矢口英佑のナナメ読み #057〈『荒ぶるタックルマンの青春ノート』〉

No.57「荒ぶるタックルマンの青春ノート」

 

矢口英佑〈2022.8.19

 

ラグビーファンなら、「タックルマン」と呼ばれた男、石塚武生の名前を記憶に留めている人は少なくないにちがいない。

 

恵まれた体躯とは言えず、ラグビー選手としては小柄ながら早稲田大学、そして、日本代表チームのフランカーとして〝小よくタックルで大を制す〟怒濤のタックルで攻める活躍ぶりは強烈な印象を残した。

 

しかし、この男、石塚武生は前日まで長野県の菅平高原での全国高等学校体育連盟ラグビー部会の合宿指導に参加していた翌日、この世を去った。57歳だった。死因は「突然死症候群」。誰もが夢想だにしなかった早すぎる別れだった。今年は2009年8月6日からちょうど13年目にあたる。

 

本書はその石塚武生のラガーマンとしての人生がどのようなものであったのか、そして、人間的にどのような人物であったのかを「遺されたノートや日記をベースとして、当時のラグビー仲間の話を拾い集め」(「あとがき――感謝」)て記録されている。

 

なによりも本書の著者松瀬学は、石塚の早稲田大学ラグビー部での後輩であり、練習や試合を通して石塚を身近に見てきただけに、著者の語りは本書に記録された数々のエピソードや証言とともに重みを増す役目を果たしている。さらに言えば、石塚を「僕ら世代のヒーロー」と捉える著者がラグビーファンだけでなく、多くの人びとにこの人物を知らしめたいという強い思いが執筆のエネルギーになっている。

 

 石塚さんのような一途さを、今の若者に伝えたいと考えたのである。あるいは、同世代の方々に石塚さんのことを思い出してほしいと。

 

と著者は記している。

 

 

本書は、「序章 タックルマンへの追憶」、「第一章 荒ぶる魂」、「第二章 世界への飛躍」、「第三章 新たなチャレンジ」、「第四章 石塚流タックル論」、「あとがき――感謝」で構成されている。

 

なかでも第一章と第二章は書名の「青春ノート」にふさわしく、早稲田大学時代の石塚が彼自身の言葉と証言者の回想から生き生きとよみがえり、多くの頁が割かれている。そのほかに石塚に関わる「年譜」と石塚が出場した主な試合の「メンバー表」が付されている。ラグビーを生きがいとした石塚のすべてを伝えようとする本書刊行に係わった人びとの強い思いが理解できるだろう。

 

本書の際立った特色は、著者の松瀬が石塚を識る多くのラグビー関係者に直接会って(電話の場合もある)、インタビューし、話を収集していることである。石塚の人物評やラグビーを巡るエピソード、彼との直接的な思い出等々が文中に巧みにはめ込まれている。さらにはその人物自身のラグビーを巡る回想が記されていて、石塚の〝ラグビー道〟があぶり出しのように見えてくることである。

 

楕円形のボールを相手陣地のゴールポストラインまで11人が協力して運びこむ、相手チームはそれを阻止しようとするスポーツ、道具はボール一つ、ほかには何もなく、防具も着けない肉体と肉体がぶつかり合うスポーツ、それがラグビーである。だが、著者は次のように言う。

 

 ラグビーとは人間と人間が全人格を競うスポーツである。ラグビーのコアバリューは、インテグリティ(品位)、ソリダリティ(結束)、ディシプリン(規律)、リスペクト(尊重)、そしてパッション(情熱)

 

だとしている。高く,優れた精神性と社会性が求められるスポーツとしており、石塚はこのラグビースピリットを体現した存在だったと。

 

 石塚さんのモットーは、『努力は必ず報われる』だった。どちらかといえば不器用なタックルマンはその後も自己鍛錬に励み、地道に,ひたむきに、真っすぐ、ラグビーに挑み続けた

