- 2020-8-1
- 論創通信, オイル・オン・タウンスケープ
洞穴の気怠い面々──西台アパート 第二号(後半)
中島晴矢
《西台アパート》2020|カンヴァスに油彩|652 × 530 mm
住人以外にも、モレイには様々な連中が出入りしていた。
しばらく住んでいた奴にブルーノがいる。ブラジルで日本人の母親のもと育ったブルーノは、当時まだ十代だったが、DJと曲作りの才能で早くも頭角を現していて、SNSでもちょっとした人気者だった。最終学歴は小卒でも、日本語、英語、ポルトガル語を操るトリリンガル。銀の壁にポルトガル語で「pussy」を意味する単語や、「LSD」、そして下手くそなカタカナで「バカキッズ」などと書き殴ったのは彼だった。
ブルーノはいつも、紫に染めた長髪をうるさそうに搔き上げながら、バッドとハイを不安的に行き来していた。もちろん金はなかったから、すぐ誰かにたかって一服しては、とろりとした目で「チルだねぇ」と言うのが口癖だった。半年ほど共同生活を送ったが、一回り以上年齢の違う私たちとうまく折り合いのつかないところもあり、いつの間にか出て行ってしまった。
死体写真家の釣崎清隆さんも、一時的な避難所のようにして、モレイに滞在していたことがある。共通の知り合いであるキュレーターを通じ、退去しなければならなくなったという自宅から、家具やビデオ、レコードなどの私物を大量に運んできた。私たちは搬入を手伝いながら、夢中になってそれらを漁ったが、釣崎さん自身の映像作品や著作の在庫に混じって、怪しげなパケットや謎の小瓶がぎっしり詰まった、異様に重たい事務机を前にした時、皆で目を合わせ、何事かを了解し、無言のまま引き出しをそっと閉めた。
たいてい夜更け、ミリタリーブーツが階段で鳴らす、文字通り〈軍靴の音〉が聞こえてくると、釣崎さんの帰宅を知る。大概、彼はそのままあてがわれた根城に潜り込んでいったが、たまに一緒に酒を飲んでくれることもあった。背が高く、図体の大きい坊主頭で、とにかく人を寄せ付けない強面。だが、間違いなくアンダーグラウンド・カルチャーのスターの一人だったし、昔から愛読していた雑誌『BURST』などで仕事を知っていたこともあり、私たちは「釣兄」と呼んで慕っていた。飲みだすと明るい人ではあったものの、かなり強硬な右派思想の持ち主ゆえ、政治的な話題で場が緊張することが間々ある。しかし、そうしたことも含め、「メキシコ死体合宿」の体験談や、フィリピンで墓場をスクワッドしているギャングの話など、語ってくれる全てのエピソードは、極めて刺激的だった。
よく遊びに来たのは、今や売れっ子アーティストの小林健太や、阿佐ヶ谷でTAV GALLERYを運営するギャラリスト・佐藤栄祐、そして仇名を列挙してしまえば、番長、DEMIくん、ユルサンビーツ、ジヤさん、ハングルマスター・フラッシュ等々……皆どこか一様に社会不適合性を抱えた、しかし愉快な人間どもが入り浸り、下らない夜を幾晩も過ごした。
美大生だったタロウは、絶えず何かに苛立ち焦っていて、どんよりと淀んでいた。全てに投げやりなところがあり、モレイに来てはしばしば正体をなくす。
彼が前腕内側にタトゥーを彫ってきた日がある。図柄は十字架だ。なにせ初めてのタトゥーである、それなりの思い入れがあるのだろう。
「あれ、タロウってクリスチャンだったっけ?」
「違いますよ。なんでですか?」
「なんでって、それ」
「ああ、これですか? これは好きなTシャツの柄です」
「好きなTシャツの」
「はい。柄です」
「え、それなら着ればいいじゃない、その、Tシャツを」
「着るの面倒じゃないですか。タトゥーを入れれば着なくてもいい」
「いや、そうか、そうだよな……。随分カジュアルなんだね」
「別に適当ですよ。こんなのなんでもないですよ」
そう吐き捨てると、タロウはさもつまらなそうに俯向いた。
