矢口英佑のナナメ読み #009〈『星をかすめる風』〉

No.9『星をかすめる風』

 

矢口英佑〈2019.4.30

 

 本書は韓国で2014年に出版された「 별을 스치는 바람 」の翻訳である。

 

 韓国では、出版されるやベストセラーになり、イギリス、フランス、スペインを含む11カ国で出版されている。韓国で本書がベストセラーになったのは、むしろ当然かもしれない。なぜなら韓国人なら知らない人はおらず、その詩を口ずさんだことのない人などいないだろうと思われる、国民的詩人とも言える尹東柱が登場人物として、重要な役割を果たしているからである。それは書名からも見てとることができるだろう。

 

 「死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/私は心痛んだ。/星をうたう心で/生きとし生けるものをいとおしまねば/そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。/今宵も星が風にふきさらされる。」という尹東柱を知る人なら「序詩」という詩を想起するのはそれほど難しいことではないはずだから。

 

 ただし、本書を尹東柱に関わる新しい資料や見解に基づいた研究的な評伝として手にするなら、その期待感は間違いなく裏切られるだろう。この人物の誕生から死までの事跡・事象、そして、その間に書かれ、残された詩についての新たな解釈、分析を主な目的としてはいないからである。

 

 たとえば、聖書の「マタイの福音書」第5章3節〜10節には「心の貧しい人びとは幸いである 天国はその人たちのものである/悲しむ人びとは幸いである その人たちは慰められる/柔和な人びとは幸いである その人たちは地を受け継ぐ・・・」など8種の人びとに与えられる「幸い」が記されている。「キリスト教詩人」とも評される尹東柱だけに、この一連のイエスキリストの言葉は十分承知していたはずである。ところが、と言うより、だからこそ、と言うべきなのだろうが、尹東柱はこの聖句をまねながら「悲しむ者には 福(さいわい)があるはずだ/悲しむ者には 福があるはずだ・・・」と同じ句を8回繰り返し、「彼らは 永遠(とこしえ)に悲しむだろ」と結ぶ詩を書いている。

 

 この詩は尹東柱の詩のなかでも極めて慎重に扱うべき、重要な位置を占める詩の一つだろう。研究的な視点から、ある人物の評伝を書くとすれば、そこに「推測」はまだ許される場合はあるかもしれないが、「想像」や、ましてや「創作」を持ち込むことは許されない。信頼に足る資料に基づき、それらを積み上げ実証と検証を経てからでなければ、原稿として書き進めることはできないからである。

 

 本書の著者であるイ・ジョンミョンは〝研究的〟な文章執筆の不自由さを知りすぎるほど知っていたと思われる。たとえば、尹東柱は1943年7月に日本の同志社大学で学んでいたとき、治安維持法違反容疑で逮捕され、懲役2年の実刑判決を言い渡された。その後、福岡刑務所に収監されたが、それからわずか1年後の1945年2月16日、福岡刑務所で死亡している。

 

 27歳での死は、たとえ劣悪な環境下の刑務所での日々だったことを差し引いても、あまりにも早すぎはしないか、という疑問が生まれても不思議ではないだろう。ましてや、その死因さえ明らかでないのであれば、刑務所内での医学的な人体実験の犠牲となったという憶測が生まれるのも、これまた不思議ではない。

 

 著者のイ・ジョンミョンがこの不自由さの壁を打ち破る手法としたのが、〝創作する〟ことだったのである。尹東柱の死については、人体実験によって犠牲となったという疑いがずっとくすぶり続けている。しかし、どのような形にしろ、確たる証拠が残されておらず、「尹東柱は日本人による人体実験によって死に至らしめられた」と書くわけにはいかない。

 

 だが、これをフィクションとすれば書きたくても書けないという桎梏からは解放されるのである。こうした手法を採用するについては、国民的詩人とも言える尹東柱であるだけに、著者にとっても冒険だったことは、本書の冒頭にわざわざ〈凡例〉として記されている、次の文章が教えてくれる。

 

「1この作品はフィクションである。2この本の内容は当時の時代性と制度についてはさまざまな記録を基にし、収録されている詩は実際の作品に基づいた。ただし、実在した人物の性格と行動は、小説として自然なように再構成したフィクションである。この点について、ご遺族ならびに関係者の皆様にご理解いただければ幸いである」

 

 だが、著者の冒険はみごとに成功している。「小説として自然なように再構成したフィクション」は著者の筆を縦横に走らせ、文学的、芸術的な香りを馥郁と漂わせつつ、抑圧する者の暴虐と抑圧される者の悲惨さが刃となって読む者の心を切り刻むからである。

