矢口英佑のナナメ読み #061〈 『土俗と変革』〉

No.61「土俗と変革」

 

矢口英佑〈2022.10.18

 

書名である『土俗と変革』だけで本書の内容をおおよそ掴むことは難しそうである。サブタイトルに「多様性のラディカリズムとナショナリズム」とあり、二つの対照的な主義、主張、あるいは運動形態と思われ名称が併記されている。このサブタイトルで、どうやら本書が民俗学的にアプローチするのではなく、主義、思想について論じられているらしいと理解できる。

 

周知のように、ラディカリズムは、日本語では一般的には根源主義、急進主義などと訳されていて、保守的、伝統的な考え方や改良主義的な思想とは対立する。一方、ナショナリズムは、一つの民族、あるいは複数の民族が、国内的にはその統一性(歴史、伝統文化、言語、宗教等々)を守り、国外に対してはその独自性、独立性を保持しようとするため、排外的、保守的な傾向が強まる。

 

ただし、こうした一般的な説明ではきれいに分類できないことも理解できる。まさに〝多様性〟が二つの主義や思想の中に入り込み、それらの言説が相手(あるいは読者)に提示されるからである。したがって、たとえいずれの主義や思想に基づいて自説を語っても、語る人間の思考が多様であるだけにさまざまなヴァリエーションが現出することになる。

 

たとえば、現在、ロシアがウクライナに侵略し、ウクライナの国土、国民の生活を蹂躙しているが、ロシアの指導者プーチンはロシアを守るための正義の軍事行動だと主張している。だからこそロシア国内でプーチンを支持する国民が存在しているのであり、ナショナリズムというものがまちがいなく根底に潜ませている一面と言えるだろう。

 

また、ラディカリズムにしても多様な領域(社会、政治、宗教、思想、文化芸術等々)で進歩と変革を主張し、ときには急進的であるがゆえに極端な保守的言辞にもなり得るのである。

 

本書は《変革への視座》と《土俗からの出立》の二部構成になっている。前者には永井陽之助、橋川文三、大川周明、吉本隆明・江藤淳・葦津珍彦、保田與重郎、尾高朝雄、鶴見俊輔、北一輝、竹内好、小室直樹といった人物たちが著者の視座によって解析され、論じられている。これらの人物名を見ただけでも各人の主義・思想は多面的であることがわかる。それだけに、著者のこれらの人物たちへの接近と分析が生易しい作業でなかったことが窺える。

 

著者はその点を十分に承知していたからだろう、みずからの視座を固めてこれらの人物たちと向き合ったと言える。著者には、

 

 今、世界は混乱の渦中にある。それぞれの国家単位を中心にしたまとまりが崩壊しかかっており、(中略)私たちは、ここで立ち止まって、新たな平和のための枠組みを構想すべきではないだろうか(本書「はじめに」)

 

と述べているように、「新たな平和のための枠組みを構想」するという前提があり、本書刊行の目的もそこにあった。

 

著者は更に「はじめに」で次のように記している。

 

 私が冒頭に永井陽之助を取り上げたのは、俗にいわれる現実主義とは違って、ダイナミズムにもとづく現実的アプローチを高く評価したからだ。大川周明や保田與重郎、北一輝を取り上げたのは、日本にとってアジアがどんな意味を持つのかを再検討したいからである。欧米を絶対視する人たちは脱アジアを主張するが、今の中国の姿とは違った、もう一つのアジアがあるはずで、それを回復することで、新たな東アジア共同体を構想するというのが、私の持論である。

竹内好や鶴見俊輔は、片や中国文学の研究者であり、片やプラグマティズムの哲学者であったが、欧米に跪拝することなく、自らの思想を打ち固めた先人である。イデオロギーはどうあろうとも高く評価されるべきで、その二人をどう乗り越えるかが、私たちの課題ではないだろうか

 

著者はその他の人物たちについてもコメントしているが、上記の引用だけでも著者の視座がどこに置かれているのかほぼ見て取れる。

 

