矢口英佑のナナメ読み #082 『発掘テレビ秘話 昭和編』

No.82「発掘テレビ秘話 昭和編」

 

 

                                                     矢口英佑

 

 

著者は本書の「はじめに」で、

 

 「インターネットが普及する以前の地上波テレビは、もっとも影響力がある「メディアの王様」だったことは間違いない。だからこそ、そこに優秀な若い人材と多くの資金が絶え間なく集まり、個性のある番組が次々に生まれる下地を作っていったのだ」

 

と記している。

 

そもそも日本でテレビ放送が始まったのは日本の敗戦から8年後の1953年(昭和28年)だった。「NHK」が東京で本放送を開始し、そのほぼ6カ月後に民放の「日本テレビ」が開局している。当時は一日の放送時間が4時間程度で、NHKのテレビ放送受信契約者数はわずか866件だったという。サラリーマンの月給が3万円の時代にテレビ1台が30万円前後であったとなれば無理もない。そのため高い台の上に置かれた1台のテレビの前に黒山の人だかりができ、プロレスや大相撲の「街頭テレビ」を楽しむ時代だった。その6年後の1959年(昭和34年)、皇太子殿下と美智子妃殿下(現在の上皇上皇后両陛下)のご成婚の模様がテレビ中継されるとのことからテレビが普及し始め、さらに1964年(昭和39年)の最初の東京オリンピックでテレビの世帯普及率を大きく押し上げた。

 

テレビ受信契約者数が,1962年度末には1,337万9,000件に増大し,世帯普及率では全世帯の約3分の2にテレビが普及(世帯当たり普及率 64.8%)していた(「『NHK年鑑』で振り返る放送の歴史」 NHKメディア研究部 広川 裕)。

 

冒頭に引用した著者の言葉はこうした日本のテレビの最初期からおよそ10年が経過し、テレビの世帯普及率が全世帯の3分の2を超えた前後の「昭和」から語られているとみてよさそうだ。

 

 

本書は第1章 バラエティー編(全13項)、第2章 ドラマ編その1(全17項)、第3章 アニメ編(全8項)、第4章 ドラマ編その2(全13項)、第5章 人物編(全15項)で構成されている。目次には取り上げた番組にそれぞれ小見出しがつけられているのだが、おそらく著者が読書の眼を意識してのことだろう。本書は順を追って読む必要はなく、読者の興味の向くままに該当ページを開いて読めるだけに、小見出しは読者の興味を喚起するという点からは重要な働きをしている。その意味では著者のもくろみは十分に成功していると言えそうだ。

 

たとえば私の興味から取り出してみるなら、

 

バラエティー編

『8時だよヨ!全員集合』~志村けんとスイカの深い仲

『THE MANZAI』~ツービートの漫才を作った幻の作家

ドラマ編その1

『寺内貫太郎一家』~そこは下町「のような」場所

『蒼いけものたち』~名探偵・金田一がいない

アニメ編

『ゲゲゲの鬼太郎』~主人公が木の上で暮らす理由

『アルプスの少女ハイジ』~主題歌を歌った幻の外国人

ドラマ編その2

『チロルの挽歌』~高倉健の早口ことば

『ばあちゃんの星』~樹木希林のプロデューサー感覚

人物編

西田敏行~若き日に演じた悪役

井上ひさし~『ひょっこりひょうたん島』の成功と挫折

 

となるだろうか。

 

「「最高の娯楽」だったテレビ番組の数々について、長年にわたって、各所で雑文駄文を書き散らしてきた」と著者は謙遜して言うが、本書に取り上げた番組だけを見てもその幅の広さには舌を巻く。

 

また、「番組関係者から話を聞いたり、珍しい資料を調べた上で書いたものを優先した。取材の仕事なので会ったテレビ制作者や出演者から、初耳の情報を教えてもらうことが多々あり、それらを文中で紹介している」と「はじめに」で記している。

 

