カテゴリー:日蓮誕生
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『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.012
Ⅰ 日蓮の出自について 光日尼 日蓮が幼少時代を回顧して、ともに懐かしむ女性に光日尼がいる。そして「父母の墓」に何度も言及する。これは他の門下には見られない態度である。 &n…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.011
Ⅰ 日蓮の出自について 安房の日蓮 日蓮が伊東祐時の子だとすると、なぜ日蓮は安房で養育されたのか。注目したいのが、工藤左近尉である。 工藤氏は、一二六四(…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.010
Ⅰ 日蓮の出自について 母の血筋 では、日蓮の母は誰を想定できるか。祐時には系図で、祐朝・祐盛・祐綱・祐明・祐氏・祐光・祐景・祐忠・祐頼・鷺町主・伊東院主の一一男と七女がいる。そのうち母が分かるのは六…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.009
Ⅰ 日蓮の出自について 日蓮の出自 これまでの考察を前提に、日蓮の出自を考えたい。条件の第一は、妙一尼を伯母に持つ人物である。第二に、伊東八郎祐光が日蓮を預かるのにふさわしい立場にあることだ。そこで伊東氏の系図を紐解…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.008
Ⅰ 日蓮の出自について 日蓮の居宅 現在、伊東氏の館跡は、物見塚公園と伊東市役所になっている。その敷地の北東側に仏現寺があり、ここに日蓮の草庵跡がある。 伊東祐光は鎌倉で将軍御所に出仕する。一二五二(建長四)年四月…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.007
Ⅰ 日蓮の出自について 伊東一族 日蓮は、一二六一(弘長元)年五月に伊東に囚われた。伊東での預かりは、伊東八郎左衛門尉祐光だとされる。伊豆川奈の船守弥三郎に宛てた書簡に、 「当地頭の病悩について…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.006
Ⅰ 日蓮の出自について 妙一尼 日昭の母は、工藤祐経の娘もしくは祐経の子・伊東祐時の娘とされ、妙一尼と呼ばれた。日蓮が漢文書簡を送った七名のうちの一人である。 工藤祐経は一一六六(仁安元)年…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.005
Ⅰ 日蓮の出自について 両人御中御書 日蓮の書簡に「両人御中御書」がある。大国阿闍梨(日朗)・衛門大夫志(池上宗仲)に与えた一二七九(弘安二)年ないし一二八〇(弘安三)年十月二十日の書簡である。真蹟は京都妙顕寺に残り…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.004
Ⅰ 日蓮の出自について 日昭と日朗 日蓮の弟子の中でも、抜きんでた存在だったのが、日昭である。残された最大級の曼荼羅は、日昭あてのものだ。日昭の経歴については伝承が残る。後世のもので、慎重な検討は必要だが、まった…詳細を見る -
『日蓮誕生——いま甦る実像と闘争』No.003
Ⅰ 日蓮の出自について 序説 本論に入る前に、以前「日蓮と政治」でみた考察を整理しておく。 まず、日蓮の出自については、安房国長狭郡東条郷の片海の「旃陀羅が子」という日蓮の言及があるだけで、…詳細を見る