(99)手塚治虫『新寶島』の復刻と清水勲『大阪漫画史』
2009年にやはり小学館クリエイティブから刊行された完全復刻版『新寶島』は、個人的に手塚治虫に対しての思い入れが少ないこともあって、それほどの驚きはなかった。
しかし辰巳ヨシヒロの『劇画暮らし』において、それは次のように語られていたのである。
昭和二十二年。ぼくたち兄弟は、衝撃的ともいえる大変なまんがに遭遇する。
その名は『新宝島』。
手塚治虫という初めて目にする作者の作品は、これまでのまんがの常識を根底から覆す、画期的な世界を構築していた。画面いっぱいに展開する登場人物のアクションのもの凄さ。それは、映画のカメラワークを越えて縦横無尽の躍動感を見る者に与えた。
ぼくたち兄弟は、この新しいまんがの登場によって、今までのまんがに関する既成観念を変更せざるをえなくなってしまった。
この辰巳の告白は手塚の『新寶島』がトキワ荘に集った藤子不二雄たちだけでなく、後年の劇画家にとっても、衝撃的にして画期的な作品だったことを伝えている。この事実は戦後のマンガが手塚の『新寶島』から始まったことを告げていよう。ドストエフスキーが我々はみんなゴーゴリから出たといった言を借りれば、戦後のマンガはすべて手塚から出たことになろう。ただ私は『近代出版史探索』367で「第一書房と宍戸左行『スピード太郎』」にふれているので、手塚や辰巳たちにしても、宍戸の影響も自明のように思えるのだが。
それでも手塚の衝迫力は辰巳や藤子たちのように、リアルタイムで受け止めた読者でなければ、再現できないだろうし、私たちが現在において復刻で読むこととはまったく異なる体験であったと想像される。そうした意味で、浦沢直樹が帯に寄せている「うらやましい。私もその時に生まれ、リアルタイムでこの作品と出会う衝撃を味わってみたかった」という言葉は実感に満ちている。
浦沢の言は復刻版を手にした実作者ならではの感慨であろうが、確かにこの一冊は戦後マンガの始まりのアウラを感じさせるし、貸本マンガ出版の奥行と多彩性を浮かび上がらせている。浦沢の先の言葉も見える「最初の衝撃」も収録されている付録「新寶島読本」において、竹内オサムは『新寶島』の出版状況に関して、次のように述べている。
『新寶島』は赤本マンガとして出された。いまだ中央の出版社が立ち直りを見せていない時期に、こまわりのきく、弱小出版社が、統制を逃れた仙花紙(板紙を薄く伸ばして漂白した用紙)を用いて行ったにわか出版物だった。戦後すぐ東京、大阪で盛んになったが、大阪では(中略)戦前から活動していた家村文翫堂、榎本法令館などの名が知られている。戦後になるとそこに丸山東光堂、不二書房、三島書房、育英出版、荒木書房、むさし書房などが加わる。『新寶島』の出版元である育英出版の藤田周二は、戦前から続く中堅の出版社家村文翫堂の元社員だった。
しかし大阪出版業界の正史といっていい脇坂要太郎『大阪出版六十年のあゆみ』や湯川松次郎『上方の出版と文化』にしても、これらの赤本マンガと弱小出版社に関してはほとんど語っていない。育英出版にしても、『新寶島』は40万部のベストセラーとなったと伝えられているが、東京へ移転後の消息は定かでないし、竹内が挙げている出版社の詳細な行方も同様である。私にしても、それらの貸本マンガと版元は『近代出版史探索Ⅱ』288の「貸本マンガ、手塚治、竹内書房」で取り上げているにすぎない。
それもあって、竹内がそこで挙げている『新寶島』の7種の異なる版には驚いてしまった。実際に彼は6種のバージョンを入手し、定価、描き版、写真製版の相違を論じている。それで小学館クリエイティブの復刻版の表紙と辰巳が『劇画暮らし』で示している書影が異なることを了承した次第だ。また中野晴行「『新寶島』と酒井七馬」は原作・構成の酒井七馬と作画の手塚治の関係を詳述し、酒井の既刊書や作品と手塚の習作も比較検討し、『新寶島』の分担の内実にまで言及している。まさに戦後マンガの名作のテキストクリティックにふさわしいし、小学館クリエイティブの復刻に伴うコミック研究の成果を伝えていよう。
またその後、同じくマンガ研究家の清水勲『大阪漫画史』(ニュートンプレス、1998年)を読む機会を得た。するとそこには「大阪『赤本漫画』の世界」と題された一章があり、11ページに及ぶ「戦後大阪の赤本漫画出版社と代表作一覧」がリストアップされていた。それらをたどっていくと、手塚の作品を刊行したのは家村文翫堂や育英出版のみならず、娯楽社、東光堂、不二書房、有文堂などで、とりわけ東光堂や不二書房は10冊以上を刊行し、育英出版以上に深い関係にあったとわかる。
ちなみに巻末の「大阪漫画史年表」はそれらの戦後のマンガ出版も一冊ずつたどられ、教えられることが多い。先の脇坂や湯川の2冊は『近代出版史探索Ⅱ』279や280でふれているが、この清水も著作も座右に置くことにしよう。
-(第100回、2024年6月15日予定)—
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