矢口英佑のナナメ読み #063〈 『日蓮誕生 いま甦る実像と闘争』〉

No.63「日蓮誕生 いま甦る実像と闘争」

 

矢口英佑〈2022.11.21

 

衝撃的な一書である。

 

日蓮の出自について、これまでは日蓮みずからが語っていた「賤民の子」、「海辺の旋陀羅が子」(旋陀羅とは被差別民の意)、「海人が子」とされてきていた。ところが、平安時代中期から末期にかけて、伊豆半島の東側を支配した大豪族伊東氏の流れをくむ御家人(武士)の伊東祐時の子だというのである。

 

それだけでなく、本書から浮かんでくる日蓮像も「日蓮聖人」や「日蓮大聖人」などと敬称されているイメージとはあまりに異なっている。書名に見える<闘争>がそれを教えている。管見に過ぎないが、おそらく日蓮研究や鎌倉史研究で、これほど大胆に、挑戦的に従来の説を否定し、新説を掲げた研究書はないと思われる。

 

著者も「結論は、(中略)これまでの日蓮像とは随分かけ離れたものになりました。と同時に、学術的な日蓮研究は新たな鎌倉史を拓く可能性があることも示せたのではないか」と、控えめな言葉ながら本書に自信を示している。

 

日蓮の出自について、本書の結論に至る以前に著者には以下のような事実認識と推測があった。

 

・当時は強固な階級社会であり、かりに賤民の子であったら文字の素養はなく、出家などできない。日蓮の幼少時期には御家人ですら文盲がいた時代だったことから推測すれば、日蓮はより高い文字の素養が持てる階級の出身だった。

・日蓮には乳母がいた。

・漁事や海事に関心を持ち、身分の低い者や銀貨の使用に慣れている。

・名馬や名刀を見ることを好んだ。

・日蓮は移動する際には馬に乗っていた。

 

著者はこうした事実や推測を確たるものにするため、さらに日蓮の弟子や檀那について考察を加え、それぞれ由緒正しい家柄、貴族の家柄が存在していることを突きとめ、日蓮の経済力にも焦点を当て経済的にも豊かだったことを証明している。

 

これらに対する追究は執拗、丹念であり、結論に至る手順は実に周到といえ、首肯するに十分な説得力があると言えるだろう。

 

著者によれば鎌倉期の日蓮研究は、大別すれば、教義・教理を中心にした宗教学・思想史的な視点か、教団の運動や政治動態に焦点を当てた歴史学・政治史的な視点のいずれかだという。

 

本書は後者に視点が当てられている。ただし、これまでの日蓮の系譜伝は根拠がなく、操作された伝記であるとし、これまでの研究とは異なる視点として日蓮の教線 特に二人の高弟に注目し、日蓮の系譜をたどっている。また、日蓮の最初の流罪地・伊東は本貫地(祖先の出身地)だった可能性について追及し、さらに日蓮が育った安房についても考察を加えている。これらの従来になかった視点によって、日蓮の出自について、すでに触れたように驚くべき結論につながっていったと言えるだろう。

 

もう一つ、著者が日蓮に抱いたいくつかの疑問に対して、謎解きの醍醐味を味わうことができるのも本書の特色として挙げておくべきだろう。たとえば、

 

・日蓮が伊東と佐渡へ二度にわたって流罪にされているが、日蓮は教説を改めていないのにいずれも幕府が赦免しているのは、日蓮の教えそのものが流罪の原因ではなく、日蓮とその一門が持つ政治力だったのではないか。

・日蓮が広めた「南無妙法蓮華経」とは何か。

・日蓮が書いた「南無妙法蓮華経」の曼荼羅の意味は。

・たび重なる弾圧に屈せず、日蓮が貫こうとした信仰とはどのようなものだったのか。

・その信仰は当時の幕政とどのようなかかわりを持つのか。

 