 

この著者の言葉を裏付けるように石塚の日記には、次のような一文が見える。

 

 自分にとっての楽しいラグビーとは、自分をいじめることによって強くなることだった。ラグビーはつらい。苦しい。ここでちょっとラクをしたいと思うこともある。でも、僕は自分に負けたくないから、息を切らしながらも一生懸命がんばるのだ。よく思う。何かを続けていると、きょう一日、あす一日、がんばれば何かが変わるという時がある。そこでやめてしまうと、ああ、きつかっただけで終わってしまう。だから、そこでがんばる。もっと続ける。もっと練習する

 

大学時代、同じチームメイトとして、日常的にも石塚とよく一緒に行動していた藤原 優氏が石塚を〝ラグビーの虫〟と評したのも頷ける。

 

また石塚が早稲田大学ラグビー部のキャプテンとなったときの監督だった日比野 弘氏は自著『早稲田ラグビー 荒ぶる魂の青春』(講談社)で

 

 石塚は生真面目な男である。この性格がド根性となって表れてくるのだ。毎晩、一日も欠かさず、自宅付近を走っていた。純真そうな顔に、いつも瞳がキラキラと輝いていた。ラガーマンとしての素質は、身体の外側にではなく、胸の内にあったのである

 

と記している(本書より引用)。

 

日比野氏は石塚の小柄な身体では、実戦になると使いたくても使えないときがあることを監督として経験的に知っていた。しかし、ラグビーというスポーツに注ぐ石塚の熱情と自分を更に鍛え、磨こうとする意志の強靱さは誰よりも群を抜いていたことを「身体の外側にではなく、胸の内にあった」と表現したにちがいない。

 

後年、第一線から身を引いた石塚が2003年の国立競技場での日本対イングランドの試合で、入場整理をやり、試合開始後はスタンドで応援団長をしていたという。

 

「「なぜそこまでやられるのですか。〝何をやっているんだ。恥ずかしくないのか〟と悪口を言っている人もいました」と伝えると、石塚さんは,笑ってこう、おっしゃった。「ラグビーへの恩返しです。プライドは胸にしまってあります」と東郷太朗丸選手の父親・東郷雅氏に答えたという。

 

〝ラグビーの虫〟は練習で自分をいじめぬいて、肉体を鍛錬し、精神を鍛え続けた。それが石塚という人間を作り上げていったのだ。自分に負けてたまるかと鍛錬を積み上げてきた自信が石塚に「プライドは胸にしまわせた」のである。

 

著者は「苦労すると、感謝の念が強くなる」として、石塚を「元早大キャプテン、元日本代表キャプテンのプライドをオブラートに包み、より謙虚に、より誠実に人と接するようになった」と評している。

 

一流のラグビー選手になろうとして積み上げてきた筆舌に尽くし難い辛い練習が、選手としての技量を磨き上げただけでなく、人間としての品格をも陶冶していったと言えるだろう。

 

石塚は次のようにラグビーノートに書きつけていた。

 

 バカとは、言葉でいうバカではなく、ラグビーにとことん打ち込んでいるという意味である。ほんとうに一生懸命にやっている事である。金銭的、物質的にハングリーではなく、精神的にハングリーでいたい。そして、常に自分に不満でなければいけない

 

石塚の〝ラグビーバカ宣言〟とも言えそうな一文だが、人間としての一つの重大な生き方を示唆していないだろうか。とりわけ重要なのは、他者に対してではなくみずからに「不満を持て」と言っていることだろう。金銭的、物質的にハングリーでなく、精神的ハングリーを追い求める生き方をみずからに課したことが、〝自己に厳しく、他者に優しい〟石塚を誕生させたにちがいない。

 

石塚という〝ラグビーの虫〟〝ラグビーバカ〟は、私たちにかけがえのない大切な人間の生き方を教えている。

(やぐち・えいすけ)

 

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