- 2022-7-19
- お知らせ, 論創通信, 矢口英佑のナナメ読み
No.55「オイル・オン・タウンスケープ」
矢口英佑〈2022.7.19〉
書評する際、著者がどのような経歴を持ち、どのような活動をしている人なのか予備知識なしで読み出すのを常としている。そのため、著者は文章も書く人らしいが、絵も描いているらしいというのが本書を手に取った最初の感想だった。扉の8頁にそれぞれ1枚ずつの絵がはめ込まれているからで、著者にはおそらくどの絵にも強い思いがあるのだろうと、おのずとそれらの8枚の絵に先ず眼が行ってしまった。通常は目次に目を通して、手にした書物のおおよその外観を私なりに知ろうとするのだが、今回はいつもの手順が狂ってしまった。
そのためか、カタカナの並んだ書名の意味が明瞭につかめないまま、8枚の絵を見ると、建築物や街そのものが主役の都市の風景ばかりで、人物はほとんど描かれていない。8枚の絵のうち「MIYASHITA PARK」と「アトリエクロー」を除いた6枚はすべて遠景で、建物などの輪郭は明瞭ではなく、色調も重いように感じられる。それぞれの絵には「町屋風景」「大川水景」といったキャプションとその絵を描いたカンヴァスの大きさが記されていて、ようやく書名の意味するところが理解できた。
目次には、それらの風景画の順に「第一号 浮浪する根拠地――町屋風景」「第二号 洞穴の気怠い面々――西台アパート」といったように、扉の風景画のキャプションにある街そのもの、そして、そこで出会った人びと著者とが関わる物語が第八号まで並んでいる。
本書はそれらの街と著者との関わりの独白であり、著者によって語られる自分史へのいざないである。言い換えれば、これらの街の匂いを吸い込み、街の空気に全身で触れてきた著者自身の存在証明を書きつけていると言えるだろう。したがって8つの街と著者と、そこで知り合った人びととの交流の色合いはそれぞれであり、共有した時空間も異なっている。
たとえば「第五号 丘の上のヴァレーズ――麻布風景」には、「私の<東京の原風景>は、中学高校時代に通った麻布である」という記述が見える。この麻布には二重の意味があって、麻布という街と著者が通った「麻布学園」が重なっている。
中・高校という多感な時代の「麻布学園」から「麻布で過ごしたあの六年間が、「自由」そのものだったのは確かである。それは私の人生にポッカリと空いた、巨大で濃密な空白だった。(中略)もっと根本的に、「自由とは何か?」という問いを刻印されてしまった気がする。今でもその「自由」に翻弄され、振り回されて生きているのかもしれないのだ、少なくとも私は」
と語っている。「原風景」といったものは多くの人が持つものだろう。つけ加えるなら「におい」もあるかもしれない。著者にとって原風景が農村、山村、漁村ではなく東京の麻布で、しかもその地域にあった出身校によって与えられた「自由」が著者の意識の根幹にどっかと腰を下ろしているという。おそらく絵画へ、文章執筆へと著者を強く向かわせた原点にはこの原風景、原体験があるように思える。著者も次のように「第一号 浮浪する根拠地――町家風景」で書いている。
モチーフは風景と決めていた。それは決して自然の情景ではない。市街の風景だ(中略)風景画、とりわけ<街並みの風景=タウンスケープ>を描く
自然の情景ではない、人間の手が加えられた人工的に作られた風景=街並みへのこだわりが著者にはある。それはやがて人間によって消されていくモノへの記念碑であり、挽歌となるものだろう。このように私が見るのは、著者によって語られる街について、かつては著者が歩き、肌で触れた街並みが異なる姿に変わってしまった(あるいは変わりつつある)ことへの愛惜と諦観が読み取れるからである。
では、著者はどのように絵を描くのか。
著者には日暮里の寺や浅草の木賃宿を根城に放浪しながら下町の風景を描いた大正、昭和の画家・長谷川利行が存在している。この画家は、
短歌を詠み、齢三〇にして上京。そこから独学で画家を志すようになった利行の筆致は、文人画家の系譜に連なっている。文人画とは、職業画家ではない文人が余技で描いた絵画を指す(中略)私が描きだそうとしているのもまた、いわば文人画みたいなものなのかもしれなかった
職業画家ではないとは、生活手段として絵は描かないということになる。あらゆる束縛から解き放たれて、著者が翻弄され、振り回されているという「自由」の中で、心の赴くままに絵筆を動かすということにほかならない。
本書の最後に画家でデザイナーの佐藤直樹氏が「ブリコラージュ油彩画と東京ヴァナキュラー現代美術の行方」という一文を寄せている。その中で著者の絵について次のように記している。
中島の油彩画は、わたしの目にとても新鮮に映った。近年稀に見る新鮮さであったと言ってよい。前衛的なところも先端的なところもなさそうであるのに。(中略)職業画家の絵には概ね何らかの他意が含まれる。というよりも、様々なる他意の交差点上に浮かび上がっているのがプロフェッショナルな絵画であると言うべきかもしれない。(中略)であるから、職業画家が「いい絵」を描くことはとても難しい。「よくできた絵」は描けても
と、他意の感じられない「いい絵」として著者の描く絵を高く評価している。
一方、著者はといえば、「再開発が加速し、入れ替え可能な都市になっていく東京の姿を見ていられ」ず、そうかと言って地方の農村へ引っ越すことも叶わず、「あくまで東京の内部に安らげる土地を求め、逃げるように放浪」(「第七号 濹東のオルタナティヴ———大川水景」)を続けていた。
やがて著者は下町と呼ばれる地域に惹かれ始め、「これまで住んだ地域の中で一番しっくり」することに気づかされる。それは著者にとって「街」の新たな発見にほかならず、「慰撫」を求めて放浪し、街と人との触れ合いを求め続けていた著者のとりあえずの根拠地となっているようである。
著者にとって、「非専門家が自らの娯しみのために製作する」(「第一号 浮浪する根拠地――町家風景」)文人画と呼ばれる「いい絵」を生み出す条件が更に整い始めたのかもしれない。
モチーフは風景と決めている著者がこれからどのような風景をカンヴァスに描き出すのか楽しみだが、本書こそ著者が描いた<自画像>にほかならない。
(やぐち・えいすけ)
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