江戸川乱歩が「二銭銅貨」でデビューしたのが一九二三年。それがきっかけとなって日本における創作探偵小説の気運が高まり、多くの作家が登場し、何度もその隆盛期を迎えた。乱歩が築いた日本の近代的探偵小説を次のステージへと引き上げたのが松本清張であった。
清張が一九六一年に「探偵小説を『お化屋敷』の掛小屋からリアリズムの外に出したかった」(「推理小説独言」)と述べたことは、あまりにも有名である。この清張の発言が探偵小説界を席巻し、戦前の探偵小説やそれに準ずる作風は一掃されるに至った。
一九六〇年代後半になって、桃源社から刊行された国枝史郎『神州纐纈城』がきっかけとなって始まった戦前期探偵小説の復活は、ミステリの情報小説化・風俗小説化を飽き足らなく思っていた読書人を引きつけ、後に〈大ロマンの復活〉と名づけられるムーヴメントへと発展した。こうしたムーヴメントを受けて、雑誌『幻影城』が発刊された。
〈大ロマンの復活〉や『幻影城』の発刊は、戦前探偵小説のほとんどが読むに価しないものとして見なされてきた状況に対する疑問を突きつけ、一定の成果を上げた。しかし、江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭といった作家以外は、一部のアンソロジー・ピースを除けばほとんど読めないという状況が続いた。
ミステリはそのときどきの読書人の嗜好に合わせて読まれることはあっても、それを歴史的・体系的に捉え返し、位置づけるという作業はないがしろにされてきた。特に戦前期の探偵小説に関してはそうである。定番的な歴史書の内容がそのまま受け入れられ、現在の視点から評価されるだけで、発表された時代と作品に即して検討されることはないままだった。
論創ミステリ叢書は、日本のミステリがどのような作家によって担われ、どのような背景の下、どのような表現的苦闘を経て現在の隆盛を築いてきたのか、考えるよすがとなることを祈念して刊行されてきた。
日本のミステリは江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭といったスターたちだけで作り上げられてきたのではない。また戦後、松本清張の登場によって、いわゆる社会派ミステリが定着するまで、そして定着して以降も、社会派ミステリの隆盛をよそに、多くの作家が様々な試みを行ってきた。
巨きな恒星の周りで輝くキラ星の如きマイナー・ポエットたちの活躍を知ることは、必ずや新しい発見をもたらすだろう。