- 2019-4-10
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No.7 『里村欣三の風骨』
矢口英佑〈2019.4.10〉
〝転向作家〟、これが里村欣三に貼られている日本の文学史上でのレッテルにほかならない。その作家の小説・ルポルタージュを選集として一冊にまとめたのが本書である。
『交通労働』創刊号(1920年5月 日本交通労働組合機関誌)に掲載された事実上の処女作と言っていい「村男と組んだ日」から事実上の遺作となった「いのち燃ゆ」(『征旗』1945年1月号)まで、ほぼ25年間に里村が書き続け、発表していった作品42編が収録されている。
本書には副題として「小説・ルポルタージュ選集 全一巻」とある。常識的に考えれば「選集」と銘打たれた書籍は複数冊であろう。それが「全一巻」とあることに、少なからず驚きを覚え、つぎに四六判で779頁という頁数に度肝をぬかれる。なぜこのような体裁になったのか。これについて編著者である大家眞悟が「はじめに」で一冊にまとめた意図を次のように述べている。
「ただ一冊の本で里村欣三の作家的輪郭、相貌を示したい」、このひそかな願いを私は長い間持ち続けてきました。それは、実際の里村欣三の作品が、「苦力頭の表情」などを通して一般にイメージされているものとは大きく異なり、実に豊かな広がりと連続性を持ちながら、人生の終末に至る戦争文学のなかにまで続いている、そのことを知ってもらいたいという願いに他なりません
私はこの説明に納得しながらも、大家が自分の本音をいささかオブラートに包んだ、遠慮深い物言いにしているように見受けられる。そこで第三者の私が敢えて言い添えるなら、大家には「一般にイメージされている里村欣三」への異議申し立てと、それを修正させたいという切なる願望を本書の刊行に潜ませている、となるだろうか。より直截に言い換えれば、里村欣三を「転向作家」と評価してきた日本文学史に対して抗議と訂正を求めているのである。
この願望を満たすためには、読み手に余計な手間ひまをかけさせず、作品に簡便に触れられることが求められ、どうしても一冊にする必要があったであろうことは想像に難くない。さらに、最後まで本が放り出されない読み手への細かな配慮も欠かせなかったはずである。
そのように見るなら、巻末の「テキストの周縁から――解題に代えて」はその証しになるのかもしれない。収録されているすべての作品ごとにその作品の、まさに「周縁」が読み手の作品理解を深めさせたいという編著者の思いがにじみ出てくるかのように、丁寧に記されているからである。
それにしても一冊にまとめる作業は、一作ごとの作品への読み込みと深い理解、さらには全作品への統括的な目配りがなければ、とうていなし得なかったに違いない。その意味では、編著者の里村欣三への接近度は濃密で、里村にかかわる事柄の一つでも見逃すまいとする姿勢に満ちている。
それは本書の「あとがき」のさらにあと2頁分で「里村欣三発表作品リスト補遺」を付していることでもわかる。
最後にこの機会を借りて、里村欣三の「発表作品リスト」の補遺を次ページに掲載させていただきます。拙著『里村欣三の旗』(二〇一一年五月、論創社)刊行以後に新たに発見された里村欣三の作品リストで、本書に収載した「村男と組んだ日」「襟番百十号」「獺」「美しき戦死」などの情報もあります(後略)
この文中にあるように、本書と同様に論創社から刊行された大家の手になる『里村欣三の旗』から8年足らずの間に、35編の新たな小説、随筆、ルポルタージュなどが発見されていたようである。里村欣三の作品集は高崎隆治によって『里村欣三著作集』全12巻が1997年に大空社から刊行されている。しかし、すでに絶版で「この『著作集』に拾遺された作品に倍する中短編小説や論考が、なお手つかずに未収載のまま取り残されて」いた。大家の「ただ一冊の本で里村欣三の作家的輪郭、相貌を示したい」という熱い思いは、新たに発見された小説10編のうち4編を本書に収めるのにつながったようである。
その意味では、本書はこれまで里村欣三として評価されてきた作品はもちろんのこと、「手つかずに未収載のまま取り残された」小説への貪欲とも思える目配りによって構成され、編まれた小説集と言えるだろう。
