折に顔を出した小間使いとの会話では「小間使いとの友好関係が商いの9割を占める」という『販売員必携』第10箴言がエッグ氏の頭にはあった、という具合である。しかし、この『販売員必携』は単に商品販売にだけ役立つのではない。

 

 わたしたちの職業では、妙なことがたくさんあるんですよ、警部——いろいろな物事に、いわば目をつけるよう仕向けられています。『目を見開いた販売員は、はるか山頂からの注文も見逃さない』(『販売員必携』所収の1項)ということです

 

 セイヤーズは実に巧みに『販売員必携』を小説展開上の隠し味として使っていることがわかるだろう。それだけではない。この短編では事件解決後、エッグ氏のとどめの言葉として、この箴言集が犯人逮捕の重要な鍵となったと告げられるのである。

 

 あの男はぼくのことを『若いの』と呼んで、出入りの商人は裏口へ回れと言ったんです。ひどい失策だ。自分が間違えていようが正しかろうが慇懃たることに如くはなしと、『販売員必携』に載っていましてね

 

 まるで『販売員必携』の箴言が事件を解決したと言わんばかりの結末であり、これによって読者は主人公が快刀乱麻を断つように事件を解決する近寄りがたい人物でも、自信満々の傲慢な人物でもないらしいことを再認識することになる。あくまでも謙虚で、顧客を重んじる一人のセールスマンであるこの主人公を読者は自分たちの仲間として受け入れていくにちがいない。

 

 本書には、そのほか6編のシリーズ物ではない作品も収められている。いずれも不透明、不確実な物事への不審、不安、怖れなどから生じるさまざまな心模様を巧みに小説世界に取り込んでいて、思わず小説世界に引きずり込まれていく。

 

 たとえば、「牛乳瓶」は配達された牛乳瓶が戸口の外に手つかずに残され、その家の夫婦が姿を消していることから、新聞のでっち上げ記事となり、波紋は広がっていく。近所の人びとの夫婦に関する噂や目撃談、新聞社や記者たちの右往左往、姿を消した夫婦がいた部屋からの悪臭、警察のお出まし、そして応答のない部屋に飛び込んだ警察官が目にしたものは・・・。

 

 結末は最後の2頁で明かされるのだが、それはここに記さないことにする。本邦初訳のこの小説、是非とも手にとって「あっと驚く」謎解きをお楽しみいただきたい。

 

 本書は、ミステリーの世界から離れたくないと後ろ髪を引かれる思いを久しぶりに私に味わわせてくれた一書と言える。

(やぐち・えいすけ)

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