矢口英佑のナナメ読み #065〈 『旅から 全国聞き歩き民俗誌』〉

No.65「旅から 全国聞き歩き民俗誌」

 

矢口英佑〈2022.12.19

 

不思議な感覚に引きずり込まれる本である。セピア色の〝時空〟が広がりながら、著者の聞き歩きによる、今となっては懐かしい話、珍しい話が光彩を放っているからである。

 

淡々とした静謐な語り口の内奥には、生きとし生けるものすべてに注がれている著者の慈しみと自然界の営みに溶け込もうとする生き方が息づいている。

 

残念ながら、著者の斎藤たま氏は、2017年1月に81歳の生涯を閉じてしまった。本書は自身の大きな手術後、校正がままならず中断し、編集部とご遺族の協力でようやく刊行にこぎつけた遺作集の一冊目である。二冊目の子どもたちの囃し唄や遊び唄などを全国で採集した『子どもの言いごと』が2022年12月に刊行されたばかりである。残る最後の一冊は『新まよけの民俗誌』で2023年1月に刊行が予定されている。

 

著者は書店に勤めていた時に偶然、日本の子どもの遊びを紹介した本を手にしたことがきっかけとなって、民俗学への道を歩むことになった。

 

古くから伝わってきた子ども遊びは急速に失われつつある。祖母から、母から、子孫へと順に手渡されて来た花継ぎのような遊びの数々は、受取り手を失ったまま宙に浮いている。いずれこれらは最後の持ち手と共に消えてしまうのだろうけれど、その消える前に一つでも多く集めて、記録に残し置くことは、断絶の間のか細いながら橋渡し役にも、また、研究を後の世の人たちに委ねる元手にも重要であり、かつ必要なことではなかろうか。      (本書「五 秩父だより——自分がたり」より)

 

こうして1971年から本格的に全国各地を訪ね歩き、受け継がれてきた子どもの遊びやわらべ唄、各地の風習、年中行事などについての聞き取り調査を始めた。その最初の成果が『野にあそぶ』(平凡社 1974)で、ここにはお手玉、てまり、草花や虫との遊び、わらべ唄が収録されていて、著者の関心がどこに向けられていたのかがよく理解できる。

 

その意味では、作家について「作家は処女作に帰る」とよく言われ、その作家を作家たらしめているすべてが処女作には内包されていて、その後の作品は処女作を核にして周縁をめぐり、大きく飛び出すことはないという意味である。これに照らすなら、著者の関心対象や、研究方法を生涯にわたって眺めれば、同様のことが言えるだろう。

 

『野にあそぶ』以降、著者は多数の著作を著わしてきたが、関心対象の幅を広げながら、「消える前に一つでも多く集めて、記録に残し置くことは、断絶の間のか細いながら橋渡し役」を果たすという目的に向かって全国での採録活動を続けてきたことがわかる。

 

山村、漁村、島々などで、昔の生活スタイルを維持しているものの、「受取り手を失ったまま宙に浮いて」いて、やがては「最後の持ち手と共に消えてしまう」生活、昔話、遊び、唄、風習、土着風俗等々を、まさに自分の足で一歩一歩、全国各地を歩き記録された一つ一つの事柄は、高齢者からの聞き取りが多いだけに、今ではもはや採録不可能な貴重な資料となっているものが少なくない。

 

特に著者の採録方法は際立っていて、〝土地を這いずり回る〟ようにしてその土地に密着し、その土地の人びとの生活の中に潜り込むことから始められる。世の中の〝有限な時間〟を放擲し、時間を融通無碍に自分のものとするかのような採録姿勢は、宿泊場所さえ定めていないことが多かったらしいことからも窺える。その結果、採録している対象者の家に厄介になることも珍しくなかった。

 

著者の著作活動は活発で、論創社から刊行されたものだけでも、

 

『わらの民俗誌』(2001年)、『落とし紙以前』(2005年)、『まよけの民俗誌』(2010年2月)、『箸の民俗誌』(2010年7月)、『賽銭の民俗誌』(2010年9月)、『野山の食堂 — 子どもの採集生活』 (2013年8月)、『暮らしのなかの植物』 (2013年12月)

 

といった著書(すべてではない)を上げることができる。

 

