矢口英佑のナナメ読み #054〈『日本近代文学の潜流』〉

No.54「日本近代文学の潜流」

 

                   矢口英佑〈2022.6.27

 

本書がどのような構成になっているのか、著者自身が過不足なく「あとがき」で記しているので、先ずはそれを引用させてもらう。

 

 本書の目次を一見した方は、何とまとまりのないタイトルの羅列だろうと思うかもしれない。その通りで、一貫したテーマ、ジャンルによる統一がないという印象は私も自覚している。とくにⅠの「近代文学の諸断面」が、エッセイあり長文の論文ありでバラバラの構成というほかない。(中略)Ⅱの「社会と文学をめぐって」は、ある程度の時代的共通性と社会的志向性をもった論文ばかりを並べたといえる。Ⅲの「人と人」は、私の文学的交友あるいは師弟関係の文章を集めたのだが、結果的に追悼文集のようになっている

 

本書には、「Ⅰ 近代文学の諸断面」として、18編が収められているが、その中の1編に数える「関東大震災と文学」には、「「空想」から現実へ ——上司小剣『東京』四部作の曲折」、「上田杏村『流言』の先駆性」、「一〇月号はどうなったか ——月刊文芸誌などの発刊事情」の3編が1編とされているので、実際には20編の文章が収められていると言っていいだろう。また「Ⅱ 社会と文学をめぐって」では、11編が収められていて、著者が言うように、時代的共通性と社会的志向性をもった論文が並んでいる。いずれも1910年代から1920年代に登場する作家を柱に論じられているが、ただ11編中の最後に置かれた「小田切秀雄の中の宮沢賢治——賢治の文学史的位置をめぐって」だけは、小田切に焦点が当てられているため、その内容をやや異にしている。

 

著者は「一貫したテーマ、ジャンルに統一がない」と述べているが、「私が思い立ったというより、こんなものを書いてみないかと縁ある方々から勧めていただき、書かせてもらったものも多い」というのであるから、むしろ「まとまりのない」のは仕方ないところだろう。

 

そして、著者の研究対象が1910年代から1920年代にかけての労働文学、民衆文学、プロレタリア文学であり、「まとまりはない」とは言うものの「一貫したテーマ」が本書には色濃く鮮やかに映し出されている。その意味では、著者の研究者としてみずからの足場を固めた、足腰のしっかりとした文章が収められている。

 

また、たとえ研究対象が100年前の文学であろうとも、現在の地平に立たない文学研究は意味を持たないことは言うまでもない。その意味でも著者の筆先は現今の社会にしばしば及び、本書からは現在を見据える著者の捉え方がよく見て取れ、その思考方法に首肯できるものが多い。

 

たとえば、「Ⅰ 近代文学の諸断面」に収められた「コロナ禍で、感染症と文学を考える」で、100年前に日本を襲ったスペイン風邪を取り上げている。志賀直哉の「流行感冒と石」(『白樺』1919年4月号)、「十一月三日の午後のこと」(『新潮』1919年1月号)、菊池 寛の「マスク」(1920年7月発表 初出不詳)についてである。

 

スペイン風邪は1918年から1920年にかけて世界で6億人が感染し、日本でも人口の約半数が感染、死者はおよそ40万人だったといわれている。日本の人口の半数が感染した事実からは現在のコロナ禍よりさらに大規模な感染状況だったと言える。

 

志賀直哉の「流行感冒と石」は幼い自分の娘がスペイン風邪に感染するのを神経質なまでに恐れる様子や「私」の生活ぶり、雇い人へのまなざしなどが描かれている。この作品を通して窺える志賀直哉のスペイン風邪に対する対応ぶりが著者の眼に現在の日本のコロナ感染状況が重なって見えてくるのは当然かもしれない。

 

当時の市民感覚以上に恐怖と警戒心、そして疑心暗鬼に襲われていた「私」は人びととの接触を避け、外出も控える徹底ぶりだった。著者はその生活ぶりは現在のコロナ禍と共通する予防姿勢だと評価している。その一方で、スペイン風邪が少し収まりかけてきた気の緩みからか、家族全員が感染してしまうのだが、それは「私」が植木屋に庭の仕事を頼んだため、植木屋から感染したと思うのだった。

 