 

 ところで私は、本書では国民的詩人とも言える尹東柱が重要な役割を果たしている、と記したが、「主人公」とはしなかった。なぜなら本書はミステリー小説と言ってもよいストーリー展開になっているからである。そして、犯人追及の手を最後までゆるめず、ついに犯人を突き止めるのは尹東柱ではない。「戦時中、福岡刑務所看守部で看守兵だった私」こそが、本書の語り手であり、進行役を務めていくのである。

 

 だが、本書の進行役の「私」の位置は異様である。なぜなら「私」は「戦後、進駐米軍によってBC級戦犯に分類され、自分が番をしていた正にその監房に収監」されているからである。

 

「私」はこう語り出す。

 

 「今から話すことは、私自身のことではない。それは人間の魂を滅ぼす戦争と、罪のない人が死んでゆく残酷な話だ。私が見た人間と人間ではない者について、最も純潔な人間と最も堕落した人間について(中略)もう私はわかった。世の中がいかに残忍で、人間がいかに滅びやすいものであるかを。それでも人間の魂は、どんなに美しく輝けるものなのかを。(中略)私がこれからする話は、福岡刑務所で出会った二人に関する話だ。そのうちの一人は鉄格子の中に閉じ込められ、もう一人は鉄格子の外で彼を見守っていた。一人の囚人と一人の看守。一人の詩人と一人の検閲官」

 

 一人の囚人、詩人とは尹東柱であり、一人の看守、検閲官とは杉山道造という創作された人物である。この杉山は「すべての人間を敵と見なした。囚人の些細な行動ひとつ、ひと言の言葉すらも聞き逃すことなく、棍棒を振り回した。杉山は毒蛇のように悪辣で、狼のように狡猾だった」「彼は自分の感情というものを知らなかった。自分がどんな感情を抱いたのか、その感情をどう表現するのか知らなかった。彼の知る感情は、怒りと憎しみだけだった」という男である。その男が尹東柱の詩の素晴らしさに密かに心惹かれ、やがて看守であり、文書の検閲官でありながら、囚人の尹東柱の身を守り、秘密の地下図書館を作り焼却処分の書物を隠し、尹東柱と心を通わせていくのである。

 

 刑務所内で尋問され、暴力を振るわれ、そして自分を語り続ける尹東柱の姿と、小説中にはめ込まれていく尹東柱のいくつもの詩は、彼の思いが紛れもなくそうであったかのように実に効果的である。まるでその場面だからこそ生まれた詩句ででもあったかのように輝いている。著者の尹東柱の詩への理解が並々ならないものであること窺わせてくれる。

 

 物語はやがて杉山が殺されることで「私」の謎解きというミステリー仕立ての色合いが加わり、さらに尹東柱の人体実験による衰弱と死によって、二人の人物への疑惑と追求が始まっていく。

 

 しかし、本書は疑惑の解明で大団円となるわけではない。エピローグ「福岡戦犯収容所戦犯容疑者尋問記録」として「私」の言葉が残されている。ここにあるのは戦争批判であり、戦争責任の問題である。

 

 「自分で書いた詩を詩集として出すことさえかなわなかった詩人、名前を奪われた植民地の青年、他国の六畳間で一人沈んでいた留学生、母国語で詩を書いたという罪で手錠をかけられた囚人、遠い北間島にいる母を恋しく思う息子、微笑みが刺青のように口元に刻まれた美男子、そして、結局その微笑みさえ失った男」をこの世から抹殺してしまった戦争という狂気。

 

 そして「私」はこう言うのだった。

 

 「私は有罪です。私の罪は何もしなかった罪です。戦争の狂気に沈黙し、罪のない者たちの悲鳴に耳を塞ぎました。穢らわしい戦争を止めることもできず、人々が死んでいくことを防ぐこともできませんでした」

 

 なぜ「私」は刑務所内で起きたことを語ろうとするのか。

 

 「忘れなければ振り返ってみることができ、振り返ってみてこそ過ちを探せます。過ちを探せたら間違いを認め、間違いを認めたら許しを乞うことができ、許しを乞うと許されて、許されてこそ新しく出発できるからです」

 

 戦後74年が過ぎようとしている。日本人にとって戦争の時代は遥か彼方に霞んでしまっている。一方、著者のイ・ジョンミョンは日本人の「私」の口を通して、戦争を、そして戦争責任を、こう語らせている。

 

 私たちにはこのことから目をそむけてはならないだろう。

 

 

 

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〈次回、2019.5.10予定『荷風と玉の井』〉

『星をかすめる風』』 四六判上製426頁 定価:本体2,200円+税

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