構成と言えば、本書の目次を見ただけで、編著者の心憎いまでの仕掛けに気づくのではないだろうか。
徴兵忌避者、満州放浪者、プロレタリア作家、中国戦線での兵士、報道従軍記者、これが1902年3月13日に岡山県備前市で生まれ1945年2月23日、フィリピンルソン島の山中でアメリカ軍の投下した爆弾で爆死、42歳でその人生を閉じた里村欣三の生涯である。その里村の生涯が目次に目を通すだけで、おおよそ明らかになるように工夫されているからである。本書の構成について、大家は次のように説明している。
本書の構成は物語の「起承転結」に準じて、「起承展転輾結」として章立てました。「起」は始まりの章、「承」はその結果としての満洲放浪関連作品、続く「テン」のうち、最初の「展」は伸びる、発展する意でプロレタリア作家時代の作品、「転」はそこから動揺し転向する時期の作品です。「輾」は輾転反側、めぐる、ころがすの意で、 輜重車を曳いて中国戦線を転戦した時代、最後の「結」はマレー戦線報道従軍とその後の北千島、中国河南戦線・湖南戦線の報道従軍作品をまとめて収載しました。掲載順序は作品の発表年代順に近いものですが、内容の関連性によって多少前後しています
ちなみに、目次は次のようになっている。
「起―出発」(3篇)、「承―放浪」(9篇)、「展―プロレタリア作家」(9篇)、「転ー動揺」(6篇)、「輾ー中国戦線」(5篇)、「結ー従軍作家」(10篇)
大家がこのようにプロレタリア作家であった時代も、転向して従軍作家となった時代も、それがわかるように目次にすら示したのは、プロレタリア作家としての里村の作品を評価し、転向して従軍作家となった里村の作品を無視あるいは否定する人びと、その反対にプロレタリア作家であったということで作品を読もうともしない人びとへの〝教誨〟といった意識もあったからではないだろうか。もっとも大家は私の推測を否定するかもしれないが・・・。
私がこのように捉えるのは、本書の「はじめに」に大家の次のような言葉があるからである。
里村欣三の中国戦線における「戦争と文学」は「転向」の葛藤を通してプロレタリア作家時代の自己、あるいは作品と分ちがたく結びついており、相互に照射し合う関係の作品群であると言えます。こうした葛藤を顧みないでプロレタリア文学期の作品を評価することは不全なものだと思います。同様に、里村の代表作とされる「苦力頭の表情」で示した国境を越える労働者の連帯が、どのような眼差しとなって中国戦線の戦場の民衆に注がれているのか(中略)戦場の兵士に密着取材して、その純真な行動を賞賛し翼賛しようとするその文字、表現が、戦争の過酷さ、強いられた兵士の行動のあまりの傷ましさゆえに、結果として反戦を訴えるものになっている(後略)
大家が言う里村欣三の「作家的相貌、骨格」とは、言い換えれば、〝作家的肉体〟であり、それはプロレタリア作家、あるいは転向した従軍作家といったレッテルを剥がした奥に流れる里村の血肉化した確固たる人間に注がれる心根にほかならない。強権のもとに抑圧され、虐げられ、追い詰められていく弱者に寄り添う眼差しであり、同体感こそ里村の作家的肉体だったのである。だからこそ、大家が記しているように「戦争の翼賛が同時に反戦文学」となっている二面性を持つのは決して矛盾してはいないのである。
本書は里村欣三の作家としての連続性を広く理解してもらいたい、という大家の願いがエネルギーとなって結実した作品集にほかならない。
大家自身が本書について「里村欣三の作家的相貌を知るという意味ではほとんど揺るぎない骨格作品を収載しています。もとより「全貌」ではないが、「これが作家里村欣三だ」と言って間違いない、一冊で表すならこれしかない、そういう作品集となっていると思います」と満々たる自信を覗かせて語れるのはなぜなのか。
その回答は本書を手にした人なら了解できるに違いない。
(やぐち・えいすけ)
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〈次回、2019.4.20予定『フクシマの教訓』〉
『里村欣三の風骨』 A5変判上製800頁 定価:本体6,800円+税