矢口英佑のナナメ読み #052〈『全国に30万ある「自治会」って何だ!』〉

No.52「全国に30万ある『自治会』って何だ!」

 

                   矢口英佑〈2022.5.7

 

〝「自治会」って何だ!〟とあらためて問われると、確かに「何だろう」と思う。
大手ディベロッパーによって開発された住宅に30年近く住む私の所にも「自治会」は存在している。一班14戸で構成され、ゴミ集積場所として14年に一度だけ家の前にゴミ収納ケージを1年間置く順番が回ってくる。そして、その時だけ班長を仰せつかることになる。町内会費を集め、回覧板と市や区からのお知らせなどを宿会館に受け取りに行って、各戸に配布し、回覧板は最初の家に置いて、各戸に回覧された後に回収する。年末近くなると年末助け合い募金の集金で各戸を回る。それが班長の仕事である。それ以外では近くの公園を年に2回、掃除に駆り出される程度だろうか。班長になった1年間は「自治会」が脳内に多少は留まるようだが、それ以外では「自治会」などを意識することはない。要するに言われたことだけをやっているだけで深く考えることもしなければ、深くコミットしようともしてこなかった。

 

本書は自治会長を5年間(中村文孝)と2年間(小田光雄)務めた二人が「自治会」とは何かを語り合った対談記録である。一人は埼玉県南部、一人は静岡県西部に位置する一地域の自治会長であったが、地域によって事情はかなり差異があり、自治会長として、個々の事象への対応は異なっていたことがわかる。

 

しかし、「自治会」という存在そのものについては、その内情を否応なしに熟知することになったため、二人は共通した認識を持つことになったようである。ただし、この二人がなぜ会長になったのかといえば、その前段としての副会長時代があるのだが、成り手がいなかったのと、古くからの住民だったという理由からだけで、実際には何も知らないところからの出発だった。その意味では本書で語られている多くの問題点は会長にならなければ決して気がつかなかった点と言えるのだろう。
そして、本書で示されている二人が所属している「自治会」が引きずっていた課題や抱えていた問題は、全国に存在するほとんどの「自治会」にも共通するであろうことは容易に想像がつく。

 

そもそも「自治会」なるものがいつどのようにして生まれたのか。本書によれば、江戸時代の町内会にさかのぼることができるらしい。そして、東京の場合は1923年の関東大震災以降、住民組織化が進み防火演習や配給などの必要からだったという。さらに、二人が一致して指摘するのは1940年10月に発足した大政翼賛会の下部組織として道府県、都市、町村の各支部が組織され、その末端に町内会、部落会、隣組が置かれたという点である。つまり、現在、全国にある自治会組織は実質的には大政翼賛会発足が起源となって、延々と繋がっているというのである。世界的に類を見ない、こうした自治会なるものが、とっくに消えたものと思っていた戦時中の大政翼賛会の生き残り細胞として存在していると聞かされると、亡霊でも見てしまったという思いと同時に自治会の仕事は行政からの事務委託比率が90%などと聞かされると、たちまち納得してしまう。

 

本書での二人の対談を追っていくと単に「自治会」とは何か、その内情を知らしめようとしているだけではないことが見えてくる。

 

「自治会」は戦中の大政翼賛会の生き残り論でもわかるように「自治会」の内情のさらに奥に横たわるものを見据えようとしている。その際の二人の立脚点は明確である。

 

「吉本思想に影響を受けた者が自治会長となった場合、どのように対処したかという対談なんだ」と中村が言えば、小田が「はっきりいいますね。実はそういうことなんです」と応じているからである。

 

それにしても吉本隆明の『「反核」異論』などが二人から出てくると、「自治会」とどう結びつくのかと思う向きも多いのではないだろうか。

 

作家の中野孝次や小田実たちが発起人となって1982年1月に「核戦争の危機を訴える文学者の声明」が発表され、ついで『文芸』1982年3月号に、この声明への賛同の「署名についてのお願い」が掲載された。

 

