(87)山根貞男と『漫画主義』
小田光雄
『キネマ旬報』(2/下)の「2022年映画・TV関係者物故人」でも明らかなように、昨年はとりわけ多くの人々が亡くなり、同誌でも20ページに及ぶ「映画人追悼」が組まれている。その余韻も冷めやらぬ2月に、1986年から長きにわたって「日本映画時評」を連載していた山根貞男の83歳の死が伝えられてきた。
私も分野は異なるけれど、2008年から『出版状況クロニクル』を書き続け、同じ時評者として時代を併走してきたこともあり、ここで山根に関して追悼代わりの一編を書いておきたい。それは山根がかつて菊地浅次郎の名前で、リトルマガジン『漫画主義』同人だったこともあるからだ。菊地というペンネームは同時代の人々であれば、注釈は不要だと思われるが、もはや時代も異なるので、それが加藤泰監督、鶴田浩二主演『明治侠客伝・三代目襲名』(東映、1965年)の主人公名に由来していることも付記しておかなければならないだろう。
『漫画主義』は1967年に石子順造、菊地浅次郎、権藤晋(高野慎三)、梶井純(長津忠)によって創刊されている。私などは70年前後に早稲田の古本屋の安藤書店に置かれていたことを記憶しているけれど、書店では見ていない。それはともかく、『漫画主義』8の1冊しか手元に残されていない。私は『古本屋散策』や『近代出版史探索』などを上梓しているので、古書や資料収集に励んでいると思われがちだ。ところが実際には横着な読者にすぎない性格ゆえか、雑誌のバックナンバーや各種の全集類にしても、揃っておらず、歯抜けのままか、数冊しか所持していないことも多い。
『漫画主義』もそうした1冊で、この8の表紙は「一九七〇年夏号」とあり、赤瀬川原平による明らかにパロディとしてのマッカーサーとつげ義春の「長八の宿」のジッさんの並列写真ならぬ並列画が描かれている。また偶然ながら、その「後記」によれば、この号の編集責任者は「菊地」とあるので、他ならぬ山根によって編纂されたとわかる。このA5判80ページの内容を挙げてみる。
*石子順造「庶民性、あるいはあさましさの系列――太平洋戦争とマンガ家たち」
*権藤晋「自閉の世界を描くとは――青柳裕介の作品が示すもの」
*梶井純「子どもマンガの退廃とその構造――「社会派」と「破廉恥」が意味するもの」
*辰巳ヨシヒロ、菊地浅次郎、対談・なぜ劇画を画くのか――絵が巧みになって洗練されたらもうオシマイ」
*秋山清「ずいひつ夢二の漫画」
*新崎智「白土三平(1)」
これらの他に、権藤による長谷邦夫「毒をふくんだパロディへの志向」、菊地による津雲むつみ「十八歳、トッポ、自在性」という2本のインタビューが掲載されている。ちなみに新崎は後の呉智英である。
これらのタイトルを示しただけで、紙幅もなく、内容に踏みこんでいないけれど、まさに半世紀前の漫画、劇画をテーマとする同人雑誌の世界の位相を想像してもらえれば僥倖に思う。ただ現在から見れば、奇異に思えるかもしれないが、1960年代後半にあって、漫画を思想の問題とその位相において論じていたのは『漫画主義』によった少数の執筆者だけだったのだ。
しかしそのような『漫画主義』の読者層にふれておくと、「後記」におけるバックナンバー状況は1、2、3号は在庫なし、4,5号は僅少、6、7号は在庫ありと報告されている。67年に漫画状況と批評をコアとして、当初は「月刊」をもくろみ、それが「季刊」から「年刊」に至ったわけだが、推測するに各号とも5千部は発行されていたと思われる。8の奥付によれば、漫画主義発行所はやはり寄稿者の桜井昌一の営む東考社に置かれているが、取次ルートで流通販売されていたのではなく、直接購読と先述の安藤書店のような特約店によっていたはずだ。それでも5千部の販売は可能だったのであり、当時の一般的な取次、書店を経由しないリトルマガジン、同人雑誌の読者層の厚さを示していよう。
そうしたリトルマガジンや同人雑誌のラインから単行本も生み出されていったのであり、『ガロ』とも併走していた。それは『漫画主義』8の裏表紙に掲載されている『現代漫画論集』『つげ義春の世界』『対話録現代マンガ悲歌』に象徴されている。これらはいずれも青林堂からの刊行だが、その中でも『現代漫画論集』は石子順三、梶井純、菊地浅次郎、権藤晋共著と銘打たれ、『漫画主義』アンソロジーだとわかる。『つげ義春の世界』や『対話録現代マンガ悲歌』はそうではないにしても、この4人の論考なども収録されていることからすれば、『漫画主義』を抜きにしては語れないだろう。
実際にこれらを手がけた編集者は権藤晋=高野慎三のはずで、青林堂と『ガロ』と『漫画主義』のトライアングルからこれらの3冊も企画され、当時の漫画状況を刻印しながら送り出されたと見なせるのである。
なお山根の菊地浅次郎名義の『漫画主義』掲載論考はやはり高野によって、山根貞男『手塚治虫とつげ義春』として、1983年に北冬書房から刊行されるに至る。そしてここに山根が「日本映画時評」を始める以前には、漫画主義における「漫画時評」を担っていた時代が息づいていることを知らしめていよう。
(おだ・みつお)
—(第88回、2023年5月15日予定)—
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