本を読む #036 〈『澁澤龍彦集成Ⅶ』、ルイス『マンク』、『世界幻想文学大系』〉

㊱『澁澤龍彦集成Ⅶ』、ルイス『マンク』、『世界幻想文学大系』

                                        小田光雄

 鈴木宏が国書刊行会に入り、編集に携わった『世界幻想文学大系』を私も架蔵しているけれど、1冊だけ欠けている。それは第2巻のM・G・ルイス『マンク』で、その理由は1960年に井上一夫訳で刊行された東京創元社の上下本を所持し、すでに読んでいたからである。『世界幻想文学大系』の全作品にふれたい誘惑に駆られるが、それは本連載では無理なので、この一冊に代えることにしよう。

 

 この作品を知ったのは1970年に出された『澁澤龍彦集成Ⅶ』(桃源社)における『マンク(破戒僧)』の書評文によってだった。そこで澁澤は『マンク』が英国ゴシック・ロマンスの先蹤で、フランス暗黒小説の発端であるサドの『ジュスチイヌ』の刊行から5年目の1796年に出版され、両者の相互の影響を指摘していた。またアンドレ・ブルトンが絶賛し、アントナン・アルトーが『マンク』を仏訳していることも記され、次のような内容紹介もなされていた。

 

 高徳の修道僧アンブロシオを堕落の道にひきずりこむ悪魔の美女マチルダは、ゴシック小説の典型的人物となって、後の十九世紀ロマン派の作家たちに永遠の魅惑をおよぼしており、そのはるかな二十世紀における文学的投影というべき人物は、私見によれば、ナボコフのロリータであり、ロレンス・ダレルのジュスチイヌであろう。

 

 そしてさらにこの古典の翻訳が「そこらの大学教授」ではなく、「推理小説のベテラン翻訳家井上一夫氏の濶達な訳文によって、ここに日の目を見たことを、同好の士とともに喜びたい」ともあった。内容紹介もさることながら、井上はイアン・フレミングの007シリーズなどの訳者として、中学生の頃から馴染んでいたこともあり、すっかり読んでみようという気にさせられた。

 

 しかしこの『マンク』は早稲田のいくつかの古本屋で見つけることができたのだが、すでに1960年の出版から10年が経ち、絶版となっていたようで、古書価が高かった。定価が上下で560円のところが、1500円ほどだったように記憶している。そのために買えずにいた。だが現在と異なり、この時代は古書価にしても、都市と地方では値付けが均一ではなく、地方の場合は安かった。それで帰省の際に探してみると、浜松の典照堂のラベルが残されているので、価格は忘れてしまったけれど、安い古書価で入手したのであろう。またその絶版状態がずっと続いていたことも作用し、『世界幻想文学大系』の1巻として召喚されたと考えられる。

 

 『マンク』が60年に翻訳刊行されたのは、やはり東京創元社から58年から59年にかけて、ゴシックロマンを中心とする『世界恐怖小説全集』全12巻が出されたことと関連しているのだろう。この「世界でも初めての怪奇小説の系統的な全集」の内容と明細は、『東京創元社文庫解説総目録[資料編]』所収の江戸川乱歩たちの座談会「西洋怪奇を語る」、平井呈一「英米恐怖小説手引草」などを見てもらうしかないが、おそらく『マンク』もこのシリーズの企画として挙がり、井上訳も進められていたと思われる。だが分量的に2巻を占めてしまうので外され、上下の単行本として後の出版になったと推測される。

 

 また『世界恐怖小説全集』第9巻のM・シュオッブ他『列車〇八一』(青柳瑞穂、澁澤龍彦訳)の解説は澁澤が書いていて、先の『マンク』書評は『日本読書新聞』(61・2)掲載とあるので、その関係から澁澤に依頼されたと見なせよう。そしてさらにこの『世界恐怖小説全集』をベースにして、一九六九年に創元推理文庫として、『怪奇小説傑作集』全5巻が編まれた。そのうちの第4巻が同様の澁澤・青柳訳「フランス篇」に当たり、これも澁澤が「フランス怪奇小説の系譜」という解説を書き、それも同じく『澁澤龍彦集成Ⅶ』に収録されている。『列車〇八一』の解説は未見だが、それを加筆修正して、「フランス怪奇小説の系譜」は成立したと考えられる。

 

 あらためて読んでみると、澁澤のこの解説は力作で、18世紀末から19世紀にかけてのウォルポールの『オトラント城』や『マンク』の仏訳、スウェーデンボルグなどのオカルティストの活動、フリーメーソン、カバラ、錬金術の研究の隆盛、ボフマンに代表されるドイツロマン派の紹介とパラレルに成立した怪奇幻想小説の系譜をたどっている。その澁澤の淵源にしても、アンドレ・ブルトン編『黒いユーモア選集』といったシュルレアリスム文献によっていることは明らかで、『澁澤龍彦集成Ⅶ』の「アンドレ・ブルトンの鍵」や「『黒いユーモア選集』について」にそのことが語られている。ブルトンはサドの世界ばかりでなく、『マンク』などの「秘密の扉を次々にひらいて見せてくれた」と。

 

 その言をこちらに引き寄せていえば、『澁澤龍彦集成』全7巻は私たちの世代にとって、ブルトンの『黒いユーモア選集』のようなものだったといっても過褒にはならないだろう。澁澤もまた私たちに「秘密の扉を次々にひらいて見せてくれた」のだから。

 

 もう少し『マンク』の世界にふれるつもりでいたが、紙幅が尽きてしまったので、これが2011年にヴァンサン・カッセル主演、ドミニク・モル監督『破戒僧(マンク)』として映画化され、DVDでも見られることを付記しておく。

 

—(第37回、2019年2月15日予定)—

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