吉本はこの『声明』や『お願い』に透けて見える党派性を批判し、結果的にソ連を利することになって、ポーランドの民主化運動をソ連が弾圧する隠れ蓑にしたと異論を唱えたのだった。

 

その際、みずからの主張をわかりやすく説明するために吉本が町内会の回覧板を例に出しているのだが、それを小田は次のように語っている。

 

 その際に吉本は「この署名が町内会の回覧のようにしてきたら、もしかするとだれだって署名していたかもしれない』し、それに「ここの地平」は『非政治的な水準』にあり、署名がただちに「反核」、もしくは「反核運動を発起している諸個人や諸組織を支持している」ことにはならないと述べている

 

この小田の言葉を受けて中村は、

現在に引き寄せれば、福祉ボランティアや年末助け合いの誰も反対し得ないものに自治会が巻き込まれ、何の異論もはさめない環境に似ている

 

と述べていて、吉本も言うように回覧板に署名してもそれを動かしている諸組織を肯定していることにはならないみずからの体験を語っている。

 

かくして自治会は地方自治体の下請けのような存在として機能せざるを得ない状況になっていて、自治会長として個人的には賛同していなくても引き受けないわけにかないことが多々あったことを明かしている。

 

自治会は任意加入団体であり、一地域のそこに住む人びとによって〝自治〟される任意団体のはずなのだが、実態はそうはなっていない。しかも長くからその地域に住む旧住民と新しく住み始めた住民、さらには小田の住む地域のように外国人居住者、さらにはアパートやマンションに住む人びとなど混住社会が出現して、一つの案件を処理するにも複雑な要素が絡んで〝自治〟するには多くの労苦が伴うようになっていることがわかる。

 

したがって自治会と行政との調整もあれば住民間の問題処理もあり、さらにこれまで引きずってきた地域の特性も加わり、自治会長を引き受ける前に予想していた仕事内容と大きくずれていたことが二人の言葉の端々から窺える。

 

それだけに自治会長としての対談(経験談)が、苦労譚にもなっているのだが、なぜ苦労譚なのかといえば、行政は自治会を下請け組織とみなし、自治会員=市民が下にいるという「お上」の発想への反発が二人にはあったからである。その結果、二人は中村の言葉を借りれば「自治会員を主役とする自治会運営を目指す」しかなかった。

 

新たな自治会の姿に変えていく運動の前に立ちはだかるのは旧来の自治会運営手法であり、それを良しとしてきた人びとの存在だった。

 

ではこの二人の自治会長は具体的にはどのような課題の変革に挑んだのか。以下に示すのは、小田が改革に取り組んだ自治会問題で、地域の特性も見られる。しかし、全国の自治会でもまだ解決を見ないまま引きずってきている課題も少なくないはずである。

 

・東日本大震災と原発事故以後の防災訓練などの広範な導入

・地区自治会、地域づくり協議会、交通センターの三位一体化による自治会活動の拡大

・10棟以上のアパート、マンションの増加

・自治会エリアに1200人、600世帯が居住。自治会加入は250世帯、700人であることの認識不足。そのうち160人が外国人

・自治会年間スケジュールに宗教行事が組み込まれている

・神社と祭典問題

・自治会員の高齢化と少子化

・無人アパート、マンションと空家問題

・ゴミ問題

・会計のエクセル化とその実務

・「規約」の旧態依然と不備

 

これだけ多くの課題を改革、解決する気概がうまれたのは、二人が自治会員を主役とした自治会を作らなければならないという強い思いがあったからにほかならない。

 

「非政治的な水準」にあって、「自治会」について深く考えもしなかった私だが、「自治会」の実態を教えられた今、書名にある「自治会って何だ」を自分のものとして自分に問いかける必要がありそうである。

 

最後に本書は単なる「自治会」暴露本ではない。小田が言う「戦後史、戦後社会論」、そして、中村が言う「コモン論」になっており、それが大きな特色であることを見逃してはならない。

 

 

(やぐち・えいすけ)

 

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