確かに番組を見ているだけでは知り得ない「テレビ秘話」が明かされていて、本書の帯にあるように「昭和の人気番組の知られざる裏話」が満載されている。おそらく1960年代半ば頃からテレビに親しんできた人なら本書が取り上げている番組のいくつかは間違いなく見ているはずで、それだけに大いに懐かしさと「へえ、そうだったのか」と初めて知る情報には事欠かないかもしれない。

 

たとえば〝ビートたけし・きよし〟の漫才コンビはツービートとして売り出し、毒舌のたけしが言い始めた「赤信号 みんなで渡れば怖くない」などは、今では日常会話の中の言葉として、誰が言い始めたのか知らないまま使っている日本人も少なくないだろう。いかにもたけしが言いそうな言葉だが、実際には原案者がいて、かなりどぎついギャグをたけしに伝授していた人物だという。ところがテレビ界の裏側を相当詳しく知る著者にして現在、この人物は杳として行方が知れず、情報をまったく持っていないという。タレント業界は浮き沈みが激しいところのようだが、テレビ界で息長く活躍するのが難しいのはタレントだけではなさそうで、いつの間にか消えていってしまうということなのだろうか。

 

また、樹木希林が脚本家という意外な一面を持ち合わせていたことを本書で初めて知った。「山県あきら」、これが樹木希林の脚本家としての筆名だという。男名前のこの脚本家は誰だろうとは思っても、まさか樹木希林だとは考えないだろう。しかもこの筆名で書いた最初の脚本は向田邦子原作のドラマ『時間ですよ昭和元年』で、脚本も向田が担当することになっていたのだが、遅筆の向田に代わって樹木希林自身が書くと言い出したというのである。さらに当時、まだ無名だったつかこうへいが樹木希林主演のドラマ『ばあちゃんの星』の脚本を担当することになったが、うまく書き進められず、脚本担当者をあらためて何人かに割り当てたようで、そのうち何本かは「山県あきら」が執筆したという。今となるとその名を知られた向田、つかこうへいに代わって樹木希林が書いていたとは演劇面の才能だけでなかったことに驚かされる。

 

さらには横溝正史の「犬神家の一族」が劇場公開されたのは1976年だそうだが、その6年前にテレビで「蒼いけものたち」としてドラマ化されていて、時代設定や役名を変えるなど多くの改変が加えられていたという。その結果、横溝正史が生み出した名探偵・金田一耕助が登場しないドラマになったというのだ。

 

劇場公開されて「金田一耕助」が一躍、脚光を浴びるようになるのだが、それより6年前にはそれほど注目された「探偵」でなかった。そのため「金田一耕助」を前面に出さない改変ドラマが制作され、全6話で放送されてそれなりに注目を浴びたという。だが、今となればこのような改変は考えられないところだろう。

 

このように本書は数々の昭和のテレビ番組をその裏事情も含めてふんだんに紹介されているため興味は尽きない。しかもそれらの番組を見ていた読者は一気にその時代に引き戻され、遠い記憶が鮮明な像として結ばれ、個人的な幾つかの思い出も一緒に浮かんでくることになるかもしれない。

 

またバラエティー番組でも出演者は入念なリハーサルと出演者間での打ち合わせなど時間とエネルギーを可能なかぎり傾注していたらしい彼らの熱気が著者の筆致から感じ取ることができる。

 

インターネット無しには生活が成り立たず、歩いていてもスマホを見続け、人とぶつかってもまだスマホを見続けている日本人が増えてきている現代社会では、他者と画面を共有することはない。他者を排除した孤立した人間の集団化が顕著となってしまっている。

 

しかし、本書が取り上げている昭和のテレビ番組は1台のテレビを前にして家族が一緒に見ていた時代である。まさに「もっとも影響力がある「メディアの王様」」であり「「最高の娯楽」だったテレビ番組」だったのである。

 

象徴的に言えば、孤独な視聴者など存在しない時代だった。それが昭和のテレビ時代だったと言えるだろう。

 

本書を通読してどこか温もりを感じるのはそのためかもしれない。

 

 

(やぐち・えいすけ)

 

 

 

 

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