藁が日本人の生活と密接に結びついていたはずなのに、今や藁の存在すら知らない日本人もいる。紙の前にはなんで拭いていたのかというあまりにも素朴な疑問から出発したと思われるトイレの話、赤い唐辛子や棘のあるひいらぎを、なぜ家の前に張り付けるのか。日本人は正月には神社などにお参りして賽銭を投げ入れるのはなぜなのか。

 

どのテーマも極めて素朴な疑問から出発した生活の中の事象ばかりである。そして、その疑問に迫ろうとした結果が、全国各地を訪ね歩き、採集し、記録として残されていった。すべて著者が現地に立ち、聞き取り、書き留めたものばかりである。

 

本書『旅から 全国聞き歩き民俗誌』からは、上記で触れてきた著者の研究者としての探求姿勢だけでなく、他者との触れ合い方や著者自身の生活姿勢、さらには人間としての感性までもが浮かび上がってくる。

 

遺作集であり、また「旅」というテーマで括られているため、1973年から1993年までに執筆された既発表や未発表の文章が収録されている。その構成は、

 

一 鹿児島・奄美諸島紀行

二 紀伊半島・十津川紀行

三 奥多摩の話者とお話

四 各地の旅から

五 秩父だより——自分がたり

 

である。本書には「平成25年9月9日」の日付の入った、著者の短い「あとがき」がある。そのほとんどが本書に収録した文章の出自について記すことに費やされている。記録者として、せめてこれだけはきちんとしておきたいとの思いが滲み出ている。

 

昭和五二(一九七七)年二月には、私は奄美にいました。これは『南島紀行』に載せた 同じ旅の一部です。「二 奥多摩」のすべての項、「三 十津川紀行」のすべての項、「四 各地の旅から」の「宝引」は書き下ろし。「五 秩父だより」の「仕事を止める」と「山 に入る」は昭和六〇年頃に書いたもの。「秩父の茶作り」と「年齢」、「猪ととうもろこし」、「みみず」は書き下ろしです。

 

おそらく術後の病状回復が思わしくなく、校正も中断したと編集部からの「お知らせ」にあるように、この「あとがき」と本書では目次の順序や表現、文字使いが異なっている箇所が見られる。それを承知しながら編集部は著者の記述を尊重したのだろう。遺作集となってみれば、これも貴重な記録と言えるかもしれない。

 

それにしても今から37年前の紀伊半島、十津川地域の生活ぶりについて家を訪ね、話を聞き、植物のこと、食べ物のこと、魚のこと等々、生活そのものを貪欲に記録していく姿には感銘さえ覚える。また、「三 奥多摩の話者とお話」に収められた14編の「お話」は珍しい、興味深い郷土の民話であり、この領域の研究者には、著者が言うように「研究を後の世の人たちに委ねる元手にも重要」な資料となっている。さらに「五 秩父だより——自分がたり」の「仕事をやめる」と「山に入る」は著者を識る格好の「自分がたり」となっている。

 

人間は生きていくための手段を選ばなければならない。多くの人が生活費を得るために組織に所属し、あらゆる決めごとに従い、自分を抑え込んで、息(生き)苦しさに耐えて日々を送っている。著者もその一人だったのだが、13年間務めた書店を退職した時からみずからの生き方を変えたのだった。

 

自分を解き放つために、社会の動きや生活の便利さに背を向け、自然界の営みにその身を委ねることにしたのである。それは世の中に厳然として存在している尺度や評価の拒絶でもあった。

 

本書は民俗学者・斎藤たまの優れた業績の一つとして評価できる。

 

だがもう一つ、重要なメッセージがある。

 

現在の日本は、組織の統率化、あらゆる面での効率性の追求が当然視される社会になってしまっている。マニュアル社会、ロボット化社会に驀進していることを良しとしている。

 

そのような現在の日本に対して、著者の生き方が強烈な疑問符を付け、「これでいいのか」と我々に問いかけていることも見逃してはならない。

 

(やぐち・えいすけ)

 

バックナンバー→矢口英佑のナナメ読み

 

 

関連記事

「二十四の瞳」からのメッセージ

澤宮 優

2400円+税

「西日本新聞」(2023年4月29日付)に書評が掲載されました。

日本の脱獄王

白鳥由栄の生涯 斎藤充功著

2200円+税

「週刊読書人」(2023年4月21日号)に書評が掲載されました。

算数ってなんで勉強するの?

子供の未来を考える小学生の親のための算数バイブル

1800円+税

台湾野球の文化史

日・米・中のはざまで

3,200円+税

ページ上部へ戻る