そんな調子で、上腕、両腕と、会う度タトゥーは増えていった。そのうち最初に彫った十字架が気に入らなくなったらしく、そこに新しい図柄を上書きして「これで消えました」とあっけらかんとしている。やがて日本を見限ったのか、大学を卒業するとベルリンに渡っていってしまった。
こうしたつながりを「コミュニティ」と呼べるのかはわからない。まして「コレクティブ」なんていう言葉で言い表すことはできないだろう。なんと言うか、それは〈共犯者〉のような関係だった。
私たちは夜な夜な狂騒に明け暮れる。アスベストが降り積もるガレージでの共演。イナタは絵具の粉末を調合し石粉粘土を捏ねる。モルフォビアがビートを打って、ヤンマーが壁面に「420」とボミングする。私はたいてい次の作品に向けたメディウムを弄っていた。夜毎にゲストが立ち替われば、滞留する空気と共に空間も変容する。それらの様相を、「面構えが流石にヤバいのではないか」という気づきによって、重機の上の小高いところへ〈祀る〉ことにした『Paid In Full』のレコードジャケットの中から、エリックB & ラキムが睥睨している。
スピーカー代わりのボロボロのマーシャルのアンプからは、常に爆音でヒップホップを流していた。ただ、近隣住民から苦情を受けたことはない。モレイの真ん前を通る首都高速道路が、昼夜を問わず騒音を放っていたからだ。音も声も、路上に漏れることなく搔き消される。さらに首都高を四六時中走るトラックによって、モレイは常にカタカタと微振動していた。私たちもまた、微振動しながら生きていたのだった。
私たちは世間の目を逃れるように引き籠っていた。ウツボの如く穴蔵に籠城していた。そしてアルタミラの原始人みたく各々の絵を描いた。そんな制作と生活の総体を支えるケイヴ・モレイが、イナタの言葉で言えば〈ILLなアーキテクチャ〉だと信じて疑わなかった。
いま思い返せばどうしようもない日々だったが、しかし、そこには確かに自由の手触りがあったように思える。
そうして夜通し呻いては、昼過ぎまで眠りにつくのだった。
*
都営西台アパートへの入口は、西台駅高架下の奥にある。
錆びついた階段を登って駅舎を過ぎると、広々とした敷地に居並ぶ高層の団地群が眼前に現れる。驚くべきことに、西台アパートは線路の上につくられた〈天空の団地〉なのだ。
どういうことかと言えば、まず地上には、三田線の車両基地がぞろりと列をなしている。その上に、分厚いコンクリートの人工地盤を造成。そうしてできた大地に、数多の団地が根をおろす───つまり、下部構造の車庫、上部構造の団地空間が一体化した、一つの巨大な建造物なのである。
そんな天上の敷地内に、ある生活圏が形成されている。ツインコリダー型で4棟並ぶ、14階建の高層団地。建物間のスペースには、数多く設置された彫刻のように大きなプランターから、草木が繁茂している。無意味に階段を登らせる公衆便所、だだっ広い駐輪場、グラフィティ未満のボム。区立保育園は見られるが、かつて小学校があった場所は、いま駐車場になっているらしい。団地の麓には、個人経営の小さな商店が一軒、ぽつんと残されていた。
人通りはまるでない。たまにマスクをした老人が手押し車を押している程度で、子供や若者の姿はほとんど見当たらなかった。
ここは、すぐ隣駅の高島平団地と緑道で繋がっている。昭和47年に入居が開始された高島平団地は、「東洋一のマンモス団地」と呼ばれたそうだ。西台アパートもまた、ほぼ同時期に建設されている。先述した新蓮根団地も含め、この一帯は団地と共に開発されたエリアなのだ。
当時、団地は新しい生活空間であり、庶民の憧れの的だったはずである。郊外におけるアメリカ型のライフスタイル。それは同時に、日本人の生活様式が個人化する契機でもあったろう。そうした密室の孕む意味が、現在の状況で問い直される。もともと団地は籠るためにこそあった。ここの住人たちも、等間隔に配されたあの窓々の中に、やはり閉じ籠っているのだろうか───。
少なくとも、この〈天空〉の地は物理的に〈下界〉から隔絶されている。そしておそらく社会からも、時代からも、あるいはウィルスからも?
