- 2023-10-5
- お知らせ, 論創通信, 矢口英佑のナナメ読み
No.78 新シリーズ『論創ノベルス』
矢口英佑
「論創ノベルス」は本年(2023年)2月の『空襲の樹』を皮切りに4月に『真相崩壊』、7月に『真夏のデルタ』、8月『八角関係』、9月『詐欺師の誤算』と『如月十兵衛 娘鍼医の用心棒』の6冊がすでに刊行されている。
論創社には2003年10月から刊行が始まった「論創ミステリ叢書」と2004年11月から刊行の「論創海外ミステリ」の二シリーズがある。両者ともほぼ20年間にわたって息長く刊行され続けていて、論創社のミステリーとして知る人ぞ知るシリーズとなっている。
「論創ミステリ叢書」は、日本の推理小説の草創期から第二次世界大戦後にかけての日本の、当時の言葉で言えば「探偵小説家」の作品を作家ごとにまとめ、一般的には探偵小説家とは見られていない作家にも目を向け、刊行され続けている。
一方、2004年11月から刊行され始めた「論創海外ミステリ」は、19世紀末から20世紀半ばにかけて、海外の主に英米のミステリー作品を中心に基本的には本邦初訳となる小説が刊行されている。
したがって「論創ノベルス」は論創社にとって三番目のシリーズ本ということになる。当然、すでにある二つのシリーズとの違いがあるはずで、その点について「論創ノベルス」既刊本の巻末に置かれた「論創ノベルスの刊行に際して」には、
「本シリーズは、弊社の創業五〇周年を記念して公募した「論創ミステリ大賞」を発火点として刊行を開始するものである。公募したのは広義の長編ミステリであった」
とある。
ということは、このシリーズのきっかけは論創社が20年近く手がけているミステリーがきっかけだったことになる。ところが、実際に応募してきた作品数は予想を超える多数にのぼり、しかも小説内容も広範なジャンルに及んでいたという。
おそらくこの時点までは最優秀作品を単行本化することは公表されていてもシリーズとしての企画は不透明だったのではないだろうか。ところが応募作品を読み進めながら、「力ある書き手はまだまだ多い」ことを実感した編集部としては、それらの作品をあっさり没にして、陽の目をみない運命を辿らせることに躊躇いが生じてきたと推測される。かくして
「「論創ノベルス」と命名したのは、狭義のミステリだけでなく、広義の小説世界を受け入れる私たちの覚悟である」
となり、ミステリーも含まれるがそれ以外のジャンルにも目を配り、多様な小説を組み入れることになったようである。こうして論創社としては三番目のシリーズが誕生し、世に送り出されることになった。
しかし、出版界の現状に目を向ければ、売り場面積を持つ書店数が2022年には約8470店舗。2012年の10年前と比較すると40%も減少していて、本と触れ合い、一冊の本と出会う場が確実になくなっていて、復活どころかさらに消えていっているのが現状である。
また新聞の発行部数は2022年には3084万部、22年前の2000年の5370万部に比較して43%も減少している(統計は高須次郎 「出版社はどうやれば生き残れるか」2023年9月13日講演資料より)。なんでも新聞を読まない人は本も読まないと言われているようで、書店で本と触れ合う機会が減少しているだけでなく、新聞広告などで新刊本の刊行を知る機会も激減している。
このように本を売りたくても売る場所が激減し、新刊情報を得る機会も、実際に本を手にする人も少なくなり、新刊本を購入する人はさらに減ってしまっている。日本の出版業界はどのように生き延びるのか苦悩しているというのが実情だろう。
このような状況下での「論創ノベルス」の刊行は無謀にも近い大英断だったのではないだろうか。「狭義のミステリだけでなく、広義の小説世界を受け入れ」るという「覚悟」をして、「論創ノベルス」を刊行するという言葉もあながち大袈裟な表現とは言えないようだ。
冒頭で示したように『空襲の樹』、『真相崩壊』、『真夏のデルタ』、『八角関係』、『詐欺師の誤算』、『如月十兵 衛娘鍼医の用心棒』と既刊本を並べてみると、それぞれが鮮やかな光を放ち、読む者を作品世界に引きずり込み、小説の楽しさを堪能させてくれる。しかもその小説世界の色合いはみごとに異なり、さまざまな光彩を放っている。『空襲の樹』、『真相崩壊』、『真夏のデルタ』、『如月十兵衛娘鍼医の用心棒』は「論創ミステリ大賞」応募作品で、『如月十兵衛 娘鍼医の用心棒』を除いていずれもジャンル的にはミステリーである。