著者には「国家単位を中心にしたまとまりが崩壊しかかって」いると強く認識されている。だからこそ、日本という国の形をどのように再構築するべきか、その回答を見出すための作業過程が本書の《変革への視座》に収められた評論にほかならない。欧米に追随することなく、日本人が日本人として日本の国の枠組みを決めて国の形を作り上げ、アジアと連帯することを希求している。

 

著者は取り上げた人物たちの言説のみに依拠せず、幅広い知識、見識を駆使し、時には同様の、時には対立する見解を持つ人物たちの言説をも縦横に運用して自身の見解を披歴している。

 

ところで、本書が《変革への視座》と《土俗からの出立》の二部構成であることはすでに触れたが、この二つがなぜ結びつくのかは《土俗からの出立》を通読すれば、理解できるにちがいない。

 

「土俗」とは、辞書的に言えば、長くその土地で暮らす住民のことであり、その土地の風俗、習慣のことである。そして、著者も会津人として生まれ、会津人として生きている。それだけに会津出身者への関心も強く、《土俗からの出立》にはそうした人びとへの親近性の強い評論、伝記が収められている。

 

まさに会津という土地で生まれた人びとがどのように生きたのか、会津という土地の風俗、習慣の中でどのような思考方法を人びとは持ちえたのか、著者は丁寧に語っている。

 

「第一章 峠を越えなかった野口英世の母」「第二章 東北学の泰斗山口弥一郎――柳田国男の高弟の一人」「第三章 柳津虚空蔵尊謎の歴史――自由コミューンのアジール」「第四章 埴谷文学と祖父の墓――南相馬小高を訪ねて」「第五章 保科正之公の朱子学と山鹿素行の古学」「第六章 「戦友別盃の歌」の大木惇夫が浪江に疎開」「第七章 傑物後藤新平の須賀川時代」「第八章 明治の骨格を築いた渋沢栄一」「第九章 日米の架け橋たらんとした朝河貫一」「第十章 室井光弘さんの死を悼む――土俗の力を文学で表現」「第十一章 蓮沼門三と藤樹学――根本にあるのは「孝経」

 

著者によって語られたこれらの人びとの生き方や思考方法は、現在の日本の多くの地位域では、あるいはもはや失われようとしているものかもしれない。生まれた土地への強い愛着心、人間同士の強い結びつき、他者への優しいまなざし、粘り強さと責任感、使命感が読み手に伝わってくる。

 

著者は第一章に野口英世の母シカ(あるいはその家族)への「讃歌」とも言えるシカの伝記を置いている。著者の考える「土俗」とは何かを読み手に伝えるという意味では強い衝撃さえ感じさせる内容となっている。

 

「大志を抱いて医学の道に入った息子の英世は、シカを顧みることなく研究に没頭した。取り残されたシカは息子に一目会いたいと、たどたどしい手紙を書いた。それは個人的な感情のレベルにとどまらず、故郷を守る者の切なさであった」

 

 同じ会津人として、私は、英世だけでなく、その父母、さらに祖父母にも親近感を覚える。厳しい風土に生きる者たちは、逃げ場を求めたくなる。シカの母ミサは耐えられなくなって、越後街道に姿を消した。酒におぼれて身を持ち崩す夫佐代助のような男も多い。その一方では苦労を苦労と思わず、シカのようにひたむきに生きる者たちもいる。その両方を英世は兼ね備えていた。優しさゆえに世をはかなみ、悲観的になる。しかしながら、一度こうと決めたならば梃でも動かないのである」

 

著者は「「変革への視座」では難解な理論の解明に終始しているが、「土俗からの出立」は、会津藩関係以外はジャーナリスト的な平易な表現を心掛けた」(「はじめに」)と記している。

 

確かに著者の「変革の視座」を理解するためには、先ず「土俗からの出立」を先に読むことをお勧めする。おそらく〝難解な理論の解明〟を理解する大いなる助けになると思われるからである。

 

(やぐち・えいすけ)

 

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