面白いのは、家庭内クラスター発生の原因が植木屋だとして志賀は描いているのだが、著者はこの時期、志賀が一、二度上京しており、ウイルスを家に持ち込んだのは「むしろ志賀本人だった可能性も否定できない」と記していることだろう。

 

志賀がこの時期、上京していた事実を掴んでいた著者だからこそ、そして、現在のコロナ禍では、気の緩みから感染が拡大する事実を体験的に知っているからこそ、このような推測を可能にしたにちがいない。

 

もう一編の「十一月三日午後の事」にも著者の資料、文献への執拗な探求が作品への新たな接近を可能にしたと言える。

 

シベリア出兵を想定した演習で重装備の兵士たちが何人も路傍に倒れているのを目の当たりにした主人公が蒸し暑い日の強行軍が原因だとして怒りを覚えるのだった。

 

ところが著者は、兵士たちがこの演習で落伍者が続出したのは「流行感冒」のためだったことが新聞に掲載(『東京朝日新聞』1918年11月6日付け)されていると指摘する。作品化するにあたり、志賀には兵士の落伍と「スペイン風邪」とがまったく結びついていなかったわけで、その後の自作に対するコメントにも言及がないというのである。著者は次のように言う。

 

流行感冒を押しての強行軍でも、主人公の人間的な激憤を引き出し得る必然的描写が可能であったろうが、「私」すなわち作者にはその気づきがまったくなく、おそらく十一月三日のころは例の「気をゆるし」始めた時期だったかもしれず、それを経て、志賀一家もこの「スペイン風邪」に襲われてしまったと推測できる

 

志賀の作品世界と志賀の現実世界を往還しながら、かつ現在のコロナ禍での私たちの生活ぶりとも交錯させた作品理解が、たとえ推測が入っているとはいえ、このようにスリリングな読み方を可能にしたにちがいない。

 

著者はさりげなく「これまで、この作品で兵士がバタバタ倒れた理由が、「スペイン風邪」のためだと明らかにした文献はたぶんない」と記している。著者の資料、文献への執拗な探求心がもたらした成果で、その価値は小さくない。

 

「Ⅱ 社会と文学をめぐって」では、著者の関心が向かうところを読者に示すため、巧みな構成になっていると言える。結果的にその構成にいざなわれて読者は一連の論文を読み継いでいくことになる。

 

たとえば「一九二〇年前後の社会文学に見る大逆事件の底流」の中の「一九二〇年前後、四作家の隠された「大逆」」では、宮地嘉六、加藤一夫、賀川豊彦、小牧近江について、それぞれに大逆事件が落とした影について考察をしている。

 

この論文では小牧近江も取り上げられているが、その次に置かれている論文が「プロレタリア文学の出発点をめぐって」である。ここでは文学史的に見て、プロレタリア文学の出発点をどこに置くのかを論じているのだが、1921年の『種蒔く人』の創刊をその出発とするいくつかの文学史を紹介し、小牧近江の名前も当然、現れる。こうして読者は社会の動き、それに関わる文学的な動きが時代を受け継ぎ、そして、繋がっていくことを確認することになる。

 

著者は1912年の『近代思想』創刊こそが日本のプロレタリア文学の出発点と捉える飛鳥井雅道の主張を検証し、「定説は、いまも確固たる定位のうちにないことを改めて知った」として、1921年の『種蒔く人』の創刊をプロレタリア文学の出発点とすることへのためらいを示している。

 

この著者の「ためらい」の後に置かれているのが「宮地嘉六—<故郷>への幻視」であり、この作家について読者はすでに著者から一定の知識を与えられていることに気づかされるにちがいない。さらにプロレタリア文学の出発点について、飛鳥井雅道の主張があることを知らされている読者は1910年代から労働者出身作家として活躍を始める宮地嘉六について人間論、作品論を展開する著者の語りにも抵抗なくついていけるのである。それは新井紀一、加藤一夫と続く論述においても同様だろう。

 

本書について、著者は「おわりに」で「まとまりがない」と述べているのだが、その言葉が疑わしくなり、むしろ読者の目をそらさない構成上の仕掛けが施されているように思えて仕方ない。

 

こうして、著者の巧みな文章の配置によって、論じられた作家や作品が読者に抵抗なく咀嚼され、「文学史の表層から深く隠れてしまった作家、作品をそれなりに引き出しておきたいという」著者のもくろみは見事に成功している。

 

 

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