ユートピアとディストピアは容易に反転し得るが、いずれにせよ、ここでは全てがくすんで見える。
ケイヴ・モレイの面々で、西台アパートに潜り込んだ夜を思い出す。
エントランスに設置された、ドナルド・ジャッドのミニマルなオブジェのような無数のポストをすり抜け、旧式のエレベーターで最上階へ。通路に出ると、廊下がずらりと放射線状に伸びる。かつて夢見られた未来のように、どこを切り取ってもあらゆるスケールに幾何学模様が展開されている。
中央部はポッカリと空いて、吹き抜けになっていた。下を覗き込むと、底の方は闇に包まれて、まさに深淵だ。ふと、高島平団地は飛び降り自殺のメッカだったという事実が頭をよぎる。大友克洋『童夢』のモデルとなったのは、埼玉県川口市の芝園団地だったが、ここも充分に不気味さを湛えている。「これは飛び降りたくなるな」とイナタがぽそりと呟いた。
屋上への扉はロックされ、隙間に鉄条網がはりめぐらされて這入れなかった。私たちは、ひとまず階段の踊り場に座り込んで、ジョイントを回す。
───検車庫の先にも団地が見える。実は、こちら側の建物は5〜8号棟で、解体された4号棟を除き、1〜3号棟は向こう側にあるのだった。あっちは東京交通局志村寮、つまり職員住宅だ。地面から生える何本もの柱の上に団地が乗っかって、敷かれた線路を跨ぐように建っている。天空の密室。地上から遊離した孤島。ここもまた洞窟だ。出口はどこにあるのだろう? 畢竟、自分たちがどこにいるかもわからない。……
長くボリュームのあるスロープを降りて、都営西台アパートを後にする。モレイと逆方向に歩を進め、たわいない住宅街をまっすぐ行くと、視界が一気に開けた。新河岸川だ。
対岸には製鉄工場のトタン屋根が低く連なっている。遠くのガスタンクが気球のように丸い。給水塔がまっすぐ空に突き刺さる。
頬を撫ぜる風が頗る心地良い。川は穏やかに流れていた。
*
ケイヴ・モレイに戻ると、相変わらず部屋は散らかったままだった。私以外出入りしていないのだから、当然か。
住人たちは、とうに四散してしまった。イナタは数年前から沖縄に移住し、現地の女性と結婚して、赤ん坊も生まれている。ヤンマーは北海道に帰ってから、どこか山奥の旅館で働いているという噂を聞いた。モルフォビアは中目黒に居を移し、たまに都合をつけては、いまもここで一緒に曲をつくっている。
腰を下ろしたところで、ずっとマスクをしていることにようやく思い至り、苦笑しながらマスクを外した。テーブルには吸殻で山盛りになった灰皿、虫食い状にちぎられた展覧会DM。プラスチック製のグラインダーを回し、DMをフィルター代わりに丸め、ペーパーの端を舐める───今度は、さっきより心持ち太く巻いて。
先端の紙縒を丁寧に炙って、思い切り煙を吸い込んだ。
指先に触れたヴァイナルを手に取る。沖縄のラッパー、MAVELのドーナツ盤。ジャケットはイナタのアートワークだ。その目玉のような図像に吸い込まれそうになりながら、朦朧としつつある意識でレコードプレーヤーに針を落とすと、部屋の四隅に設えられたスピーカーから低音が響く。
───どれくらい経ったのだろう、気づくと私は一人で踊っていた。
街は死んでいる。私も死んでいるのかもしれない。いまはただ踊り続けることしかできなかった。死人のカンカン踊り。らくだのように。この深い洞穴に籠って。
(なかじま・はるや)