『真相崩壊』は、大規模土砂災害で一家惨殺死体が埋没してしまった事件を防災研究所所員が追っていく。事件解明のための行動範囲は広い。その過程で自分の過去に引き戻され、過去が現在に繋がる予想もしなかった事実が解き明かされていく。交錯する2つの謎解きがテンポ良い物語展開で読む者を魅きつけていく。
『真夏のデルタ』は、預かり金の400万円を紛失した不動産会社社員が一台の車の座席に置かれたアタッシュケースに入った札束を盗もうとしたことからその車に閉じ込められる。小説の世界はほぼこの車の中から脱出しようとする主人公の悪戦苦闘である。そして、400万円の紛失が親友だと信じていた男の仕掛けであり、女房までも奪われていたことを知らされる。親友だったはずの男との壮絶な戦いは一編のアクション小説と言ってもいいかもしれない。
『空襲の樹』は、「論創ミステリ大賞」の最初の大賞受賞作品である。その帯には「マッカーサー元帥が日本に降り立った日、外国人の死体が発見された——。焼け野原の東京を舞台に「ワニガメ」と呼ばれた刑事が挑む射殺事件!」とある。
このミステリー小説に深みと重厚さを与えているのは、1945年8月15日を境とした日本の敗戦直後の時代が描かれていることだろう。軍国主義からお仕着せの民主主義への変転は、あらゆる日本人に対して待ったなしに価値観の大転換を迫った。混沌とした社会でどう生き抜くのか五里霧中の中で、それでも生き抜こうとしている人間の中には親を失った浮浪児たちも含まれていた。犯人を追う刑事「ワニガメ」も息子が戦死し、その死を受け入れられない妻の姿からはまだ戦争が終わっていない人たちも当時は多くいたことが浮き彫りにされている。軍国主義時代に栄華を極めながら時代に取り残されていく人びと、そして対日占領政策を実行した当時の日本の意思最高決定機関だった連合国総司令部の動き等々が被害者がアメリカ人であっただけに、犯人を追う刑事に陰に陽につきまとってくる。本書は単なる犯人捜しの小説では味わえない重厚な歴史社会派小説となっている。
一方、『如月十兵衛 娘鍼医の用心棒』は書名からもわかるように江戸時代を舞台とした痛快娯楽小説と言っていい。本書はシリーズとして、如月十兵衛と若い盲目の鍼医とシャキシャキ娘の付き人を巻き込んでいく事件が今後も「論創ノベルス」に登場することになりそうで大いに楽しみである。
「論創ノベルス」が多彩であるのは書き手が多彩であるのとも係わっている。
『詐欺師の誤算』は、不幸にして作品発表の機会を逸してしまった、第101回直木賞受賞作家の小説である。飲み屋の女将が客の一人に巧みに大金をだまし取られる経緯が次々に明らかにされていく。だが、その詐欺師をみごとに操る女の存在は男と女の関係の闇の深さも教えていて、人間という生き物の得体の知れない不気味ささえただよっている。
『八角関係』は、〝覆面冠者〟という筆名からも想像できるが作者不詳の作品である。戦後、間もなくの1951年に月刊雑誌『オール・ロマンス』という当時カストリ雑誌と呼ばれた雑誌に7回にわたって掲載された探偵小説で、72年経過して初めて単行本化された。「論創ノベルス」の刊行に際しての言葉には「広義の小説世界を受け入れる」とあったが、それには〝時間的な幅〟も含まれていたようである。
三角関係とは男女の愛情のもつれなどでよく耳にする言葉だが、この小説では四組の夫婦の八角関係による愛のもつれで殺人が次々に起きる。その謎解きに興味がそそられるのは言うまでもないが、最後の意外な結末を読者諸氏はどのように感じるのだろうか、その点にも関心が湧く。
世に知られていないだけで優れた書き手が多数存在し、埋もれてしまっている作品がまだまだあることをこのシリーズの既刊6冊がすでに教えている。
誕生したばかりの「論創ノベルス」だけに、清新な眼でこれはと思う書き手、作品を発掘し、継続は力なりを是非とも証明していってくれることを願わずにはいられない。
(やぐち・えいすけ)
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