本を読む #084〈『つげ忠男作品集』と「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」〉

(84) 『つげ忠男作品集』と「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」

 

小田光雄

 

1980年代に北冬書房から『つげ義春選集』全10巻が刊行され、それらは大半が未読の初期作品集であったので、1冊ずつ買い求めていた。しかし限定千部だったこともあって、そのうちの1冊を買いそびれてしまい、結局のところ全巻を揃えることはできず、現在でもその巻は抜けたままである。

 

なぜこの選集のことを書いたかというと、実は長男が小学生の頃、本棚に並べてあった『つげ義春選集』をそれなりに愛読し、それと相俟って、隣にあった『つげ忠男作品集』にも手を出し、もう1人のつげのほうはよくわからなかったともらしたことが記憶に残っていたからだ。

 

その時はどの作品なのか聞きそびれてしまったが、それはさもありなんと納得した思いが生じたからでもある。ちなみにその『つげ忠男作品集』は函入、A5判上製の1冊で、1977年に青林堂から限定800部で出され、私が所持するのはその748と奥付に記されている。限定版ゆえかカラー口絵として「風景」と「巨人」の2点が貼りこみで付され、前者は雨に打たれる大鍋に小さな赤い布の端切れらしきものが結ばれ、後者は明らかにジャイアント馬場をモデルとしているとわかる。このように確認しているうちにあらためて思い出されたのは、この『つげ忠男作品集』を青林堂からの直接販売で入手したことで、そのために同書に定価記載がない事情を了解したのである。おそらく『ガロ』で、残部僅少との案内を見て注文したはずで、それが限定番号とリンクしているのだろう。

 

収録作品は「狼の伝説(一)(二)」「リュウの帰る日」「風来」「旅の終りに」「青岸良吉の死」「野の夏」「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」の7編である。巻末の「収録作品掲載誌」によれば、68年から76年にかけて主として『ガロ』に発表されたものであり、それらは『ガロ』増刊号の「つげ忠男特集」などで読んでいる。だがあらためて『つげ忠男読本』(北冬書房、1988年)所収の「つげ忠男作品リスト」と照らし合わせ、読んでみると、この『つげ忠男作品集』は彼の1976年時点での自選集のように思えてくる。

 

戦後の日本は60年代の高度成長期を経て、70年代前半に消費社会化し、50年代の町や風景は後退し、バニシングポイントへと向かいつつあった。そのような時代において、「狼の伝説」から「青岸良吉の死」までのサブやリュウなどの放浪を続ける与太物、場末のさびれたアパートの人々が描かれ、戦争を引きずり、そのトラウマから回復できないでいる社会の痕跡をひっそりとトレースしているようにも思われた。それらの次にささやかな慰安の風景といっていい利根川での釣りをテーマとする「野の夏」が置かれ、主人公はウキを見ながら「たかが……じゃないか」というつぶやきをもらしたりしている。

 

そして最後に「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」が『つげ忠男作品集』の掉尾の一編、クロージングとして置かれている。発表年代ではこの作品が最も早く、68年の『ガロ』においてで、それをきっかけにして、彼は翌年から『ガロ』を中心とし、毎月のように作品を発表し、それは76年まで続いていくのである。そうして生み出されたのがこの作品集ということになる。その意味において、「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」という作品はつげ忠男がそれまでの貸本漫画家からテイクオフし、『ガロ』によって新たにデビューした作品とも見なせよう。それゆえに「狼の伝説」などの物語にしても、そこから始まっていることが逆にたどれるように、作品集の最後に置かれていると考えることもできる。

 

この34ページの作品は主人公の青年が「ゴッホの作品にはなぜ自画像が多いのだろうか?」と自問している場面から始まっている。彼はゴッホのファンのようで、部屋にその複製の絵を集めていて、それらが背景に描かれている。そしてゴッホの画歴をたどり、パリ時代も「セーヌ河」「パリ祭」などを残しているが、やはり自画像が一番多いことに注視する。またゴッホの生涯もたどられ、その失恋のダメージによって29歳の時に描かれた「慟哭する男」にふれ、これが部屋の隅にあり、「初期の作品で僕はこれが好きだ」と語られている。

 

さらに続けてゴッホの職歴や放浪生活も挙げられ、青年はゴッホのことを考えながら眠りにつき、夢の中で、それらの絵を見ているところに、学生運動家らしき五郎がモツ焼と酒を持って訪ねてくる。ここで青年が絵を画く趣味とする会社員であることが明かされる。彼を前にして五郎はモツ焼を食べながら、今は学生も労働者も団結する時で、佐藤首相南ベトナム訪問反対デモなどでの負傷が語られ、日本のアメリカ基地化と日本社会批判が怪気炎のうちに展開される。そして五郎はいう。「今は絵なんか書いている時ではない・・・それにどうして自分の画をかかないのです!」と。青年は応える。「いいんです、僕は別に画家になるつもりはないですから・・・つまり何の意味のない真似絵だからこそ書き続けるのです。僕は僕なりにある種のボーズを示しているつもりですがね」と。

 

それを聞き、五郎は「すべて理屈より行動です」といい、「頑張ろう突きあげる空に」と歌い出す。青年と五郎のことはここまでふれればいいだろう。さらに青年はゴッホのその後をたどり「最後の自画像」も示し、1890年7月のピストル自殺による死までをなぞっていく。「二十九日午前一時三十分息を引き取った。三十九歳だった」と結ばれ、青年は夜の暗闇の中で、「ザーザー」と降る雨音を聞いている3コマに及ぶ最後のページで、「丘の上でヴィンセント・ヴァン・ゴッホは」は閉じられている。

 

私はこの2年ほどゴッホが最後に描いた烏の飛ぶ麦畑の複製を壁にかけ、アントナン・アルトーがその黒い烏を見て、地の底から不吉な黒い影が彷徨い出たかのようだと語っていたことを思い出している。今度息子に会ったら、よくわからなかったという『つげ忠男作品集』の思い出を尋ねてみるつもりでいる。彼はどのように読んだのだろうか。

 

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