このような疑問に回答を導き出すため、著者は先行研究に目を通すのは無論のこと、日蓮の「立正安国論」や彼の書簡、『吾妻鏡』など多くの歴史書、仏教関係史料(資料)、政治史資料、文学書等々、実に精力的に文献を読み込んでいる。それを証明することになるはずだが、本書は全285ページのうち注釈 89ページ、系図 4ページ、「史料」として①「日蓮遷化記」葬送次第 3ページ、②日蓮遺物配分状 3ページ、③大仏宣時「虚御教書」 2ページ、④日蓮赦免状 1ページ、そのほかに「日蓮関連略年譜」が3ページで、これらが占める割合は本書全体のほぼ4割近くになっている。

 

著者がいかに多くの資料、原典に当たっているのかを教えている。資料等への目配りが極めて行き届いているだけに、著者による謎解きの道筋は非常に明瞭で、よどみがない。どのような謎解きをし、どのような回答を導き出しているのかは、是非ご一読いただきたい。

 

もう一点、本書の特色として、敵対する他宗派、政治権力との闘いに微塵も怯むことなく、真正面から闘う日蓮像が明らかにされていることである。それは、法華経信仰の再興こそが日本を救うことができる唯一のものという信念に基づいていた。

 

「日蓮と将軍家」「日蓮と政治」という章立てを見れば理解できるように、政治と権力の中枢に食い込み、その中心に宗教家としてのみずからを置くことで、法華経によって国を救うという信念が日蓮には揺るぎなくあった。それだけに日蓮の前には、当然のことながら敵対する宗派、政治権力が立ちはだかった。

 

二度にわたる流刑が宗教的教えにあったのではなく、政治的な、あるいは権力闘争の結果であったとことを著者は明らかにしているが、政治権力と結びつくことで、みずからの宗教を唯一無二とすることを切望したからこそ、危険人物と見られたのであった。それだけに日蓮がみずからの命を賭けても闘う宗教家になっていったことが納得できる。

 

したがって、日蓮が法華経題目の唱題である「南無妙法蓮華経」をなぜ広めようとしたのかについても、闘う日蓮だったからであり、当然だったのである。

 

さらに日蓮が描いた「南無妙法蓮華経」の曼荼羅について、著者は次のように記している。

 

日蓮は、伊東・佐渡による二度の流罪で、法華経を経文の通り実践した史上唯一の真実の法華経の行者であり、釈尊が末法に法華経流布を託した者である、との覚悟を得ます。これは、端的に日蓮こそが法華経に帰命した者、妙法蓮華経に南無した者、南無妙法蓮華経と呼称できる存在であるとの覚悟を意味しています。つまり日蓮は、「真実の法華経の行者」=「南無妙法蓮華経」を本尊とした曼荼羅を表したのです。そして、それは紛れもなく日蓮自身のことを指していました。

 

こうして日蓮はみずからを本尊とする新たな法華経信仰が釈迦の末法において、真実無二の仏法であり、それを流布させていくのがみずからの使命という信念を持つに至ったとしている。

 

本書は日蓮その人について、詳細な検討が加えられた非常に刺激的な研究書となっている。そして、一人の仏教僧の名が「日蓮宗」という仏教の一つの宗派名となり、日蓮が宗祖となった謎解きも隠されていたことに読み手は最後になって気づかされるにちがいない。

 

 

(やぐち・えいすけ)

 

バックナンバー→矢口英佑のナナメ読み

 

 

関連記事

「二十四の瞳」からのメッセージ

澤宮 優

2400円+税

「西日本新聞」(2023年4月29日付)に書評が掲載されました。

日本の脱獄王

白鳥由栄の生涯 斎藤充功著

2200円+税

「週刊読書人」(2023年4月21日号)に書評が掲載されました。

算数ってなんで勉強するの?

子供の未来を考える小学生の親のための算数バイブル

1800円+税

台湾野球の文化史

日・米・中のはざまで

3,200円+税

ページ上部へ戻る